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御伽怪談第四集・第二話「さまよう楠公」

  一

 その昔、べん首座しゅざと申す禅僧がいた。五月の終わり頃、諸国行脚の旅の途中、遠州(静岡)相良ですでに日も暮れていた。街道を外れた傍らに見つけた辻堂に行き一夜を明そうと思った。まったく粗末な辻堂であった。扉を開くとギシギシと埃が舞った。しばらく誰も入ったことのない、そんな気がした。掃除された形跡などもちろんなく、足跡が埃の中にポツポツとついた。
 弁首座は、やれやれと言った顔をした。
——これなら近郷近在にも僧侶はおらぬな。
 関ヶ原が終わって二十年。まだ、いくさの爪痕の残る地域もあり、僧侶のいない寺も多かった。
 もう五月も終わるとは言え、夜はまだ寒かった。今夜は下限の月であり、弁首座にとっては嫌な夜であった。五月の満月から次の新月のあたりは霊たちが騒ぎはじめる次期にあたる。一年でもっとも激しく動くのである。生まれつき霊の見える弁首座には、それが厄介であった。
 弁首座には強い霊力があった。彼がサムライでいた頃は、そんな力は役にも立たなかった。関ヶ原で味方軍と共に壊滅した時、生き残った彼は、この世を虚しく感じ僧侶となった。そして、修行しようとしまいと、霊力は増してゆくのだ。そのためか、彼を頼る霊どもも、たくさん現れた。
 霊能者はこの世に一定数、生まれてくるものだ。彼のような強い力がなくても、ある程度の者ならたくさんいる。特に戦国の世など、死ぬ者が多く、命の儚い時代には、なおさら多く生まれては死んて行った。彼ら霊能者が生まれてくることには理由があった。この世に生きる人々の無意識の世界を感じ取り、それを現実化する役割を担っているのだ。ただ、霊能者には良い悪いの意識はなく、世の中に引き摺られて、様々な出来事を起こすだけだったのだが……。
 深夜の頃であろうか、弁首座が少しウトウトしていると、ふと、何本かの松明たいまつの明かりがさして、辻堂のまわりが明るくなった。馬の気配がする。馬に乗った何者かが、お付きの者を従えて現れた様子であった。馬のヒヒヒンと言った吐息が聞こえ、一頭だけの足音がした。弁首座は、馬上の者がサムライであることを理解した。
 サムライは静かに申した。
御僧ごそうはいずれの国の人なるや?」
 馬は大人しく、くつわを取るお付きの者にも優雅な雰囲気があった。
 弁首座は起き直り、きちんと正座して、辻堂を開けずに答えた。
「拙僧は、三河に向かう旅の者である」
 それから、ゆっくりと扉を開くと、明るい松明と人影が見えた。馬上のサムライは鎧姿よろいすがたであった。
 弁首座は、埃を払いながら立ち上がり、サムライに尋ねた。
「日暮れにおよび、仕方なくこの辻堂を宿としたが、不都合がござるかや?」
 かの者は優しく笑い。
「幸い今夜は、拙者の主人に思うところあって、やかたへ参られよとのこと」
 馬が足踏みした。不思議なことに、お付きの者たちの気配はほとんどなかった。何人も控えていたが、まるで馬とこのサムライしかいないと錯覚に囚われるほどであった。
 弁首座は、ふと、首を傾げた。
——配下の者たちは忍びか? 気配を殺したまま姿を見せるなど、いくさの最中でもあるまいに……。
 豊臣の時代も終わってすでに終わり天下分け目の関ヶ原は遠い昔の出来事となった。まだ忍びらしい忍びは生き残っていたが、彼らはかなり高齢ある筈であった。


  二

 配下の者たちの影は、ハッキリしなかった。普通に見えるくらいなら、わざわざ気配を消してまでいる必要はないだろう。
 弁首座がしばらく考えていると、馬上のサムライが、
「不審は最もでござる。しばし、拙者を信じてまかせ給え」
 と申し、先に立って進んだ。
 弁首座はすでにサムライを捨てていた。もう失う物もなければ、命すら惜しくなかった。
「いかん、いかん。つい昔を思い出してな」
 と小声で言い訳しながら、馬の横を付いて行った。
 誰もが押し黙っていた。まわりから草摺くさずりの気配だけがした。
 弁首座は、
——お付きの者にいたるまで、皆、鎧を着込んでおるのか?
 と思い、戦場を駆け巡っていた若い頃を思い出した。ふと、死んだ仲間の顔も浮かび、
——あの日、生き残ったことが、果たして良かったものか?
 これまでの日々を思い返していた。
 しかし、いったい、どこを歩いているのだろう? 街道を離れ、すでに七、八町ほども歩いたと思うところに、大きな城の輪郭が見えた。
——はて、これほど大きな城ならば、昼間の内に見えた筈じゃが……。
 弁首座が首を傾げるのは最もであった。彼は昔の癖で、つい地形を把握しようとして、大きな建物は記憶していたのである。だが、記憶の中にこの城はなかった。
 覚えのない城は誰の居城きょじょうであるのか、推測しようもなかった。門や石垣などは、はなはだ厳重であった。まるでいくさの最中の城のごとく警備されていた。
 大手と思える門に入ると、馬上のサムライが、
「しばらく、ここで待たれよ」
 と申して馬を降り、奥の建物に入って行った。石垣に差し込まれた松明がチチチと音を立てた。その音に気を取られ、お付きの者たちがいつ姿を消したものか分からなかった。燃える松明を見ながら、ひとり、闇の中に取り残されていた。
 ややあって、大将と思える者が多数のお付きを前後に従え、玄関に迎えに出て来た。鼻の下のハの字の髭、濃いもみあげと顎髭あごひげの顔は、鋭い眼光に満ち溢れていた。
 烏帽子に狩衣を着込み、いかにも身分の高い感じがした。まわりの者たちは、甲冑姿であった。しかし、戦国時代に流行った甲冑などではなかった。それよりも古い時代の雰囲気がしたのである。
——先祖より受け継いだ、由緒正しい武具もののぐであろうか?
 弁首座は首を傾げた。
 大将が、
「まずは食事を取られよ。そののち持仏堂じぶつどうで経文などを唱え、供養して欲しい仏がある」
 と、申された。
 弁首座は供養のことを聞いて、それで呼ばれたと納得した。辻堂の粗末な造りから考えても、良い僧侶が近郷近在にはいないと思えた。
 それから書院へ連れて行かれ、数々の美味でもてなされた。食事は武家には珍しい精進料理であった。しかも、かなり手の込んだ、作るのも難しい膳が出され、旨さや豪華さに驚かされた。
 鳥のかりの肉に似せてを油で揚げたガンモドキ。昆布とつくね芋で作るアワビモドキ。赤コンニャクで作るマグロモドキなどの手の込んだ精進料理が膳の上に乗っているのを目にして心が動くのを感じた。


  三

——これだけの物を用意するとは、かなりの料理人を拙僧のために用意してくれたと申すのか?
 弁首座は、少しの間、感動を噛み締めた。
 料理はまったく旨かった。これほどの食事を取るのは僧侶になってはじめてだと思えた。
 食事が落ち着くと、近習の者どもが集まって、弁首座を引き連れて持仏堂へ向かった。廊下は長く、別棟の持仏堂も遠かった。
 弁首座は、食事の豪華さと言い、建物の大きさと言い、
——このような大きな家に招かれることは、滅多にないことじゃな。
 と思い、ねんごろに読経しようと、心を落ち着けて控えていた。
 その時のことである。
 あちらこちらから、にわかにかねをつき、太鼓を打ち鳴らす音がした。法螺貝の音が低く響くと、数千の鯨波ときの声。山も崩れるかと思うほどの大きな声であった。敵の軍勢が、この城へ攻め寄せる勢いである。
 奥殿には、数百人の女たちであろうか、一斉に、わっと叫ぶ声がした。
 弁首座は不審に思った。
——天下泰平の世に何事であろうか? 豊臣殿の残党が決起したものか?
 あれから二十年。まだまだ世の中には残党がくすぶっていた。弁首座も、以前はそのひとりであった。だが、とうに諦め、徳川様の時代を受け入れていた。関ヶ原で生き残った仲間は、各々の生き方を模索し、ある者は寝返り、また、ある者は処刑された。僧侶となって旅をする者も多かった。
——残念だが、もう豊臣殿の時代ではない。
 つらい現実を何度も思い知らされ、戻らぬ過去を悔やむ日々であった。
 弁首座は、
——せめて死んだ仲間の供養を……。
 それだけを目的として、あてのない流浪の旅に出ていた。死はもとより覚悟の上、生きる気力も失っていた筈だった。だが、今、まさに迫り来る死を感じた。
 遠く見れば、先の大将が甲冑を着込み、いかれる髪は逆立ち、血眼ちまなこになって駆け出していた。多くの女たちが取り付き、すがり、泣き叫んでいる。大将は、女たちをふり払い、馬にまたがり出陣した。
 すでに合戦のはじまりと見えて、刀の打ち合う音、鍔競つばぜり合い、矢叫びの声などが、おびただしく聞こえた。これほど激しい騒ぎは、関ヶ原以降、耳にしたことはなかった。気がつくと、弁首座も甲冑を着せられ、
「敵でござる。ご自分の命は、ご自分で守られよ」
 と、刀や武器を渡されていた。
 それと同じくして、ふすまにたくさんの槍がプスプスと突き刺さり、火矢が撃ち込まれた。炎に照らされ、右往左往する女たちの影の中、ひとりふたりと矢に倒れ、あるいは槍に貫かれて死んで行った。畳は血の海と化して、炎を映し出していた。とうとう敵武者がなだれ込み、弁首座は刀を抜いた。敵はどこの軍勢か? 何も分からなかった。巻き込まれたとは言え、戦場にいる上は戦うしかない。最初はなから敵も味方も分からず、判断する間もなかった。襲って来る者がいれば戦うだけだ。相手がたとえ子供だったとしても、刃向かえば切るしかない。弁首座は戦う覚悟を決めた。その時、関ヶ原で初陣の若者を切り殺したことを思い出した。
——首級しゅきゅうをあげる気にはなれなかったな。
 まだ、幼さの残る顔が息子に似ていたのである。
 そんなことを考えて油断したものか、気がつくと、弁首座の前に敵武者が、気配もなく立ちはだかっていた。


  四

 パチパチと音を立てて燃える室内で、たくさんの者たちが戦っていた。その喧騒に紛れていたから分からなかったものかも知れない。
 敵武者はとっさに陣太刀の構えをとった。陣太刀とは、つかを目の前で構え、やいばを下にして、こちら側にむけた構えのことである。打つにも守るにも実戦的な構えだが、腕力が必要だった。
 敵武者の血走った目に怯えが見てとれた。慣れていないものか、切っ先が震えていた。今、まさに戦う相手も、あの時に切った幼さの残る若者に似ていた。
 刀を構えた姿は、恐怖で立っているのが精一杯のように思えた。弁首座は、
——この若者に切られよう。
 と、心の中でつぶやいた。
——そうすれば、罪深い己の心も少しは軽くなる。
 と考えてのことである。すでに生きるためではなく、死ぬことだけを覚悟した。心が優しさで満たされたような気持ちになり、
——これでやっと、あの世の仲間に会える。
 と、思った瞬間、敵武者が動いた。目を固く閉じ心は死を望んだ。しかし、体はそれを受け入れず、常に生きようとするものだ。
 弁首座は、ほとんど無意識に太刀を振っていた。太刀風が起こり、手の中に確かな手応えを感じた。ハッとしてわれに返ると、若者の喉を掻き切っていたのである。鼓動と共に飛び散る血を浴びながら、弁首座が叫んだ。
「また、生き残ったのか……すまぬ」
 心の底から出た慟哭に似た叫びであった。
 ゆっくりと倒れて行く敵武者は、もう敵ではなかった。自らの手で息子を殺したような、深い悲しみと後悔が弁首座の心を支配していた。
 着物の袖で涙を拭い、肩で息をして歯を噛み締めると、静かになっていることに気付いた。
 すでに合戦が終わったものか、人の声は遠くに聞えた。やがて、先の大将が、鎧にたくさんの矢を打ち込まれてゆっくりと歩いて来た。長く血が垂れている。
 大将は、弁首座に黙礼すると、
「今夜の出来事を、さぞ不審に思われたことであろう。何を隠そう、われこそは楠木くすのき判官はんがん正成まさしげが亡魂なり。修羅道地獄に落ちてのこのありさま、見られた通りのこと。ただねんごろにとむらい給え」
 と涙を流した。その瞬間、煙が起こると、ひとすじの鬼火が天へ昇って行った。
 風が吹いていた。夜の虫たちの気配がした。
 弁首座が気付いた時、すでに書院や城壁も煙のように消え失せていた。
——夢か幻を見たのか?
 あたりを見わたせば、わが身は五輪の石塔に寄りそっていた。下限の月は雲に隠れて暗く、五月とは言え、風も冷たかった。線香の香りがして、まだ敵武者を切った感覚も残っていた。
——いや、幻などではない。楠木判官の霊に出会ったのだろう。
 奇しくも五月二十五日、楠木判官の命日であった。やがて、弁首座は、このあたりで読経し、楠木たちの魂を弔ったと言う。

 これは、日々生き死にに悩み苦しむ弁首座の強い霊力と心の迷いが、楠木判官の亡魂に反応して、夢か幻のような現象を引き起こした出来事であろう。楠木判官が亡くなったのは神戸の湊川みなとがわでのことだが、祖先は静岡であると言う。そのことから、誰かが供養のために建てた石塔が、長い戦乱の時代に忘れ去られ、僧侶に悲しみを訴えかけたものと思われる。楠木判官が亡くなってから二百九十年後の出来事であった。『怪談藻塩草もしおのくさ』より。

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