見出し画像

近世百物語・第二夜「ヌラリヒョン」

 もう、かなり前の話になりますが……大阪の阪急梅田駅構内で、ヌラリヒョンらしきものを見たことがあります。それは目の前を何気なく通って行くと、江戸時代の妖怪の絵にあるヌラリヒョンにそっくりな顔をしていました。ただ、着物ではなく、地味ですが高そうな背広を着ていて、ゆっくりと優雅に歩いていたのです。まさしく優雅としか言いようのない歩き方で、浮いているような、それでいて滑っているような、何とも不思議な歩き方でした。
 皆さん、少し背広姿のヌラリヒョンを想像してみてください。かなりの年齢の親父さんなのに、案外、スマートな感じの、意識高い系な雰囲気が漂っています。白髪混じりの無精ヒゲが短くアゴに残っていたりして、それはそれはリアルな感じもしました。
 私は、自称意識高い系の背広の人を見ると、つい、このヌラリヒョンの姿を思い出して、内心、笑ってしまいます。
 まぁ、そうやって、ヌラリヒョンを目で追っていると、やはり、いつものように、それと視線が合いました。
 すると、ヌラリヒョンは立ち止まって、
「わしが見えるんか?」
 とでも言いたげな驚いた表情をして、こちらをジッと見ていました。そして、ふと笑い、またゆっくりと去って行きました。
 本物のヌラリヒョンなのか、それとも似ているだけの親父さんなのか、よく分かりませんでした。ただ、一緒にいた妻の目には見えていないようで、背中を指さして、
「ヌラリヒョンにそっくりな親父さんが歩いているよ」
 と、告げても、
「そこには誰もおらんけど……」
 と、答えが返ってくるだけでした。

 ヌラリヒョンとは、ぬらりくらりとした、ひょんな存在のことです。漢字では〈滑瓢〉と書きます。
 広辞苑には、
——瓢箪鯰ひょうたんなまづのような、とらえどころのない妖怪。
 とだけ書いてありました。辞書の説明の方がとらえどころがないと思います。
 誰かが見て絵にした物か、あるいは誰かが想像して描いた物か、いずれにしても江戸時代からずっと絵が残っています。そして、私が目撃したあの顔は、今でも、紛れもなくヌラリヒョンと呼ばれる存在の顔。

 第一夜でも触れていますが、夜昼かまわず様々な不思議なものを見ます。時には不思議過ぎて笑えることもあります。笑えないほど怖いことも、たまにあります。
 実在しているものを、目が見ているのではありません。心で感じたものを映像として記憶しているだけなのです。それは分かっているのですが、細部にわたってハッキリと記憶に残っています。
 多くの現実は、目がそれを見ているのではありません。ただ心が感じている物事を認識して記憶しているだけにすぎないのです。
 多くの人々も、実際の現実世界のほとんどを見てはいません。そう考えると、同じことなのかも知れません。ほとんどの人は、見たものの大半を、記憶違いのまますごしています。矛盾は心の中で作話してつないでいます。そして、そのことには自分で気づいていないのです。
 これらのことを考えると、
「幽霊や妖怪は実在しない」
 の類の主張には説得力がないと思います。
 よく言われるような、居もしない物を見ているのではなく、見た物すら分かっていないのですから……。
 ただ、妖怪の類は、物理的な存在ではありません。霊体なのです。霊体とは心が感じるだけの、別次元にいる存在のことです。誰かの心が感じた時、こちらの次元と接触するのため、こちらにやって来るのです。しかし、接触した人の心も向こうの次元とつながっているため、その人にしか見えないことが多いです。それが、エネルギーが強すぎて、周りの人々も引き込むようになると、そこで立派な心霊現象と呼ばれるようになります。集団ヒステリーとかの原因となる若い女の子とかは、ヒステリーではなく、心霊現象を引き起こす次元を、心が引き寄せているだけなのです。
 また、多くの人々は、自分自身が、常にまわりの人間と同じものを見て、同じ音を聞いていると思っています。しかし、実際は違うかも知れないことを理解すらしていないようです。
 そう言えば、以前、テレビで、
「実際の幽霊を撮影したもの」
 と言うふれこみで放送された映像を見ました。実際のと言うか、とてもお粗末なものでした。残念。笑えました。
 夜なので、赤外線カメラで撮影しているのは分かりますが、赤外線の光が幽霊の目玉に反射して映っていたのです。物理的な存在ではない幽霊の眼球に、赤外線が反射して光るのは、とても妙な光景だと思います。

 最近はオンデマンドで〈心霊投稿ビデオ〉なるものを見ることが出来ます。私はこの類が好きで、時々、コメディの代わりに見ています。下手なコメディよりかなり笑えます。
 ちまたに氾濫する多くの心霊投稿ビデオ見ていると、たまに勘違い、たまに微妙な作り物、多くは見てわかるレベルの作り物なのですが、たまに本物と見紛うような作り物と、時々は本物が混じっています。
 本物は、こんな物に紛れているだけあって、かなりものすごい物です。コンクールがあったら密かに表彰物です。しかし、本物と見紛うような作り物たちと見分けがつかないでしょうから、見た人は、
「どれもこれも、本物だと思うだろうなぁ」
 と思いました。

 本物を一度も見たことのない人が想像で作った映像に過ぎないのだから、怖がらせるような感じの物ばかりが目立っているような気がします。
 それらを見るたびに、
——本当は、もっと、さりげない物なんだけど。
 と、思ってしまうのです。

 多くの、オーブと呼ばれるものや、スカイ・フイッシュと呼ばれるものの写真も本物ではありません。カメラの基本構造を知らないための勘違いに過ぎません。強いて言えは、人の目が捉えることの出来ない速度の中に存在する、ただの虫です。カメラ機械なので、きちんと捉えることが出来るだけのことです。
 中には本物もあるかも知れません。しかし、オーブは別として、本物のスカイ・フイッシュなるものの写真も映像も見たことがありません。また、実物にも、お目にかかったこともありません。そして、そのような物の伝承や書き残された書物すらも知りません。
 オーブが〈木霊こだま〉の一種だとしたら、それらについての伝承はあります。しかし、見たことのある多くのオーブ写真は、ただ空気中の水分に光が乱反射して出来た物のようでした。もっとも、数枚だけ、そうとも言いきれないものを見たことがあります。
 それを見た時、
——あれは、木霊なのだろうねきっと。
 と思いました。

 さて、最初にヌラリヒョンを見たあの日から、時々、ヌラリヒョンに出会うようになりました。人ごみの中でこちらをジッと見て笑っているヌラリヒョンの、あの大きな顔が、他の人には認識されないまま私の記憶に残ってゆくのです。
 あれは、何を望んで現われる存在なのでしょう。それとも見たから監視されているのでしょうか? ただ見守ってくれているのでしょうか? それらについては分かりません。ただ、ぬらりくらりとして、ひょんな所にあらわれては……記憶に足跡を残すのみです。終わり。

  *  *  *


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?