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播磨陰陽師の独り言・第三百四十六話「お盆のこと」

 もうすぐお盆の時期に入ります。本来のお盆は、旧暦七月だったものが、明治時代に新暦八月に変更されたものですので、今は八月をお盆としています。
 現代のお盆は八月十三日から十六日までの四日間です。十三日に迎え火をして、十六日の夕方に送り火を焚いて盆明けとなります。お盆休みの期間はその前後となります。
 しかし、昔は旧暦七月一日からお盆の期間がはじまって、二十四日の地蔵盆で終わったそうです。
 さて、
——お盆はすべての仏教国にある。
 と思われがちですが、実はわが国独自の風習です。元々は神道の魂棚たまだな祭りを仏教が取り入れて変化したものです。
 唐土もろこしにも、中元の朝に子どもたちが礼服を着て門外へ出て空を望み、亡くなった父母に礼拝し、祖先の霊を導き入れて祭る儀式がありました。中元の日が七月十五日だったので、この日に盂蘭盆会を行いました。しかし、十五日以外は他国のお盆の行事はありません。だからお盆は日本だけの行事です。
 良く、
——お盆には地獄の釜の蓋が開く。
 と言われています。これは十三日のことではなく、旧暦七月一日のことです。この日は〈釜蓋かまぶた朔日ついたち〉と呼ばれていて、この日を境に二十四日まで川や海に行かない期間となります。

 十三日の夕方、一般の人は、
——祖霊の帰る夜。
 と言って、門の外へ出て火を焚いて迎え火としました。迎え火を古くは〈聖霊しょうりょう迎え〉と呼びました。
 この時に帰って来る祖霊は〈休仙〉や〈朴仙〉と呼ばれるくらいにある祖霊です。この位はサラリーマンで言うと〈平社員〉にあたります。
 迎え火には苧殻おがらを焚き、キュウリの馬とお盆ナスの牛を供えます。これを〈精霊馬しょうりょううま〉と呼びます。しかし、それは最近のこと。本来は迎え火には牛は供えませんでした。牛は送り火の時の物なのです。
 迎え火の時は早く来て欲しいので馬を用意し、送る時はゆっくり帰って欲しいので、おナスの牛を供えました。
 最近は一緒に供えることが多く、祖霊としても、どっちに乗れば良いのか迷うかも知れませんね。

 昔は十四日から十五日にかけて北野天神宮の祭礼があり、たくさんの地車だんじりが出たそうです。
 また、十四日より次の月の一日までの間、毎夜、盆提灯ぼんちょうちん、あるいは万灯まんとうともし仏に捧げました。

 十五日は盂蘭盆会うらぼんえの日です。これを略して〈お盆〉と呼びます。
 そもそも盂蘭盆会は、釈迦の十大弟子のひとりである目蓮もくれんがはじめたものです。正式には〈施餓鬼〉と言います。施餓鬼は盂蘭盆会の中の行事のひとつでしたが、全体を盂蘭盆会と呼んでいたので、施餓鬼と盂蘭盆会は同意語となりました。
 施餓鬼はいつでも行えるものですが、祖先の霊を迎えると言う意味で日本古来の魂棚祭りの日に行うようになりました。そして、今のお盆となったのです。
 目連は、ある日……神通力を使って、母が餓鬼道に堕ちたことを知ります。母の供養のため施餓鬼をして仏のご利益りやくを得て、何も食べれず苦しむ餓鬼たちに食事を与えたと言います。
 当日は、檀家となっている寺の僧侶が家々を回って回向します。これは、実は仏壇の状態をチェックするためにはじまったもののようです。古くなったり、壊れていると、仏壇を新しくするよう勧めたそうです。江戸時代の文章にそんなことが書かれていました。
 十五日は、寺や町屋の者は礼節を重んじ、勤めて礼を尽くします。ただし、武家の人は普段から礼節を重んじているため、とりたてて何かをすると言うことはありません。
 この日は仏祭りですので、精進しょうじん料理を食べました。
 そして、旧暦十五日の夜は満月。この夜に踊るのが盆踊りです。盆踊りは元々〈念仏踊り〉が変化したものです。念仏踊りでは、最初、僧侶だけが踊っていました。やがて檀家も踊るようになりました。秋はすべての生き物が冬は向かい生を終えるはじめの時期です。その陰の気に負けないよう、また、陽の気を保つため、この日に、皆で踊った言います。

 十六日は送り火をして、祖霊を送ります。この夜に京都では五大の送り火が行われます。お盆に花火大会をするのは、送り火が変化したものだからです。

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