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御伽怪談

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昔の実話怪談に基づいた、お伽話のようなオリジナル小説です。各々原稿用紙16枚です。第一集は、江戸に広がる猫のお話が中心です。
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#オカルト

御伽怪談について

 はじめまして。播磨陰陽師の尾畑雁多です。大阪文学学校で小説を学んでいます。  御伽怪談…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十六話「妖怪の書く文」

 第十六話「妖怪の書く文」  天保(1829)のはじめのことであった。  かの有名な『忠臣蔵…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十三話「参拝は心の糧」

 第十三話「参拝は心の糧」  最近はあまり聞くことはないが……少し前まで死に逝く者が別れ…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十ニ話「夏行の疫病神」

 第十ニ話「夏行の疫病神」  時は宝暦(1750年)の頃。京都一乗寺金福禅寺の住僧・松宗禅師…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十一話「看病する亡霊」

 第十一話「看病する亡霊」  予は本草学者の佐藤成裕。本草学とは漢方薬を研究する学問のこ…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十話「雪隠の疫病神」

 第十話「雪隠の疫病神」  ここに不運で哀れな男がいた。  時は延宝(1672)、天下分け目…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第九話「先夫の死霊が」

 第九話「先夫の死霊が」  拙者は鈴木桃野と申す儒学者。儒学と申すは、孔子にはじまる古来の政治・道徳の学びのことである。世の中に少しは名を知られておるが、儒学とは関係のない『反古のうらがき』と申す本に不可思議なることを書き記して、世の不思議を知ることやや度々となりぬ。  さて、今回は、友人の斎藤朴園の奇妙な体験について少し語ろう。  ある時、朴園に後添えの妻が来ることとなった。一昨年の流行り病で妻と死別し、寂しい想いをしていたが、まずはめでたいことである。今度の妻も、前夫と

御伽怪談短編集・第七話「疫病神を退散」

 第七話「疫病神を退散」  天保八年(1839年)二月下旬のことであった。その日、予・宮川政…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第六話「幽霊なきとも」

 第六話「幽霊なきとも」  予、根岸鎮衛の元を時々訪れる友人に、栗原幸十郎と申す浪人がお…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第五話「犬を恐れる男」

第五話「犬を恐れる男」  予・宮川政運の父がまだ若かった頃、江戸の本所石原町に播磨屋惣七…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談第四集・第七話「迷い出る女房」

  一  延宝六年(1678)、時代は徳川様に代わって七十年ほどが過ぎた。ある春の敦賀で…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談第四集・第六話「立山の偽幽霊」

  一  その昔、江戸は亀戸に松五郎と言う男が住んでいた。仕事は貧しい版木彫りであった。…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談第四集・第五話「牛王を怖れる」

  一  延宝五年(1677)の七月のこと、 ——七條ケ原あたりに、誰とも知れぬ死人の塚…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談第四集・第四話「イトの逆恨み」

  一  延宝年間(1674)のことであった。播磨の国・佐用村に、イトと言う独り身の年増の悪女が住んでいた。家は貧しく、朝夕の飯炊きの煙も立ちかねる暮らしであった。イトは身を寄せる知り合いもなく、侘しい日々を送っていた。  村人を見ては、 「アホンダラめ。今に見とれ……」  と、悪態をつきながらも、 ——いつか飢えたとしても、食事をくれるヤツすらおらん。  と、心の内で思い悩む日々であった。  頃は収穫の季節。あちこちで稲刈りが行われ稲穂を干していた。赤蜻蛉が群れ飛ぶ秋の