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イスラエルに生まれたからと君は言った

留学に際して、"有意義な時間は過ごせましたか""言語以外で学べたことは?"等といった通過儀礼に等しい質問をぼくもされたことがある。
ようやっと、そこそこの大人になってきたぼくはその辺きちんと空気を読んで、"そうですね、異文化交流が出来たことです"だとか"国際的な友達ができたこと"とか"視野が広がった"とかそういった、ふんわりとした綿菓子のような回答をしている。
どれも間違いではない。嘘をつくのは得意じゃない。
だが、その異文化交流とはなんぞや、そこで得た"国際的な""広がった視野"が本当のところ何なのかと聞かれれば、(今のところ誰にも聞かれた事がないが)ぼくはあるひとつのエピソードを書かざる得ないだろう。


ぼくはある日の授業を忘れられないでいる。
「この中でラッキーと思う者は?自分をラッキーかアンラッキーか、どちらだと思う?」
「僕は自分をラッキーだと思う。僕のように変わり者で、偏屈な奴でも、虐められたことやハミゴにされたことが無いから。僕の国では"普通"や、みんなと同じということが好まれるんですが、僕はそうじゃなかった。にも関わらず、僕はクラスでいじめに合うような経験をしたことがない。いじめは今日、深刻な問題です。僕は仲間に恵まれていた」
「あなたは、あなたの国で変なタイプなのね」
「それは知らなかった。私はラッキーかな、お隣の国に生まれなかったから。そこに生まれていたら、今ロンドンに来れてない」
「他には?ファリッド、君は?」
「俺はアンラッキーさ、絶対アンラッキーだね」
「どうして?」
「俺はアラブ人なのにイスラエルに生まれたからさ。俺の故郷はイスラエルなんだ。なのに俺はアラブ人だ。ユダヤ人たちがどんなに俺たちのことを嫌っているか。俺に仲のいい友達がいたんだ。そいつは良い奴でよく遊んでたんだけど、そいつの親が良い顔をしない。そいつの親は俺の事が嫌いだったんだ、俺がアラブ人だからね。ユダヤ人ときたらすごいぜ、あいつら自分たちが神様だと思っていやがる。だから俺はアンラッキーだね、イスラエルに生まれたから、アラブ人なのにな」



ファリッドが言った言葉の意味について幾度も考えた。寒くなるイギリスの市街で、言葉の意味を考えた。
ファリッドは少し話を盛ったのかもしれない。それならどれほど良かったことだろう!
だって普通、そうじゃないか。教科書で、ユダヤ人が、可哀想だって、習うだろ。
実際、ファリッドは軽い感じのやつだった。お調子者で、先生からは小悪魔と呼ばれていた。
ファリッドとクラスが違って、ファリッドがどんな奴か知らず、そして小悪魔の意味もよく分からなかった時に問うたことがある。
「彼みたいな、よく喋る、人を茶化す、だけど憎めない悪気のないもののことをそう呼ぶんだよ」
……と、当時の僕にかなり聞き取りが難しいUK Englishでマーティンは教えてくれた。
そう言ったんだと……思う。

ファリッドはダンスが好きだった。
昔少し習っていたと言っていた。ブレイクダンスを。
曲のかかる午後の教室で、気ままに踊ったり、リンダがタップダンスを教えてくれた時も楽しそうに聞いていた。
17、8の頃、親が厳しくて夜は絶対出歩くなと言われていたけれど、窓から抜け出してクラブに遊びに行ったと話していた。
絶対親にバレてるぜとミヌーは言っていたけれど、いいや気づいてないね、毎晩のように抜け出してたけど母さんたちは気づいてないとファリッドは笑っていた。

実際、そういう奴だったんだ。
お調子者で、いつも笑顔のヘラヘラしたファリッド。僕はもうそんなに言葉の意味について、前ほどの頻度で考えなくなっていった。

Eltham校が12月末で閉鎖されることになったらしいから、僕たちは帰国か、別の校舎に移ることを選ばされた。
僕はVictoriaに移ることに決めた。
メイとファリッドは年末に帰るらしい。
Eltham校の生徒何人かもVictoriaに行く予定だったのでさほど寂しさを感じなかったが、こちらの習慣で12月も半ばになると次々と帰国したり、友達、恋人とどこかへ遊びに行ってしまった。

どんどん人数が減って、また年明けに会いましょうねと挨拶を交わし、ついに僕とミヌーとファリッドの3人になった。
相変わらずファリッドは軽口を叩くし、ともかく寒いんで暖かいコートが欲しいと言った。
僕も僕でなにか新しいセーターが欲しかったんで、3人で授業終わりにロンドンへ買い物に行くことにした。

さっさと買い物を済ませ、ファリッドはコートをゲットできたんだと思う。僕たちは最後にと、Eltham校の生徒行きつけのパブへ戻った。
本当に、1杯だけ、ジントニックを。

GPO,16th Dec

パブからアコモデーションに戻るまで、2本のバスに乗り継ぐ必要がある。
Lewishamでミヌーが降りて、僕とファリッドの2人になった。
思えばファリッドと一緒に帰ったことがない。初めて2人で乗るバスが、最初で最後になるなんて。
ファリッドはずっと、ホームステイ先の人に音声メッセージを送っていた。
「すげぇ良くしてくれんだよ、本当の親みたいにさ。それだけじゃないぜ、料理も合うし、話も合う。感じのいい人達なんだ」
「へぇ、最高じゃないか」
「俺、明日が最後だから、プレゼントを用意したんだ。ワイングラスだよ。ワインが好きなんだあの人たちは」
「素敵だね」
「ほんと良くしてくれた、いい人たちだった。君はまだ、残るんだろう?」
「うん、もう少しイギリスにいるよ」
「Victoriaに行くのかい?」
「ああ、Victoriaに。良いところだったらいいなあ、Elthamはずいぶんと素晴らしかったから。場所も、人も、先生たちも」
「そうだね、マーティンは最高だった」
「とても恵まれてたからさ、僕はとても幸せだから、向こうへ行っても頑張るよ、一生懸命努力して勉強する」
「頑張る必要なんてないぜ、ただ楽しめばいいだけ。そうだろ?気楽に、ありのままに、ただ楽しめばいいんだ。英語だってそうだ、なんだって頑張る必要ないんだ、楽しむことなんだよ、ただ気楽に笑って」
ファリッドは終始、笑っていた。
朗らかに、笑っていた。


僕が17、8の時、あんなに笑顔で過ごせていなかったな。もっと、もっと自分のことばかり考えていた。自分のことばかり考えていた割に、自分のことをよく知らず、愚かで人や環境ばかりを羨み、嫉み、自分を不幸だと信じていた。早くここから抜け出したい、神様お願い、と。
国が違う、宗教が違う、人種が、肌の色が、育ってきた環境が違う。ファリッドはもっと、もっと、根本的にどうにもならないところで苦労してきたんだと思う。
それは思い込みに過ぎないのかもしれない。なんらかの悟った人間を見た時に、ああこの人は苦労して修行された菩薩だと信じ込みたくなるのは日本人の性だろうか。
しかし僕は知っている。人の涙を見た時に、にっこり微笑んで、もう大丈夫だよ、嵐は今に去るんだから。あなたが胸を張っていないと、誰が虹を捕まえるのさと言ってあげられる人間は、その人の何倍も何倍も辛いきつい嵐に合ってきた人達なんだって。

今でも時々ファリッドの言葉を思い出す。
何が真実かなんてあまり教科書には書いていない。
トゥームレイダーになりたいわけでも、インディージョーンズになりたい訳でもないが、きっと真実は思ってるほど語り継がれてきたものでは無い。
本が好きで、小さい頃からよく読んでいた。
次第に活字と想像の世界に飽き足りて、もっと広い世界を実際に感じてみたいと思うようになった。
そうして僕はイギリスに来たわけだけれども、いわゆる異文化交流や日本にいて知らなかったこと、教科書通りじゃ無かったことってのは、食べ物がとか、性格がとかそういったものではなく、もっとこう、ふとした瞬間に感じた言葉で言い表せないような気持ちのことだと思う。それらをたったひと言、"素敵な異文化交流が出来ました"にまとめられるほど、僕には文才も教養も無い。

ファリッドは元気をしているだろうか。帰国したあとはトルコの大学へ通うと言っていた。親が俺をそちらに送らせるんだと言っていたけれど、始終ミヌーは君の家は本当に恵まれていて、素晴らしい親御さんだからそんなことをしてくれるんだと説得を試みていた。
知るかよ、って感じで笑うファリッドを思い出す。



その後何度かメッセージをやり取りした。
楽しむことがいちばんに大切で、過ぎたことを気にしないことが肝心だと言っていた。
日本人はどうしたって、頑張るとか真面目に、誠実に、死にものぐるいで必死に、ってのが好きだろう。ああ、僕もそうだった。ずっとそうだったし、今もそうだと思う。
こんなにお金をかけてもらったんだから、こんなに人が滅多にできないことをさせてもらっているんだから、こんなに自分は恵まれているんだからと肩肘を張ってガチガチに固まって死ぬ気の努力をすることのバカらしさを教えてくれたんだと思う。
そういう考えを、僕は生まれて初めて知った。
勉強でさえ、留学でさえ、お金もチャンスも人がとか自分はとか関係ない、ただありのままに、気楽に楽しむ。

"DON'T let the past hold you back, you'll miss a good stuff.......🖤✨️"

Fared


See u again.


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