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ちはやぶる

娘のピアノ教室へ行く道の途中に、楓の木がある。その楓の葉っぱが美しく色づき、落葉し、味気ないいつもの道を染めていた。それを見て私が「あ、あれみたい。ちはやぶる…」と言うと「あぁ、神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」と娘があとに続いた。

ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
――――在原業平

百人一首

百人一首十七番、在原業平が詠んだ有名な和歌で、奈良県を流れる竜田川に紅葉が流れている、この世のものとは思えないほど美しい景色が描かれた屏風を見て詠んだものと言われている。

私と娘が見たのは、奈良の竜田川でも屏風でもなく、ロンドンのなんてことない住宅街の中の道。なんてことないいつもの道で、娘とふたりで、平安の奈良に思いを馳せる。日常の中のこういう瞬間が、好きだ。平安でも令和でも、奈良でもロンドンでも、美しいものは、いつも変わらず美しい。
古典を読むことの醍醐味は、こういうところにあるのだと思う。千年の時間を越えても、海を越えても、変わらない美しさがあることを、そしてそれを美しいと感じる人の心もまた変わらないのだということを、古典文学は教えてくれる。

行きはまだ明るかった空は、1時間のピアノレッスンを終える頃には、とっぷりと暮れていた。日が落ちるのがずいぶん早くなった。行きは竜田川に見えた道が、帰りには、星でいっぱいの天の川に見えた。

紅葉(楓)は星に、竜田川は天の川に、地上は天上に、古典はファンタジーに。想像力がどこまでも広がって行く秋の夜長。竜田揚げでも食べようか。