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ボブ・マーリーの死因と息子の日本語

昨日、ボブ・マーリーの半生を描いた伝記映画「BOB MARLEY: ONE LOVE」を観た。
ボブ・マーリー、言わずと知れたレゲエの神様、ジャマイカのレジェンド。顔と名前、「One Love」くらいは見知っていたけれど、特に彼のファンだというわけではなかった。
なので、この映画を観て、初めて彼について知ることがたくさんあったーーーもちろん、伝記映画とはいえ、映画の中のできごと全てが事実ではないことを理解した上で。
私はてっきり、彼は銃で撃たれて亡くなったものと思っていた。しかし、銃で撃たれはしたものの、その時には死なず、後年、皮膚がんが原因で亡くなったということを、映画を観て初めて知った。

と、いうことを、帰宅後にこどもたちに話したら、息子が「え、がんで死んだなら、結局どっちにしても一緒じゃん。だって、がんでってことは撃たれたってことでしょ」と応えた。
私と娘は一瞬固まったのち、吹き出してしまった。
息子はどうやら、“がん”を“癌”ではなく“gun”と脳内変換したらしく、息子の頭の中では「ボブ・マーリーは撃たれて死んだのではなくて、gunで死んだ」と解釈し、それ故に「どっちにしても一緒じゃん」ということになったのだ。“勘違い”ならぬ“ガン違い”である。

少し前に、イギリスのチャールズ国王が癌を患われたという報道があり、そのときにも「チャールズ国王は癌にならはったらしいよ」という話を息子にしたような気がするのだが、その時には彼は“がん”について何もひっかかっていなかったので、わかっていないままにスルーしたのか、その時は理解していたのか、どうなのか…

いずれにせよ、息子にとっては、“がん”という音を持つ言葉でより親しみがあるのは、日本語の“癌”よりも英語の“gun”だということである。
イギリスはアメリカのような銃社会ではないので、本物に出会うことはないものの、小学生男子にとっては確かに、病気の“癌”よりも、銃の“gun”の単語の方が遭遇率が高いだろうから、まぁ息子の間違いもわからなくはない。

在英生活4年目に突入し、現地校に通う息子の英語力は、どんどんと語彙も増えて向上していくが、日本語レベルが追いつかない。家庭内と土曜日午前中の日本語補習校の時間以外はほぼ英語の環境にいるのだから、当然のことである。
息子は今、日本の学年だと小学3年だが、彼の日本語レベルは小2くらいかもしれない。同年代で日本にいる子と比べると確実に劣っているだろう。
しかし、そうなる環境に息子を置いているのは親である私なので、彼は悪くない。私が彼を笑ってはいけない。

日本語力の低下が気になるならば、日本人学校に通わせればよいのだけれど、本人はもうすっかり現地校生活に馴染み、友だちもたくさんいるので、今さら日本人学校に行きたくないという。それも当然のことである。

そんな中で、我が子の日本語レベルを少しでも向上させたいのなら、親が頑張って日本語環境を与える、日本語を勉強“させる”しかないのだ。
海外在住、現地校通いの子が、年相応の日本語レベルを習得するためには、本人の努力はもちろんだが、親の努力、協力度合いが非常に重要なカギを握っている。
私はどうかといえば…上述の息子の勘違いを引き起こしている有り様で、つまり努力&協力度合いが足りていないということだ。全く何もしていない、というわけではないが、特別に意識して日本語環境を整えているということでもない。
日本語の本をたくさん読むことが、日本語の習得に何より効果的なことはわかっている。私自身も本が好きだし、息子にも読んでほしいのだけれど、彼はあまり本に興味がなく、どうしても何もすることがなければ、本棚にある本を開いて読むことはごく稀にあっても、積極的に自ら進んで読書をすることはない。そんな小3男子に、本を読みなさい!とガミガミ言ったところで効果はない。お互いにストレスになるだけなので、それはもう諦めた。

日本語(主に日本語補習校の宿題)に関して、私が息子に意識して伝えていることは、
・字を丁寧に書くこと(漢字のトメハネ、バランス)
・文章を書いたら声に出して読むこと
・わからない言葉は(紙の)辞書で調べること
・家庭内では日本語で話すこと
このくらいである。どれもわざわざ意識することじゃなくて当たり前のことでしょ、と思われる方もおられるかもしれないが、それすらも意識しなければいけないほどに、息子の脳内はほとんど英語優位なのである。

“帰国子女”って響き、良さそうに聞こえるし、私も自分が帰国子女の親になるまではいいなぁと思っていたけれど、良いことばかりじゃないのが現実。
まぁそれでも、今の環境で生活させてもらっていることに感謝しているし、まだしばらくはイギリスにいたいとも思っている。

日本語の維持、向上については、いろいろ書いたものの、正直なところ、そこまで深刻な危機感を抱いているわけではないのん気な母なので、今、意識して伝えていることをそのまま継続しつつ、ゆるゆると見守っていこうと思っている。親としての努力協力態勢は、もちろん改善の余地があるけれど、まぁ、まぁ、まぁ、ね…ボブ・マーリーの言葉を借りて、“Everything's gonna be alright”でいきましょか。