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あの人の物語、聞いてみよう。Vol.2 近藤久美子さん

🌝月曜日のしょうこ🌝インタビュー
「あの人の物語、聞いてみよう。」

第二回目のゲストは、ロンドンを拠点に活動するアーティストの近藤久美子さんです。

久美子さんは、画家として油絵やアクリル画を描かれたり、作曲家として音楽活動をされたりしていますが、本格的に創作活動を始めたのは、40歳を過ぎてからだそうです。
アーティスト活動を始められた経緯や、ご自身の才能に気がついたときのお話などをお聞きしました。

◆ピアノと絵が好きだった幼少時代


--久美子さん、今日はインタビューにご協力くださってありがとうございます。
マルチアーティストとして活動されている久美子さんのお話をお伺いしてみたいなと、前から思っていたんです。
今日はよろしくお願いいたします。

久美子:
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

--画家、作曲家としての活動を始められた経緯などをお伺いしたいなと思っています。
小さい頃からそういうお子さんだったのですか?
ずっと絵を描いていたとか、ピアノが好きだった、とか。

久美子:
絵を描くことは好きでしたが、四六時中描いている、というほどではありませんでした。
周りから「上手だね」と褒められた記憶もあるし、得意だったとは思います。

ピアノは、小学校1年生頃から習い始めました。
父が転勤族だったので、2・3年ごとに引っ越しをして、その度に先生を探す、という感じで、途切れ途切れではありましたが、中学生まで習い続けていました。
小学校の音楽会や、卒業式でのピアノ演奏を頼まれたりするのが、嬉しかった記憶があります。 

--ピアニストになりたいから、ではなく、楽しいからピアノを習っていたという感じですか?

久美子:
そうですね。練習はあまりまじめにやっていませんでしたが、曲を弾けるようになったときの喜びは大きかったし、楽しいから続けていました。

中学生で一度ピアノを辞めたんですが、高校生になって進路を考えはじめたときに、「音楽の先生になりたい」と思ったんです。
でも、音大に行くという選択ではなく、教育学部や教育大学に進学して(音楽の)教員免許を取ろうと考えました。
試験には実技も必要になるので、それでもう一度、先生についてピアノを習うようになりました。
「音楽の先生になる」という目標を定めて進路を決めたんですが、その後に大きな転機がありました。

◆進路を変えた、父からの誘い


--大きな転機とは?進路を変えるような出会いですか?

久美子:
ある日、父親が「歌舞伎を見に行くぞ」って突然言ったんです。
母と行くためのチケットだったけれど、母が行けなくなったから、私を連れて行くことになったようです。
その公演を観に来られていたお客さんが、とても国際色豊かだったんです。
その中に、ドイツ人の親子がいて、私と同い年の女の子がいました。
そうしたら父から「君たち同い年なんだし、一緒にしゃべって待ってて」と言われました。
彼女はドイツ人だけれど英語も話せた。
でも、私は全く英語が話せなかったんです。

その時に、それまでの人生で味わったことのない衝撃を感じました。
「何も話せなくて悔しい!」と感じて、「私、英語やりたい!」となったんです。
それまでは「音楽の先生になる」と決めていたのに、「英語の先生になる」という方向に変わったんです。
音楽は、趣味として続ければいいや、と。
たぶん、音楽で生きていく、と一度は決めたものの、自分の音楽のレベルに自信がなかったというか、進路として、どこかに迷いがあったんだと思います。
結局、英文学部に進んで、英語の教員免許を取りました。

◆英語の先生になるはずが…自信を持てなかった


--お父様からの歌舞伎への誘いが、久美子さんの選択を大きく変えてしまったわけですね。
大学卒業後は英語の先生になったんですか?

久美子:
それがね、英文学部を卒業したものの、自分で納得のいくレベルではなかったんですよ。
自分の英語力に、まだ自信がなかった。
だから親に「留学したい」と言ったら、
「大学4年行かせたんだから、もうお金は出さない。行きたいなら、自分で貯めて行きなさい」と言われました。
留学費用を貯めるために、とりあえずアシスタント的な仕事をやりました。

1 年半後にその仕事を辞めて、カナダのバンクーバーに1年間の留学に行き、英語を教えるディプロマ(資格)を取りました。
資格も取ったし、ある程度は話せていたんですけど、やっぱりそこでもまだ自分の納得のいく英語レベルには到達していませんでした。
話せるけれど、人に英語を教えるレベルではない、と感じていました。

帰国後、英会話学校に就職はしたんですが、教員としてではなく、マネジメントスタッフとして採用してもらいました。
働きながら引き続き英語を勉強して、教えられる自信がついたら、先生をやろうと思っていました。

けれど、働きはじめたら、マネジメントの仕事が忙しいし、周りもそっちの方向でキャリアアップしていくだろうという雰囲気になっていました。
私自身も、仕事が嫌ではなかったし、役割をこなせていたし、その状況に特に不満もありませんでしたから。
気がついたら、校長先生を任されるようになったり、新規スクールの立ち上げに関わったりもするようになっていました。
営業も事務作業も、教えること以外のことは全部やりましたよ。
その会社には10年くらい勤めて、最後は本社の人事総務の仕事もやりました。
仕事にやりがいはありましたけれど、どこかで、自分のやりたいことではないな、という気持ちはずっとありました。
ストレスも大きかったですし。

◆夫との出会いが、アートに目覚めるきっかけに


--英会話学校を退職したきっかけはなんだったんですか?

久美子:
結婚ですね。夫と結婚したのとほぼ同じタイミングで、ロンドン赴任が決まりました。

実は、私の人生の中で、ターニングポイントが 3 つあるんです。
1つめは、先ほど話した、音楽から英語の道へ、と変わった瞬間。
2 つめが、夫との出会い。
3 つめは、コロナ(によるロックダウン)でした。


--ご主人と結婚して海外生活が始まったことが、大きな転機になった、ということですか?

久美子:
もちろん、それもなんですが、夫と出会ったからこそ、アートに目覚めました。
夫は、自分では描かないけれど、美術鑑賞が好きな人なんです。
だから、デートでは、よく美術館に行きました。
一緒にいろんな絵を観ているうちに、
「そういえば、私、絵を描いたり、工作したりするのが得意だったし、好きだったな」って思い出したんです。
それがだんだんと「私も絵を描いてみようかな」に繋がっていきました。
素人なりに「これなら私でも描けるんじゃないか?」って思うこともありましたし(笑)。
それで思い立って油絵の体験レッスンに行って、その日のうちに画材道具を一式揃えました。

いざ描いてみたら、意外と描けてしまった。
「あれ、私、できるじゃん」って。
これが“才能”ってやつなんじゃないか、と、その時に初めて感じたんです。
それまでの人生で、初めて得た感覚でした。
それからは、とにかく描くことが楽しくて仕方がありませんでした。


--すごいですね。それはまさに、“才能”ですね。
「描けちゃった」とは、なかなかならないですよ、私なんて絵心ゼロですから(笑)。
そして、体験レッスンに行って、すぐに道具一式を揃えてしまう行動力も素晴らしいです。

久美子:
本当は心のどこかに、「絵を描きたい」という気持ちがあったのかもしれません。
でも、英語を話せるようになりたい、話せたらかっこいいな、という憧れを強く持っていたので、その気持ちに気がつくこともなかったんだと思います。
描きはじめたら、もう描かずにはいられないというか、とにかく描くことが楽しかった。
けれど、その頃はまだ働いていたので、ただの趣味として楽しんでいました。

そうこうしているうちに、(夫の)ロンドン赴任が決まり、2014年に渡英しました。
そしたら今度は「また英語を勉強するチャンスじゃん!」となるわけです(笑)。
プライベートレッスンや、教会での英会話レッスンなどにも通いました。

翌年に長男が生まれたんですが、妊娠中も出産後も、絵は描き続けていました。
絵を描くことが、私にとっての癒しであり、ある意味では、現実逃避の手段でもありました。


--近所の公園や、身の回りの風景、ロンドンには絵になる場所がたくさんありますもんね。

久美子:
そうなんです。そういうものを趣味で描いていたら、お友達から、
「ロンドンで住んでいた家や、ゆかりのある場所を描いてほしい」と頼まれるようになって。
それで相手がすごく喜んでくれたり、評価してくれる様子を見て、「そんなに喜んでくれるの?」という驚きとともに、幸せを見出すようになりました。

そうこうしていたら、コロナでロックダウンになってしまった。

◆ロックダウン中に、アートを学ぶ


--先ほどおっしゃっていた、“第3の転機”の到来ですね。

久美子:
そう、ロックダウン中に、YouTubeをよく見るようになりました。
アートメイクの動画がおもしろくて見ていたら、自分でもやってみたくなって、使っていない化粧品を引っ張り出してきて、自分の顔でいろいろ遊んでいました。
誰にも会わないからいいやと思って、変身メイクをしていたら、家族には「プロレスラーみたい」と言われました(笑)。

それから、オンラインでアートの勉強を始めたんです。
メイクアップアーティスト、カラー診断、絵画、2年間かけていろんな勉強をして、ディプロマを取得しました。
それまでは、ほとんど油絵しか描いていなかったんですが、その時にチャコール(木炭)、アクリル、水彩、いろんな画材を揃えて、試しました。

アートに出会うきっかけをくれたのは夫ですが、オンラインでアートの勉強をするように勧めてくれたのも、やはり夫なんです。


--ご理解のあるご主人でうらやましいです。
アートメイクはご自身でも動画を作ったりされていたんですか?

久美子:
後押ししてくれた主人には、本当に感謝しています。

メイクアップ動画を自分で撮影して、インスタやYouTubeに載せていました。
そこでフォロワーさんも一気に増えました。

でも、ロックダウンが明けて、こどもたちの学校が始まってからは、送迎があるので、なかなか動画を撮影する時間を作るのが難しくなりました。
アートメイク自体はとても楽しくて好きだったのですが、まとまった時間を確保できないうちは、続けることが難しいなと感じて、思い切って絵を描くことに専念することにしました。
アートメイクがきっかけでインスタをフォローしてくださった方には、申し訳ないという思いも感じていますが、今度は絵で、フォロワーさんの心を動かせたら、と思っています。


--アートメイクしたままお迎えには行けませんもんね(笑)。

◆展示会への挑戦


--オンラインで絵の勉強をした後に、展示会を実施するようになったのですか?

久美子:
それはロックダウンよりも前ですね。
2017年かな、Borough of Ealing Art Trail(イーリング・アート・トレイル、以下、BEAT)という、毎年 9 月に行われるアートイベントのパンフレットを見つけました。
地域に住むアーティストが、それぞれのギャラリーや自宅を開放して、自分の作品を展示する、というものです。
こんなのあるんだと思って、近所の家やギャラリーを見て回りました。
そこでまた、「これなら私もできるかも」と思いました。
描き貯めていた絵も、かなりたくさんありましたから。

翌年、そのイベントに申し込んで、自宅で展示しようと計画を進めていたんですが、同じフラット(マンション)の住人に反対されてしまいました。
不特定多数の人が来るのはセキュリティ的に問題だ、ということで、結局、ドタキャン。
でもせっかくディスプレイもしたし、知り合いに声を掛けたら、何人かは見に来てくれました。
そのうちの友人の一人が、「私の家を貸してあげるから、今度はうちでやりなさいよ」と言ってくれたんです。

ルーマニア人の女性なんですが、息子を連れて遊びに行っていた近所のチルドレンセンター(日本でいう児童館のような場所)で、チャイルドマインダーとして働いている方でした。
その方とよく話すようになって、「あなた仕事してないなら、うちでボランティアしない?あなたのこどもも連れてきていいから」と頼まれて、彼女の仕事のサポートをしたりして、親しくなっていきました。

そんな彼女の言葉に甘えて、その後、3回、彼女の家を借りて、BEATの展示会をさせてもらいました。


--優しいご友人ですね。
BEAT以外でも、作品の展示をされているんですか?

久美子:
教会のイベントで展示させてもらったり、ある陶器作家の方が個展を実施するときに、「花瓶はあるのに花がない」となり、花の絵を描く人を探していました。
その時に、共通の知り合いが私を紹介してくれて、陶器と一緒に花の絵を展示していただいたこともあります。

来月9月15日(日)にも、BEATの一環としての個展を実施する予定で、ロンドンでの展示会への出展は、これで6回目となります。
今回は会場が広いので、どう魅せようかなと思案中です。
せっかくなので大きな作品も出したいな、と。
展示作品数は、100点以上あります。


--100点‼‼‼そんなにあるんですか。拝観するのが楽しみです。

◆とにかく、描きたい


--絵を描くのは、どういうタイミングで描くんですか?
目の前の景色とか、被写体があるから描きたいとなるんですか?

久美子:
もちろん、それもあります。
その場で描けない場合も、景色自体が絵になるかも、と思うと写真を撮っておきます。
その写真の数が膨大すぎて、後から選ぶのが大変なんですが。
全くゼロの状態から書き出すということは、あまりないです。
「描きたいな」と思ったら、スマホの写真データを見返して、描くものを探す、という感じ。
被写体としては、花など植物が多いですが、息子たちがサッカーを始めたこともあり、最近はサッカー関連の絵も描いています。

「とりあえず描きたい」という気持ちが、常に先にあるので、筆を持っていない日が数日続くと、ソワソワしてしまいます(笑)。

--なるほど。ひとつの作品にかける時間はどれくらいですか?

久美子:
作品にもよりますが、だいたい丸 1日あれば描けます。
描き出したら集中して、最後まで一気に仕上げたいタイプなので。
こどもを学校に送り出して、家に帰ったら作業着に着替えて、お迎えの時間までひたすら描いています。

久美子さんの作品

◆「自分のスタイル」を見つけたい


--基本的な絵の描き方は、先ほどおっしゃっていたオンラインスクールで学んだんですか?

久美子:
なんとなく独学で描いていたんですが、夫が「ちゃんと習った方がいいよ」と勧めてくれたので、オンラインスクールで一通り学びました。
使い方をよくわからないまま道具を使うより、ちゃんと説明書を読んでから使う方が効率がいいですよね、それと同じ感覚というか。
もちろん、手探りで、自分なりのやり方を見つける楽しみもありますが、私は学んでよかったと思います。
スクールで学んだことで、一通りの題材や画法を試すこともできましたし。

いろいろ試してきた中で、なんとなく自分が好きな方向性は見えてきましたが、今はまだ「これが私のスタイル」と言えるものを確立できていないので、それを見つけたいんです。
ひと目見て、「あ、近藤久美子の絵だ」と誰もがわかるようなものを描くというのが、ある意味、アーティストとしてのひとつのゴールかなと。


--ピカソや岡本太郎とか、私のような素人でも、ひと目見てわかる絵って、ありますもんね。
「自分のスタイル」を見つけることが、これからの目標ということですね。

久美子:
そうですね。
あとは、ただ自分で描き続けるだけではなく、これまで学んできた知識やスキルを、動画や教室などで人に伝えることも、将来的にはできたらいいなと考えています。

他には、「アートセラピー」にも興味があります。
絵画などの芸術表現を通じて心を癒す、というもので、心の不調やさまざまな障がいを持つ人の治療として注目されています。
私自身、絵を描くことが癒しであり、メディテーションでもあり、アートにはそういう力があると感じているので、老若男女問わず、アートに没頭できる場作りを提供したい、とも考えています。


--素敵ですね。アート教室を開くときには、英会話スクールでの学校運営の経験や、チャイルドマインダーのお手伝いをされた経験が活かせそうですね。

◆コロナをきっかけに、作曲活動もスタート


--絵画だけでなく、作曲活動もされていますが、こちらはいつ頃から始められたんですか?

久美子:
それも、コロナがきっかけです。

高校生の頃に「音楽じゃなくて英語をやる」と決めた後も、音楽はずっと好きだったし、ピアノは続けていましたが、あくまで趣味として楽しむ程度でした。

コロナのロックダウン中に観たYouTubeで、ある若いピアニストが
「バッハやショパンなどの伝統的なクラシックを、自分も引き継がなければいけない使命感がある。けれど、次の時代に向けて自分が新しいものを生み出していくことも、大事にしたい。何百年後かに引き継がれていくような曲を、自分たちが新たに生み出していくことも、音楽家として必要だと思う」
というようなことを話していました。

それを聞いて、“ビビッ”ときたんです。
家にピアノもあるし、「私もちょっとやってみようかな、作ってみようかな」と思ってやってみたら、なんとなく作れちゃったんですよ。


--絵の時もでしたけど、ここでもまた、「できちゃった」わけですね。
やっぱりそれも、才能ですよね。
作曲は独学ですか?どういう感じで作るんですか?

久美子:
私、クリエイター気質なんだと思います。

楽譜は書けないので、ピアノの前に座ってなんとなく弾いてみたり、ふとしたときに頭の中に流れてきたメロディーをスマホに録音しておいて、それを聴き直して、膨らませてアレンジしていきます。
シャワーをしている最中に曲が浮かんでくることが多いので、その時はバスタオルを巻いて、スマホに録音しています(笑)。

作曲を始めて3年間で、90曲ほど作りました。
鼻歌で録音しているだけのものも含めると、500曲くらいあります。


--そんなにあるんですか?!
私にはクリエイター気質が全くないので、ちょっと想像がつきません(笑)

久美子:
私も自分でそのことに気がついたのは、40歳を越えてから ですよ。
「アーティストとして生きていく」と腹をくくった、ということかもしれませんが。


--創作意欲、クリエイティビティはこどもだけのものじゃない、ということですね。
作曲家としての目標はありますか?

久美子:
自分で作った曲を自分で弾くよりは、誰かに演奏してもらいたいと思っています。
人前で演奏するのはものすごく緊張するので、私はやはりパフォーマーよりクリエイターだなと思うし、クリエイターに徹するべきなんだと思っています。

◆「作り続けることをとめられない」のが、私の才能


--ご自分の才能を最大限に活かす生き方に気づいて、それを行動に移されているところが、素晴らしいです。

久美子:
「ピアノを弾ける、絵を描ける」ことが私の才能なのではなくて、ピアノを弾くことや絵を描くことが好きで、「人より楽にできてしまう」ことが才能なのかな、と思います。
そして、絵も曲も、作品のクオリティはまだまだ足りていないのですが、「作り続けることをとめられない」こと、それこそが、私の才能なのだと感じています。

だから、こどもたちに対しても、それぞれの好きなこと、やり続けられることを、見つけてほしいと思うし、その才能を伸ばしてあげたいなと思っています。


--私も子を持つ親として、同じ思いです。
今後の創作活動にあたって、大切にしたいことはありますか?

久美子:
今は、AI 時代ですよね。
キーワードを入力すれば、AIが30秒で絵を描いたり、曲を作ったりしてしまうし、技術的には、既にAIが人間を上回っているかもしれない。
アーティストにとって、非常に難しい時代が来ています。
けれど、人の心を動かすのは、やはり人の感情や情熱という、人間にしかないものだと思っているので、絵でも曲でも、それを感じてもらえるような作品を作りたいです。


--そんな作品を期待しています。
まずは、9月15日の個展を楽しみにしています。
今日は本当に、ありがとうございました。


◇個展情報◇

Kumiko Kondo Art Exhibition
・日時:2024年9月15日(日)13:00-18:00
・場所:AGVA ( Acton Garden Village Association )
    The Pavillion, Alwyn Gardens, Acton, London W2 0JH
・入場無料

久美子さんのことをもっと知りたい方は、こちらからどうぞ。
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編集後記

久美子さんが「絵を描かずにはいられない。頭の中にメロディーが浮かんでくる」とおっしゃっているのを聞いて、こういう人のことを、“クリエイター”と呼ぶんだな、と納得しました。
一口に音楽家と言っても、作曲する人、編曲する人、演奏する人、いろんな人がいて、向き不向きがあり、音楽に限らず、様々な分野で、それぞれの方向からの取り組み方、向き合い方があるということにも、改めて気づかされました。

自分にどんな才能があるのか、どうやったらそれに気づいて活かしていけるのか、ということについて悩んでいる人も多いのではないかと思います。
かくいう私も、その一人です。
久美子さんのインタビューを通して、40歳を超えてからでも、新しい才能を発見することができるんだと教えてもらい、私にもまだ新しい可能性があるかもしれない、と勇気をもらいました。

同時に、自分の才能に気がつくためには、まずはやってみること、行動してみることが大切なのだとも感じたので、これから先、気になることやチャレンジしてみたいことが出てきたら、年齢を言い訳にせず、久美子さんのように、まずは一歩踏み出してみよう、と思いました。