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今を生きよう

昨日まで1週間くらいかけて、息子と娘と一緒に『エルマーのぼうけん』シリーズを読んでいた。
ずいぶん前から買ってあったのだけれど、2人とも読んでいなかった。先週末に息子が寝る前に「読んで」と持ってきて、私は「長いからめんどくせぇな」なんてちょっと思いながらも、自分がこどもの頃に夢中になって読んだ本を、わが子が読みたいと言ってくれたことが嬉しかったのと、"今"読まなかったら、もしかしたら、もう読みたいと思わなくなってしまうかも、それは寂しいしなと思い、めんどくせぇ気持ちを押しやって、読み始めた。娘も、その横で一緒に聞いていた。
就寝前の時間だけでなく、出先にも持って行って、ベンチで読んでほしいとせがまれたりもしていた。気になる場面で「今日はここまで」と言った時の名残惜しそうな表情や、最後のページを読み終わったときの、2人の嬉しそうな顔は、とてもかわいかった。

そして今日の夕方、息子に「おかーさーん。ヒマだから一緒にレゴしよー」と言われた。私はその時ヒマではなく「お母さんはやらなあかんことあるからできひんわ」と応えた。
しかし、ふと思いなおした。私がやっていたことは、確かにやらなければいけないことではあったし、早めに終わらせたいことではあったけれど、どうしても"今"やらなければいけないことではなかった。
でも、息子の一緒に遊びたいという気持ちは、間違いなく"今"湧き上がっている。それを後回しにしてはいけないな、と思い「やっぱり一緒にやろか」と声をかけた。息子は嬉しそうに「じゃあ何作る?」とレゴの箱をガサゴソとあさりはじめた。

私はレゴが得意ではない。レゴに限らず工作や製作全般が苦手なのだ。一緒にやろうと言ったものの、何作ろう…と考えていたら、昨日まで一緒に読んでいた『エルマーのぼうけん』の本が目に入った。目の前には黄色と青色のブロックがある。これや!と思い、作り始めた。
その出来栄えは、大人が作ったにしてはお世辞にも上出来とは言えないものだった。『エルマーのぼうけん』を読んだことがない人が見たら、それがりゅうだとは思わなかったかもしれない。
しかし、息子はすぐに「あ!エルマーのりゅうだ!ボリスだ!すごい!」と気付き、私が作ったりゅうに足りなかった羽としっぽと赤い角を付け足してくれた。そして「お母さんありがとう!めっちゃうれしい!だってお母さんがこれ作ってくれたから、エルマーに出てくる他のものも作ってみようと思ったもん!」と言って、パーツを探し始めた。
それを聞いて、さっきまでは「今はレゴの気分じゃなーい」と言って本を読んでいた娘も「楽しそう!やっぱり一緒にやる!エルマーの町も作ろう!」と言って、レゴの箱に手を突っ込んでいた。そしてそのまま2人であーだこーだと言い合いながらエルマーの世界を作り広げていた。

息子の"今"の気持ちを、ないがしろにしないでよかった。そのタイミングでその気持ちに向き合ったことで、結果的には息子だけでなく、娘も一緒に楽しむことができた。
『エルマーのぼうけん』を読みたい気持ち、レゴを一緒にやりたい気持ち、その2つの"今"の気持ちに、その時向き合ったことが、3人でエルマーの世界をレゴで作るという"その先"に繋がった。そしてその瞬間の楽しい気持ちが、私と娘と息子の心の片隅に、"あの時"として残るような気がする。

こどもはいつも、"今"を生きている。私たち大人は"先"ばかりを考えて生きてしまう。そして、過ぎてしまった"あの時"を後悔するのだ。
"今"に向き合い、"今"をまっすぐ生きることで、"あの時"を悔やむことはなくなるし、しっかりと"今"を見つめていれば、自ずと"先"はやって来るのだろう。来る前から思い煩うことなんてないのだ。

さぁ、"今"を生きよう。