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発達障害+精神疾患の私が生きていくためのメモ⓪はじめに~①作業と休憩サイクルの話

世の中のライフハック本を見ると、多くの著者がこう書いている気がする。
「タイマーを決まった時間つけてその時間は集中する」
こちとらその自分で決めた短時間すらも耐えられないから発達”障害”なのに。また、こうもよく書いてある。
「決めた休憩時間が終わったらまた作業を始める」
もう一度言うが、戻ってこれるなら発達”障害”ではない。一度他に楽しいことを始めてしまえばそっちに気を取られて今までやっていたことなど忘れてしまう、それが我々だ。

そんなこんなで私の特性は大学生活に多大なる支障をきたし、ここ丸一年は毎学期未提出課題の山に埋もれている。

二次障害で双極性障害まで患っている私ははっきり言って輝かしい就職など心のどこかであきらめてはいるが、このご時世である、どうか大卒だけは取りたい。このnoteはそんな私の悪あがきの記録である。思いついたときに思いついたことを記していくだけのものなので、はっきりいって私以外の人間には読みにくいと思う。が、私には圧倒的にワーキングメモリが足りない以上、せっかくうまくいった方法ですらもあっという間に忘れ去ってしまう。

そこで明日の私のためにも今日自分の特性と向き合って得た気付きを残しておこうという、そういう思い付きでこのnoteを始めた。継続というのも圧倒的な苦手分野ゆえ、いつまで続くかもわからないけれど、まあきまぐれに残したこの文章が、同じしんどさを抱える誰かが生きていくためのヒントになったらいいな、と願っている。


さて、今日の気づきとしては「ADHD勢ってやりたくないことするときにタイマー使うべきじゃないんじゃね?」である。だってタイマーなんかつけたところでやりたくないことに集中できるわけがない。ASD・ADHD両方に傾向がある私の経験では、我慢しても数分経った時点で今何分経ったか気になって仕方がなくなって残りの時間を確認し、「うわあと10分もあんじゃん、もう無理だしちょっとだけ別のことしーちゃお☆」である。そして3時間はインターネットの海におぼれて「たのちー!」ってなって帰ってこない。

え?意志が弱い?うるせえな。意志でどうにかなるならすでにどうにかなってる。(まあだから、『意志力』なるものを鍛えるとだんだんこういう決断のコントロールもできるようになっていくらしいんだけど、その話は今度に)

ちなみにだけど、この現象が生まれる一因は発達障害持ち特有の時間感覚のズレだという。要は「5分」「10分」「3時間」「1日」「2週間」といった時間の単位がうまくイメージできないので、「なんとなく時間なさそう」「なんとなくまだ時間ありそう」というような感じで『感情』に変換して認識してしまうが故、「この作業を後10分」や「この宿題の提出まで2週間」と聞いたときにその時間の量を実際より多く(または少なく)とらえてしまうらしい。

だからたった10分を実際より長く感じて嫌がったり、準備に実際必要な2時間を短く見積もったり、アレ2週間後だったはずの提出期限明日だぞ?みたいなことになりがち、らしい。


だからといってどうしようと思っていたのだけれど、最近ジョギングを始めて発見した。発達持ちが使うべきはストップウォッチであると。

まあ、私のジョギングはあくまでも健康維持のもののためなので、せいぜい15分歩き-30分走り-15分歩き程度のものだが、課題の10分が耐えられない私なので、当然30分も走るのが続かなかったのである。上がった息で「残り20分」などと表示されているのを見ればすべてのやる気をなくしてあきらめてしまう。ジョギングを続けた先の輝かしい未来よりも目の前の苦痛のほうが真に迫ってしまうのだ。

これが、カウントダウンではなくカウントアップで走った分数を数え始めてから改善した

要は、タイマーで30分とアラームをセットし残り時間を頑張るのではなく、ストップウォッチで今走った分数を数えて重ねていくのだ。

こっちのほうが、私には圧倒的に合っていた。まず、これはおそらく私のADHDではなくASDのほうの傾向から来ている特性なのだが、数字のキリが悪いところでやめるのが気持ち悪い。ちょっときつくてチラッとストップウォッチを見たときに、13分27秒とかだったりすると「いや15分までは耐えよう!」という謎のこだわりが湧いてくる。そうやって15分まで耐えてみると、あら不思議、「あれ15分ってこんなもんか?あと5分くらいいけるくね?」という気持ちになり、気づけば30分を超えて走っているのである。

ノルマ達成どころか、ノルマ以上の結果を残すことができるので自己肯定感も爆上がりする。また、仮にノルマが達成できずとも、自分が頑張った時間が視覚化されるので、「今日も30分走れなかった……私は弱い……」ではなく「まあ20分走れたもんね、悪くない悪くない」と思え、こちらの場合でも自己肯定感が下がらずに済む。いいことづくめだ。


この方法のもう一ついいところは、正しい時間感覚を測ってくれるものが目に見える場所にあることだ。もちろん、ずっと数字が動いているのも気が散るので基本視界からは若干外れたところにしまっておくのだけれど(パソコンで言うとタブグループとか)、「なんかめちゃくちゃやった気がしたけどまだ15分? 意外と15分でできることって多いんだなあ」とか、「おお、何回もやめようかと思ったけどあと5分だけって思って繰り返してたらもう1時間たってるじゃん!しかももう課題終わりそうだし、なーんだ、大変そうな課題だと思ってたからずっと先延ばしにしちゃってたけど2時間あれば余裕だったのか!」とか、いろいろ発見がある。

注意散漫と過集中を制御できないのはきっと私以外の発達障害持ちも持つ苦しみの一つだと思うけれど、とりあえず作業興奮*が起こるまでをストップウォッチで可視化し耐えることができるようになれば最低限課題を進めることはできる。

*作業興奮とは
何か作業を始めるとモチベーションが高まり、ドーパミンの分泌によって作業興奮状態になり、脳が「作業を続けるように」と信号を出してきます。 これを「作業興奮」と言います。 作業興奮に襲われると、作業を続けること自体が快感になり、作業時間が延びてしまいます

東洋経済オンラインのある一記事より引用

ちなみにだけど、日常生活のあらゆる動作の時間を測ってみるのも時間感覚を鍛えるのに役立つらしい。こちらは遅刻の激しい人におすすめ。もちろん一日ですべてを測ろうとすると疲れてしまうので、例えば一日に一回とか。

ちなみに私が今ここまで2700文字弱を書くのに使った時間は1時間15分程度だった。つまり、計算上、次のnoteを最低1000文字書くのに必要なのは、構想込みでもせいぜい30分程度ということだ。しかもこのnoteの場合構想というほどの構想もいらない、なぜなら思いついたまま書いているだけなので。

そう考えると、継続してnoteを書く心理的ハードルも下がったような気がする。なんてったって、30分が無理なら15分でもいいわけで。

さて、いい加減に課題に戻ろう。私が今現在手を付けている課題はなんと前学期の未提出物である。「先延ばし?そんなのみんなあるでしょ?」と笑う定型発達の皆様には刮目してみていただきたい、これが発達障害だ


最後まで読んでくださってありがとうございます!