スクリーンショット_2018-05-08_22

典型的な三角関係ストーリーでありながらも、陳腐さを抹消する間接表現と演出力が光る(「Nのために」第9話レビュー)

いよいよ安藤が切なくなってくる第9話。単純な二項対立にしてしまえば、過去に暗いものを抱えて生きる「陰」側の登場人物が多い中で、安藤が住むのは「陽」の世界。「罪の共有、それが杉下の究極の愛だ」に対して「それはただの自己満足じゃん。俺だったら一緒に償う」という真っ直ぐな正論で返す安藤には、「陰」でできた関係性の輪が見えない、入れない。正しい彼に作戦を共有しないのは、「陰」側の人物たちの心からの優しさゆえだが、結果的に安藤はいつも蚊帳の外となってしまう。誰よりも希美と深く繋がりたいと願う安藤は、希美や西崎の優しさ故にいつまでもその輪の中に入れないのだ。

ストーリーや登場人物を俯瞰して考えると、安藤・希美・成瀬はいわゆる「三角関係」であり、さらには「ただひたすら懸命に生きるばかりで、彼らの思いには気付かないちょっと鈍感女子」を追う2タイプ(しかも陰と陽に分けられる)の男子が募らせる切ない恋心、というのはウルトラティピカルテレビドラマ設定である。ただし、この設定を分かりやすく中心に置かず、時系列をばらしたり事件を挟んだりしながら、かなり間接的に描くことでキャラクター設定の陳腐さを抹消しているのが素晴らしい。陳腐さを抹消しながらも、世のテレビドラマ好き女子が「たまらない(まじ羨ましい)」と思わせるシチュエーションを残す、というのは実は物凄くテクニカルなことのかも知れない。

どれだけ安藤が切なくとも、やはり良いのは成瀬・希美シーン。今回はとにかく「抱きしめない」良さがキモ。ついに二人が触れ合うかという距離で、マフラーを巻くだけの愛情表現がただ憎らしいほどに良い。どうしようもなく好き。

今回、ようやく「さざなみ」放火の真実が明かされる。結論自体は少し拍子抜けするようなものだが、よく考えると「誰も傷つけない」「誰も悪くない」オチは湊かなえ作品で時々出てくる。「リバース」の最終オチは流石にそりゃないだろと思ったが、同じ系統ながら今回の「さざなみ」に関しては希美と成瀬、成瀬とその父、そして高野と夏恵の様々な気持ちが複雑に絡まっていたことは事実であるので、悪くなかったと思う。ただ、希美と成瀬の間で共有された「罪」のものものしさが、一気に薄れてしまう感じがあるのが少し残念。

余命宣告を受けた希美が、病院の庭で子供から手渡される四つ葉のクローバー。それを子供に返してしまう希美。今回はひどく切ないシーンに入るタイトルバックだった。音楽の入り方がまた切なさを増す。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

過去作品のDVD-Boxを買うための資金にいたします。レビューにしてお返しいたします!