『空海の風景』を読む
司馬遼太郎の書く真言宗の開祖・空海上人の話。
学生の頃、クラブの合宿とか何やらで各地に遠出が多くなったころようやく気づいのだが、全国あっちゃこっちゃの寺の由緒に弘法さんの名が出てくる。これは同時期に文芸学部の民俗学的な授業があって、弘法大師伝説というテーマに触れてくれたこともあり、無宗教のぼくも必然的に気になってた人物であった。
ときどき、司馬遼太郎はいんちき、歴史を捏造しとる、というアンチ司馬遼太郎派に出くわすが、彼らのほとんどは司馬遼太郎の小説を読まずに誰かの受け売りで非難しており、十代の頃から司馬遼太郎の歴史小説に慣れ親しんできた司馬文学ファンの自分からしてみれば「フェアじゃない」と思えてしまう。小説やん。司馬史観などというおおげさな褒め言葉がミスリードするんかもしれないが、願わくばアンチ司馬勢にも歴史小説のおもろさを一度堪能してほしい。
空海の風景は、タイトルにきわめて忠実な語り方をされていて、断章を繋ぎ合わせるようにして、空海像をかたどっていくタイプの小説で、ところどころの作者の考証に都度、ぐいぐい引き込まれる。司馬遼太郎の想い想いの語りにつられて読者の想像も、現代と過去を行き来する。
一番印象に残ってて、かつ一番読み返すのは、司馬遼太郎が孔雀を見に行くシーンである。話が突然現在の話になって(こうゆう揺り返しは物語の興を削ぐ場合もあるが)、司馬遼太郎が書斎にタクシーを呼んで、近場の動物園に行くのである。えっ、なんで?といぶかりつつ読み進めると、「孔雀は毒に対する耐性があって、毒蛇でも食べることが出来る、だからインドでは聖なる鳥とあがめられて、空海の完成させた真言密教でも孔雀は重要なモチーフとして扱われており」と考察が続いて行き、話が平安時代にまた繋がるのである。
今、引っ越し直後の混乱期が続いてて、本書「空海の風景」が手元にないのでかなりうろ覚えで書いてる。そのためディテールの記憶違いがあるかもしれないが、おおむねそんな感じだった。
司馬遼太郎は高野山にも行く。その景色に、青味がかかった通りの光景に八世紀の、全盛期だった唐の風景はこんな感じだったのではないか、と想到する。ぼくも学生時代に、一度衝動的に高野山に行ったことがあり、その青味には違和感が確かにあった。そして、あれは唐の街の色彩だったのかと、物語「空海の風景」を介して歴史のつらなりを実感させられて、にわかにテンションが上がった。