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大学卒業後、家政婦募集の広告ばかり見ていた

学校の成績はそれほど悪くなかったので、仕事というものの大人になったらできるものなんだろう、と学生時代はなんとなく考えていました。

大学に入ってはじめたコンビニのアルバイト。
コンビニって、とてもポピュラーなアルバイトで、老若男女問わずいろんな人がやっています。
一番ハードルが低い、と思っていました。

ところが!わたしはまったく仕事ができませんでした!!
まず、仕事の内容が多い。

レジも普通の商品のほかに、たばこはたくさんの種類の中から言われたのを取ってお会計しなくてはいけないし、宅急便の受付や、公共料金の支払い、チケットの受け取り、当時は写真の現像などもありました。
時間になったらおでんの仕込みや、肉まんを蒸し器に入れる、揚げ物を揚げる、商品を補充する、賞味期限の近いお弁当を回収する、など様々な仕事がありました。

わたしはいろんなことを同時にやるのが、小さいころから不得意です。
アイスクリームを食べながら歩く、なんてこともできなくて、アイスを落としてしまうかつまずいて転んでしまうくらいです。

それなのに、レジに商品を持ってきたら、電気代の支払いの紙を渡されて、
さらに「マイルドセブン」なんて言われると、もうそれだけでやることが3つなので頭の中はパニックになります。
同じ時期に入ったバイト仲間がどんどん上手になるのに、わたしはいつまでも仕事ができないままでした。

大学を卒業しましたが、わたしはスーツを着て、会社というものに毎日通って仕事をするイメージがどうしても持てませんでした。
でもお金は必要だし、何ができるだろうと思うと、家の掃除くらいしか思いつきませんでした。
子どものころから、家事はよく手伝ってきたのでまあできるだろうと思ったからです。

一時期、よく新聞の「家政婦募集」の3行広告ばかり見ていました。
四年制大学を卒業して、まわりの友人たちは名の通った大企業や官庁に就職したり、自分でベンチャーを立ち上げていました。
いまこうやって家政婦募集の広告ばかりみているのは、きっと自分くらいだろうとくらい気持ちになりました。

わたしの両親はわたしが小さいころに独立して、自分の会社を経営しています。
自分もキャリアというものを積まないといけないな、でもできる気がしないと思っていました。

母はずっと仕事をして会社を大きくしてきた自負があり、専業主婦にたいして厳しいところがありました。
わたしが一時期専業主婦だったときに、
「専業主婦なんてしていると頭が腐るわよ」と言われて絶句したこともあります。

その後、パートナーの熱意に引きずられる感じで、起業し、ベビー用品の会社を14年続けています。
わたしは夢を語ること、行動すること、人と会うことが大好きですが、プランを実行に移して製品を作り上げるところ、細かな詰め作業が苦手です。
苦手でもやらねばならないこともありますが、そこは相談しながらバランスを変えられるので、自分の気持ちに合わせて仕事ができています。

スキル、という点ではわたしは大したものがありません。
スキルという観点では、家政婦はわたしにあっていたかもしれません。
でもわたしの得意で、気持ちもあがる、夢を語ること、行動すること、人と会うこと、という点については十分ではなかったでしょう。

40代に入って初めて、わたしは人に元気を与えるような仕事をしていきたいと思うようになっています。
だれかが決めた枠の中に、ぎゅぎゅっと自分をはめようとするのではなく、形の定まらない粘土のような自分のままで、できることがきっとあります。

数年前、「伝説の家政婦」タサン志麻さんを特集したNHKの「プロフェッショナル」を見ました。

料理人を目指して同期の誰よりも熱心に勉強していたという志麻さんが、いろんな事情で選んだ仕事が家政婦でした。
その時に、自分が情けなくみじめだったと話していました。
でも、今や彼女はたくさんの本を出し、テレビに出演し、料理人以上に活躍している料理家なのは誰もが認めるところです。

人生は冒険。
職業は自分自身。
そう思ったら、仕事や自分の生き方は無限大に広がります。

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