齋藤美衣
ある日、突然世の中の基準がダンスになってしまったら。 誰が優れている、何が正しい、世の中の基準は本当に正しいものなのか。 基準が変わったことで翻弄される人々を描くことで、社会の在り方をあらためて問う小説。
お化粧がずっとできなかった。 まず、どうしてするのかがよく分からなかった。 そして成人式で初めて他人に施されたお化粧は、たいそう気持ちの悪いものだった。 べったりしたものが顔の表面全体を覆って、息というものがぜんぜんできない。 世の中の女の人は、こんな苦痛に耐えているのかとおどろいたものだった。 お化粧というものが何のために必要で、いつからするべきかを誰も教えてくれなかった。 それなのに、みんなどの時間の隙間にそんなことを覚えたのか、大学生にもなるとお化粧をしている人がち
朝は5時に起きて、まずお米を研ぐ。 それから着替えて、顔を洗って、エプロンをきりりと締めてお湯を沸かす。 春休み初日から、次男は学校の春季講習が毎日4時間あってふだんと何も変わらない。 お弁当を作る。 塩壺に塩を入れようとしたら、うっかりこぼしてしまった。 もうその頃には、おもては半ば明るい。 台所の窓からもうすあかりが感じられる。 塩の粗い粒はそのあかりの中でことさら美しく光っている。 塩をこぼしたのもまたいいかもしれないと思うように、かがやいている。 通院の日だっ
朝起きて着替えて顔を洗ったら、お湯を沸かす。 お湯が沸いたら、白湯を一杯飲む。 あたたかい湯をごくりごくりと飲むと、体のあちこちにその温度が行き渡る。 体のすみずみまで湯が届く。 わたしの体がどこまであるのか、よくわかる。 いつも思ったよりも遠くまでわたしの体はある。 体がずいぶん遠くまで伸びているさまを感じて、わたしは愉快になる。 ところで、わが家では白湯のことは「おぶちゃん」と呼んでいる。 以前、ある地方では白湯のことを「おぶ」と呼ぶと聞いたことがある。 その響きがい
きのうからさみしい。 さみしい、とてもさみしい。 さみしいが極まって、途方に暮れる。 夫に「わたしはとてもさみしい」と言ってみる。 「そうか」と言って頭を撫でてくれる。 本を読むげんきもなくて、ベッドにもぐり込む。 夫の側に枕を持参して入る。 いつの間にか眠ってしまっていた。 夫がわたしの脇に入ってきて、目が覚めた。 すこし眠っても、そして目を覚ましても、さみしい。 眠っている間は、さみしくはなかったけれど、人に責められている夢を見ていたのでくるしかった。 夫がわたし
昼ごはんにぶどうパンを食べてから、散歩へ出た。 わたしは運動のための運動がきらいだ。 運動のためではない運動は好きだ。 だから散歩は、散歩のための散歩ではなく、何かしらのちいさな用事を作って外へ出る。 今日の用事は、コーヒー豆を買うことだった。 とても天気のよい午後だった。 わたしの前を男の人が歩いている。革ジャンに深緑色のキャップをかぶっている。耳たぶには直径2センチほどの真ん中に穴の空いたピアスが嵌め込まれていた。 ぼっかり空いたピアスの穴から向こうが見えそうだった
歯医者の椅子の背もたれがゆっくりと沈む。 深海の中に潜っていくようなうっとりとした恍惚感に、わたしの背中は倒れていく。 わたしは歯医者の椅子がとても好きだ。 あの椅子に座って背もたれが倒れていくとき、よろこびが体をめぐる。 なんてきもちよいのだろうか。 口を開いて、何かされているのを忘れるくらいの快楽だ。 3ヶ月に一度の検診の日だった。 今日の歯科衛生士さんは初めての人で、もの静かな方だった。最初に行われる歯茎のチェックも、金属の器具をやわらかく当てる。やり方もゆっくりし
電車に乗っていた。 電車に乗るときは、ぼんやり外を見るか本を読むかのどちらかである。 わたしの向かいのシートにもぎっちり人が隙間なく座っている。みな手には長方形のスマートフォンを持ちそれを宙に浮かせて、指先を滑らせながら、滑らせながら何らかをみている。 スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、であったシートに途中で変更があった。 一人が席を立って下車して、別の人が乗り込んで来て座った。 その結果、ス
朝は5時に起きて、着替えたらお弁当作りをする。 以前は6時でよかったのに、高校2年生の次男が「1時間早く学校に行って、静かな教室で勉強したいから、朝ごはんを1時間早くしてほしい」と言い出した。 1時間朝を早くする、ということの大変さをきっとわかっていないのだ。 わたしは憤慨して、ずいぶん強硬に反対した。 勉強のしすぎは体にわるい、とか、朝はしっかり眠ったほうがいい、とか、みんなが勉強するからって影響されてどうする、とか、そんなに勉強したいのなら自分の部屋で1時間早く起きて
友に小包を送った。 中身はパンと本である。 ここ数ヶ月わたしが依存して毎日くり返し食べているぶどうパンを、友に送ろうと思った。 冬のことである。 関東から四国まで。ぶどうパンを送った。送料はたぶん1500円くらい。パンより高い。 このぶどうパンはとてもおいしい。 ぶどうパンのありようを超えないが、そのぎりぎりのやりすぎでないほどの量の干しぶどうが入っている。 わたしはぎりぎりのものが好きだ。 なぜか。ぎりぎりのものは生きている感じがする。 なまぬるいものは、ただただたい
くり返すたちである。 テレビ番組の「NHK短歌」を録画していたのを見た。 吉川宏志さんの回で、テーマは助詞だった。助詞はけっこう好きな方だ。 吉川さんにわたしは見えていないので、最初はソファでごろごろしながら見ていた。 司会は尾崎世界観さん、ゲストがいしいしんじさん。このお二人の作品も挙げながら助詞の話は深まっていく。 おもしろくて途中からついつい起き上がって見る。 たまらなくてもう一度番組を最初から見る。 番組の中で尾崎世界観さんのバンド、クリープハイプの「本当なん
まひるまの台所で、レタスの球をひらく。 レタスはとうめいのぱりぱりしたビニルに包まれている。あれはどうしてなのだろうか、レタスのおへそあたりのビニルのつなぎ目がぎゅっとくっついていて、気をつけて開いてもふかく亀裂が入ってしまう。 レタスのビニル袋はレタスの葉のように繊細で、ひらいてふたたび使うことができたためしがない。 レタスの葉は冴えざえとした青だ。 キャベツの外葉のように、相手を喰ってやろうというほどの力に満ちた青ではない。 どこまでも鮮やかの許容範囲をやや控えた色合
春先はなんだかくすぐったい。 頭の中にじじじじ、と虫がかすかに鳴いているような気もする。 じじじじ、はときおり止まって、ふたたびふいにじじじじ、と鳴る。 スーパーに買い物に行った。 スーパーは苦手な場所の一つで、それなのに定期的に行かなくてはいけないことにしばしばうんざりする。 開店前にお店についてしまい、平日の8時半なんて時間にだれもいないだろうと思って10分ほど前に入るとかごを持って力みなぎる感じで並んでいる人々がいて気圧される。 4人分の1週間の食品を買わねばなら
降り止むのを忘れてしまっているのではないかと思うほど、雨が降っている。わたしはたぶん薄情なので、すぐに雨でない天気がどのようなものだったか思い出せなくなる。 雨の音を聞きながら、ぶどうパンを一枚トーストする。 一度パン屋さんが間違えて、一斤を6枚にスライスするところを5枚にスライスしてしまった。それを買って帰って食べたときに「しまった」と思った。5枚にスライスされたぶどうパンは、贅沢にとてもおいしいのである。 こんなに世の中においしいものがあってよいのだろうかと思いながら
雨が降っている。 雨が降っている。 雨が降っている。 切れ目というものがない。 次から次へと降る。 庭の犬は、生まれてこのかたいいことなんて一つだってなかったという顔をしている。 犬小屋の中で可能な限り身を丸く縮めている。 春先の雨は、それがしつこくても、寒くても、降り止まなくてもやや甘やかな感じがする。 カレーを作る。 カレールーで作るいわゆるカレーライスをいつからか夫は好まなくなった。 だから作るのはルーを使わないカレーだ。 一番かんたんなのがチキンカレー。かんたん
日中の予定がぽっかり空いた。 空いて欲しくて空いたわけでもなかったけれど、まあ外へ出てみようかと思った。 昨日は異様なあたたかさだったのに、今日はきちんと寒い。 ずいぶん薄情な感じの天候だと思う。 ウールのしっかりしたコートにカシミアの手袋、きもち良いスカーフを巻く。靴下はぜったいに分厚いものを、水が染み込まない靴もたいせつだ。 電車に乗ってヴィクトリアケーキを食べに行こうと思ったのに、芸術的にうつくしいヴィクトリアケーキを提供するお店は今日は休みだったのだ。 仕方ない
まひるまの京急線に乗っていた。 わたしは京急線をひそかに支持している。一部にはどうしたのだと問い詰めたくなるような名前もあるものの、押し並べてすばらしい駅名が多い。 黄金町、日ノ出町、生麦、花月総持寺、八丁畷、六郷土手、雑色、梅屋敷。なんとかヶ丘とか、ひらがなの花の名前とか、そういうたいくつなものに変えられることがないように、ぜひともこの名前をずっと聞いていたいものだと思う。 あたたかい日で、電車の窓があけられていて、そこから強い風がときおり吹き抜けていく。 普通電車の座