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うまい話にご用心 : 辻褄が合うことの持つリスク

バーナム効果(誰にでも当てはまることが、自分にとって特別に思える)のように、我々の主観は他者から好ましくない影響を受けます。とくに危険なのは「辻褄が合うこと」「矛盾がないこと」を重視し過ぎることです。

例えば、封建時代の日本をはじめ、封建制度と輪廻転生と因果応報の関係とても相性がいいです。今、苦しんでいるのは、あなたの過去に原因があり、その報いである(因果応報)。あなたが現世で功徳を積むと来世でいいことがある(現世では報われない。空手形のような報酬で我慢させられる)
この構図は社会構造の欠点など、個人の責任ではないことを、身に覚えがなく証明も出来ない過去の因果で説明がつくため、支配する側は何も改善せずに済みます。

輪廻転生と因果応報は、とてもうまく説明がつきますが、前世や来世の事実確認が行えないので、これはフィクションやストーリーテリングの上手さに分類出来るかもしれません。

また、文脈の力と予言の自己成就やプラシーボも理解すべきです。状況や心情をうまく説明できる何かがあったとして、そこに文脈の力は働いていないでしょうか。前後の関係や状況から、意味を読み取ることに、私達は慣れています。
よく当たる占いがあったとして、それは予言の自己成就やプラシーボの効果は関係ないでしょうか。関係があるとしたら、占いを当てているのはその人になります。

辻褄が合うこと、矛盾がないことは、複雑で矛盾に満ちた現実を調整せずに済むから、楽です。

例えば小説や映画を楽しむのなら何も問題はありません。対して、伝統的な宗教が失った影響力を、代替物で埋め合わせるのなら、落とし穴もあります。帰属意識一つとっても、スポーツチームを応援したり、スタバに通うことなど、人生にダメージの無いものと、カルトや他者を利用して稼ぐ人達の獲物になることでは、後者のリスクは大きいですから。

例えば、地下鉄サリン事件の実行犯になった、元医師の林郁夫は、麻原彰晃を探し当ててしまっています。彼にとって、医学は説明がつかない(問題解決できないことがある)けど、新興宗教は答えをくれるように見えたのでしょう。でも、自分の人生を失うだけでなく、取り返しのつかないことをしました。

人文リテラシーが弱いとか、想像力の欠如を指摘しても、真面目なタイプが信じ込むことを回避するのは難しいと思います。それよりは、そもそも「辻褄が合うこと」自体を警戒してみるのはどうでしょう?

我々は愛憎半ばする葛藤を知っているし、そういう個人が集まって社会が出来て、さらに社会は複雑な自然の上に都市を形成しているのだから、現実は割り切れなくて答えはなかなか出ないはずなのですから。「うまい話」は儲け話だけではない、かもしれませんね。

Thank you for taking the time to read this.