ダブルスタンダード : 遅効性な毒、理由3点
①
僕らは公平でありたいし、善良でいたいし、論理的でいたい。けど、矛盾を抱えます。例えばダブルスタンダード。恣意的な基準の運用ですよね。状況や行動は同じなのに、異なる基準・原則を用いてしまう。悩ましいことに、ダブルスタンダードと人の間に矛盾が有ります。柔軟な対応と紛らわしいです。また、一見、自己の利益を最大化するように見えます。
②
論理的に確認しましょう。例として、『Aはいけないと主張したのに、自分が行うAは「良いA」と扱う』のなら、ダブルスタンダードです。論理式で記述すると、P ∧ Qと表すことができます。
P: ある人がAはいけないと主張
Q: その人自身はAをする
③-1
「ご飯が食べられなくなるから、間食はいけません」と幼い子に指導した保護者が、甘いもので休憩していたら、幼い子は釈然としませんよね。(保護者の方からすると、別な話なのですけれど。大人は食事に響かないし)
あるいは、自販機で140円払えば購入出来るぶどうジュース(350ml)に対して、なぜか「トラガラなら1400円払え」と言われたら酷い。誰ですか、こういう意地悪を自販機に教えるのは。
これらのケースでは、先の論理式のPとQが矛盾しています。
③-2
矛盾と論理をもう少し確認しましょう。
ヘーゲルの弁証法は、矛盾を止揚で新たな視点にしてしまいます。ですが。
テーゼ
α : 猫は可愛い
β : 猫は可愛い
アンチテーゼ
α : ペット可の部屋ではない
β : ペット可の部屋ではない
ジンテーゼ
α : ペット可の部屋に引っ越して猫を迎える
β : みんなやってる、バレない(隠れて飼育)
「β」の例を確認してください。ダブルスタンダードを行うと、弁証法が破綻します。
https://sl.bing.net/d6hb95u05hQ
矛盾律 (Law of Contradiction)の場合
論理式: P ∧ ¬P
「∧」「かつ・論理積」が使われています。
例 : 猫かつ、猫でない。
必ず偽になり、矛盾するから、矛盾を避けたい時に機能します。ChatGPTが挙げた例だと、夢うつつはあるし、降るのか降らないのかはっきりしない重い灰色の空もあるし、意見が割れる時を想定すると、そこそこ日常にありますね。
排中律 (Law of Excluded Middle)の場合
論理式: P ∨ ¬P
「∨」「または・論理和」が使われています。
例 : 猫または、猫でない。
論理積が論理和になっただけで、今度は必ず真になります。トートロジー的ですね。また、「何々以外のすべて」を扱えるから、漏れがあるとまずい、保険やガイドラインなど、そしてプログラムのif else文の条件分岐で使われています。ChatGPTが挙げた例だと、今度は冗長な表現ではあるけど、すべて意味が通ります。
私たちは、弁証法も矛盾律も排中律も、意識せずに使っています。ちょうど、考える時に、帰納法や演繹法を、そうだと意識しないことと似て。
ダブルスタンダードを使うより、これらを活用した方が合理的だし、得るものがあると、私は考えます。
④
結果や実用性を重視するプラグマティズムの視点で、ダブルスタンダードとその結果を考察すると、以下の問題が起きます。
なお、倫理的な観点は言及していないのが、本稿の意図です。仮に、倫理を共有出来ない方とも、共有出来る「角度」を探しています。
A : 一貫性がなく恣意的な基準を持つと、信頼性を損ないます
B : 公正でない・恣意的だと感じる方との、摩擦や関係性の悪化が予想できます
C : 上記2点に当てはまらない、つまり外からダブルスタンダードだと気付けなくても、一貫性を持たないから迅速な意思決定を行いにくくなります
信頼性を損ない、社会などと摩擦を生むことで、ダブルスタンダードを用いる方は、「なぜ自分だけ?」と、マイナスのスパイラルに陥る可能性があります。気がつけば、人も離れていくでしょう。この方は、誠実さを保てるでしょうか。恣意的に基準を運用してしまうことは、他人に厳しく自分に甘いとも言えます。
個人であれ、組織であれ、信頼性を損ない、自分に甘い状態が続けば、「詰む」でしょう。
⑤
「④」のA・B・Cを考慮すると、ダブルスタンダードは大きなマイナス面があることを、確認出来ます。プラグマティズムは、倫理的な観点だけでなく、実用的な行動としても一貫性と公平性を重視しますから。もちろん、倫理面は保留して考察しています。
この文章を書いている私も、必ずほころびや矛盾を持っています。完璧はあり得ない。だからこそ、他者と交流するのでしょう。お互いにフィードバックし合える。自分で批判的に自身を客観視出来ているか、教えてくれるのは、他人や社会です。この点で、表現することは、鏡を見ることと似ています。
文化や社会的背景に起因する、ダブルスタンダードもあります。例えばジェンダー格差を是正しようと、取り組みがありますよね。不公正なことも、時間をかけて改善を続けています。
社会の単位で見ると、法であれ人種であれ、ダブルスタンダードは偏見や差別の問題だから、とても深刻。
時間がかかりすぎると苛つく日もあるかもしれません。けど、上の世代から諦めずに引き継いだから、明治時代と比較したら進歩しています。我々が諦めることは、次世代の心も折りかねません。だから、個人的に上の世代にされて嫌だったことは、下の世代に行わないよう努めています。これは、暴力の連鎖を断ち切るのと似た取り組みで、個人が行える最良の貢献の一つだと思います。
ダブルスタンダードは損だと、気付いた人から手放していくことで、世の中の不合理を減らせるように思うのです。結論は、プラグマティズムではなく、理想主義的です。ただ、理想は目的にもエンジンにもなるので、プラグマティズムの観点で悪いものでは無いですよね。
資料
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