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三歳の七五三

着物は知り合いの方からのお下がりだったが、白地に赤い模様の鮮やかな晴れ着だった。髪の毛はおかっぱに大きな白い飾りを付けられた。

初めての着物は窮屈だった。足袋も草履もいつもと違う履物に嫌々感がMAXだった。その格好で1キロ以上も商店街の続く道をお寺まで歩かねばならなかった。三歳の七五三は辛かった思い出として今でも覚えている。

長い長い商店街のちょうど中央辺りに銀行があって、その辺りから頭に付けていた大きな飾りが何度も落ちた。歩くと落ちる歩くと落ちるを繰り返し、嫌々MAXにイライラを募らせた。三歳の子供ながらに、何故今日に限ってこんな格好をして歩かされるのか不思議な行事のひとつとなった。

通り過ぎる大人たちは「七五三!」という喜々とした表情を投げかけるが、嫌々MAXな私はその表情に応えるどころかかなり不細工な表情を浮かべていたのだろう。後ろから「あらあら」と何度も頭の飾りを拾うおめかしをした父と母が付いて歩くが、時折苦笑の様な笑いの様な声を上げてその商店街を歩いていた。

この街へ他所から来た人は必ず「今日はお祭りですか?」と聞くほど毎日がお祭りのような賑やかな商店街が踏切を挟んで東西に続いていた。

露天のしじみ屋さん、通路まではみ出して出店する八百屋さんのようなスーパー。格安のドラッグストアにおでんの具を売るおでん屋さん。靴屋さんに用品屋さん、ケーキ屋さんに果物屋さん。何でもかんでも揃っていてこの街の商店街で全部揃った。土日の夕方はごった返す人々で、細長い商店街が混雑し余計に狭く感じるほどだった。当時は歩行者を上手く交しながら自転車もスイスイ通り過ぎた。その様はお祭りそのもの。「いらっしゃい!いらっしゃい!」の八百屋さん独特の声が飛び交う。そんな街で私は三歳の七五三を迎えた。

当時はお寺でも写真屋さんで写真を撮っても、知り合いの酒屋さんからもお祝いにと千歳飴を貰えた。気付くと五袋位千歳飴の入った袋を下げることになった。三歳児が全て持てる訳もなく千歳飴の袋を父が下げることになる。

お寺での儀式を終え、再び商店街を練り歩き七五三の行事を無事終えた。帰りは歩き慣れたのかシャンシャンシャンと歩き三歳児ながらに頑張った記憶がある。とにかく早く着物を脱ぎたくて脱ぎたくて仕方なかった。七五三の写真には着物を脱がして貰った後の襦袢姿も写っている。商店街を中心として左右に拡がる住宅街の古い借家で七五三をやりきった三歳の私が今も写真の中で笑っている。

長い商店街を練り歩いたのは、ここまで元気に成長出来ましたという街や地域への感謝の意味も含まれていた様に今となってはそう思える。

そして私はこの街を離れた後にこの街が好きだったと懐かしむ時が訪れるのだった。そのお話しはまたいつか。


#この街がすき

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