fatwreck

主に鑑賞した映画の感想を書いています

fatwreck

主に鑑賞した映画の感想を書いています

最近の記事

  • 固定された記事

FGO LB7 『ナウイ・ミクトラン』 〜この星があなたに届きますように〜

「嘘つきばっかりなんだ。気持ち悪いなあ」 誰もが平等であって、誰もが特別じゃない。 そんな汎人類史の価値観に対して、アルトリアが胸に抱いた正直な感想。 足りないものが多い人間という知性体は、他人より優れていたいという飢えを抱えながら生きている。 妬み僻みで足を引っ張りあっているのに、耳触りのいい”理想”を標榜することでその醜悪さを誤魔化す態度。 どうあれ差は生まれる以上、誰かを踏みにじりながら生きていかざるをえないのに、その現実から目を反らして拙い夢を見る無責任さ。 彼女

    • 映画『SUPER HAPPY FOREVER』 風が吹いている

      風が吹いている。 海が眩しい。 波の音は鳴り止まない。 無いということを、確かめる術はない。 探し続ける以外には。 わたしたちはいつも、何かを探している。 美しい海の景色をバックに、馬鹿みたいに明るいタイトルが現れる。 背景の眩しい青と白に比べて、フォントの赤は暗く、くすんでいる。 かつては賑わっていたであろうリゾート地に漂う寂寥感。 虚ろな目をして、不審な行動を繰り返す男。 唐突に現れる急病の老人は、きっと助からないと予言される。 光に溢れた画面に、死と衰退の

      • 映画『リズと青い鳥』 それでもあなたと

        息を潜める 鳥を観察するように 学び舎という名の鳥かごの中 どこか苦しげなさえずりが聞こえる 水彩画のような、淡い色彩。 解けてしまいそうな、曖昧な輪郭。 TVシリーズとは大きく異なる写実的な絵のタッチは、それだけで強固な世界観を作り出している。 しかしそこには、ただ美しいの一言では済ませられない、息苦しい緊張感も漂っている。 触れたら壊れてしまいそうなほど繊細で、けれど鋭さも感じるこの作品は、ガラス細工のようだ。 カメラは、彼女たちを遠くから覗き見るような視点を中

        • 映画『きみの色』 祈り続けるための

          トツ子には、人の色が見えてしまう。 彼女にとって人は、それぞれ固有の波を持った光だ。 異なる波長の光が重なり、新たな色が生まれる。 それを美しいと感じる感性を、この映画は讃美する。 彼らがバンドを組むことも、いわば互いの波を重ねて音を作る行為である。 それはトツ子にとって、誰とも共有できなかった感覚を初めて分かち合える体験であり、何にも代えがたい喜びがあっただろう。 振り返れば、『聲の形』では人の声を波紋として表現し、石田がずっと恐れていた他者が存在する世界を、光として

        • 固定された記事

        FGO LB7 『ナウイ・ミクトラン』 〜この星があなたに届きますように〜

          映画『あんのこと』 誰かの人生を想像する

          彼女は強くて優しい人だった。 たとえどれだけ追い込まれても、投げ出さず、諦めず。 辛抱強く努力を続けられる人だった。 それは、ひたすら杏に寄り添うことに徹したこの映画にあって、ほとんど唯一と言っていい訴えだったように思う。 刑事を演じた佐藤二朗の慟哭、事実とは異なる子育ての脚色にその一端が垣間見えた。 自分を大切にしろ、夢中になれるものを見つけろと言われた彼女が選んだ仕事は何だったか。 他者のケアを通じて自身が癒されるなんて小難しい理屈を知りもしない、自分の身を守るだけで

          映画『あんのこと』 誰かの人生を想像する

          映画『違国日記』 わかりあえないことから

          原作を知っていれば色々脳内補完できたのかもしれないが、未読のわたしから見ると描かれていない部分が沢山ありそうな印象を受けた。 ただ、だからといって決して味気ないとか中途半端だといった印象は受けなかった。 四宮秀俊、安宅紀史、高木正勝と盤石のスタッフィングで作られた映像は終始美しく、上品で繊細な味わいを堪能できた。 ここには私の暮らす世界と地続きの、どこまでも深く厳しく優しい世界が広がっていて、私は今その断片を覗き見ている。 そしてそこで生きている彼らの人生に思いを馳せ、寄

          映画『違国日記』 わかりあえないことから

          映画『アンダーカレント』 あなたの人生を聞かせて

          フィアット。 空と海。 青い服。 冷たい風。 白いマフラー。 役者の演技をじっくり堪能できる素晴らしい映画だった。 佇まいや眼差しだけで、その人物が背負っているものの重みを感じさせる。 人の厚みに説得力があったからこそ、彼らの内面に深く潜り込んでいく道程は静かな緊張感に満ちていた。 振り返ってみれば、この映画を見ること自体が、人の暗流に耳を澄ませる行為だった気がする。 2時間かけてゆっくりと水の中に沈み込んでいくような。 ラストシーンは原作とは異なっているらしい

          映画『アンダーカレント』 あなたの人生を聞かせて

          映画『アリスとテレスのまぼろし工場』 膝裏フェチはマニアックなのか?

          とても奇妙な映画だった。 いくつものテーマが次々と浮かび上がり、そしてすべてが錯綜しながら突き進む混沌としたクライマックスの展開は、感動とも戸惑いとも呼べる独特の味わいを醸し出していた。 そして、どうやら私はその味わいを気に入っている。 愛おしいとすら感じているかもしれない。 一体この映画の中では何が描かれていたのか。 そして私は何に戸惑い、何に感動したのだろうか。 生きて、痛い予告編からは、岡田麿里お得意の青春群像劇の展開が予感された。 夢を持つことを良しとしない

          映画『アリスとテレスのまぼろし工場』 膝裏フェチはマニアックなのか?

          映画『バービー』 きっと何者かになれる

          男女間の不均衡の問題を描きながらも、人が存在意義に苦しみ、他者と争うその根本的な問題を炙り出す。 理不尽で矛盾だらけの世界であることを認めつつ、その苦悩を解決する糸口は自己認識の解像度を高めることにあると指摘する。 そのうえで、ありのままでいいなどと耳障りの良い結論を安易に用意しないところが、とてもグレタ作品らしいと感じた。 そして映画の終盤には、被造物と創造主の間に横たわる断絶にもスポットライトが当たる。その描写には、消費されるキャラクターへの愛と、人間の窮屈な生への肯定

          映画『バービー』 きっと何者かになれる

          映画『遠いところ』 遠い心

          込められた想いは切実だった。 どうか多くの人に届いてほしいと思う。 この映画はきっと、そう願って作られたはずだから。 そこで生きる人の姿 痛くて、重たくて、苦しくて、冷たい。 見ている間、ずっとそんな感覚が漂っていた。 凄惨な現実を前にして、自然と心は希望を探し求める。 どこかに解決の糸口があってほしいと。 しかし、そんなものはどこにもない。 問題の根の深さは、少年少女が自分でどうにかできる範疇を遥かに超えてしまっている。 底の見えない絶望的な状況を知って途方に暮れ

          映画『遠いところ』 遠い心

          映画『逃げきれた夢』 柴犬はかわいい

          フィクションとリアルの境界を探るような映像だったからか、見ていて濱口竜介監督の作品が思い浮かんだ。 いわゆる異化効果ともまた違う、僅かな現実とのズラしが独特の味わいを生んでいたように思う。 映像もお話もスケールとしてはとても小さい。 定時制高校の教頭を務める末永周平の、特にこれといった事件も起きない平穏な日常が描かれる。 劇的な音楽は流れず、時間の跳躍も起こらない。 身体が躍動することもなく、ただ日常的な動作が繰り返されるだけ。 現実世界を支配する重力を、誇張することも矮小

          映画『逃げきれた夢』 柴犬はかわいい

          映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』 白城ゆいはやさしい

          誰かの言動に深く傷つく。 その痛みを自分の中で抱え込むのは苦しいから、言葉にすることで消化する。 その言葉を誰かに聞かれるのが怖いから、ぬいぐるみに語りかける。 この映画で描かれた弱さに共感できない、という人は少ないんじゃないだろうか。 映画を見るまでは、その弱さを肯定する内容が描かれることを想像していた。もちろんこの映画の軸足はそちらにあったと思うが、決してその一面的な切り取り方に終始せず、弱さが持つ危うさにもスポットライトが当てられた。 非常に繊細で、ともすれば(それ

          映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』 白城ゆいはやさしい

          映画『ザ・ホエール』 どうしようもなく醜い

          ソファーに沈めた体を起こすことが、どうしてこれほど難しいのだろう。 落ちたものを拾うだけのことが、どうしてこれほど億劫なのだろう。   ただ当たり前に生きてるだけで、色々なところが痛んで仕方ない。 心はいつも叫んでいる。 誰かへの愛を。 誰かへの憎しみを。 心の贅肉だ。 誰も中に入れてはいけない。 その醜いカタチを見せるわけにはいかないのだから。 善意も悪意も、想いは捻じれ伝わり、願いは届かない。 人に誰かを救うことなどできはしない。 だから静かに消えてしまい

          映画『ザ・ホエール』 どうしようもなく醜い

          映画『シン・仮面ライダー』 ヒーローの条件

          庵野秀明が関わった、シン特撮シリーズ第3弾。 聞こえてくる噂はネガティブなものが多い印象だが、3作の中では今作が一番好みだった。 正直なところ仮面ライダーシリーズには特に思い入れはなく、幼い頃数シリーズだけ見ていた記憶と、親におもちゃを買ってもらった記憶が朧気にある程度だった。 それ故さして期待もせず見に行ったのだが、予想を遥かに超える感動が待っていた。 まず何より、ビジュアル的な要素が大きかった。 庵野作品らしい、ユニークなカメラアングルで切り取られた美しい構図の画面に

          映画『シン・仮面ライダー』 ヒーローの条件

          映画『少女は卒業しない』 学園に置いてきたもの

          卒業式を翌日に控えた、高校三年生の少女四人の群像劇。 卒業という区切りを機に、それぞれがそれぞれの大切なものに別れを告げる、美しくも切ない青春の一幕。 私の高校生活にこんな美しい煌めきは一欠片もなかったが、少女たちの姿には共感要素の多寡とは関係なしに胸に迫るものがあった。 彼女たちが身を切るような思いで大切な宝物を手放すその痛みが、青春の甘酸っぱさなどという通俗的なイメージの枠を突き破ってひしひしと伝わってきたのだ。 卒業という強制的な区切りは、ある種の暴力だ。 残された人

          映画『少女は卒業しない』 学園に置いてきたもの

          映画『コンパートメントNo.6』 熱を分け合って

          「過去を知れば現在を容易に理解できる」と男は言った。 みんなは深く頷いた。 「人間同士の触れ合いは、いつも部分的にすぎない」と女は言った。 みんなは笑った。 その言葉が、マリリンモンローのものだったからだ。 彼らの自信に満ちた態度から語られる言葉にはゆるぎがない。 この世に解明できないことなどないのだから、恐れることは何もないのだと言わんばかり。 彼らはきっと正しい。 議論になれば、必ずや相手を言い負かすだろう。 しかし、貪欲に世界の空白を埋めようとするその態度にこうも思

          映画『コンパートメントNo.6』 熱を分け合って