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独裁者に悪魔を~空を飛ぶのがミサイルではなく、箒に乗った魔女だったら世界はどんなによかっただろう~

 『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ著 水野忠夫訳 河出書房新社

 2月24日、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが飛び込んできたとき、とっさに思い出したのがブルガーコフの本書だった。もちろん今回のこの侵略戦争とこの小説は全く関係はない。簡単なあらすじだけしか知らなかったのだが、とにかく本書がロシア圏で書かれた小説であり、作者はその内容から政治的弾圧を受けていたくらいしか知らない。しかもロシアとかウクライナと言われたところで、どれくらい自分がこの国々の文化や事情に精通しているというのだろう?ならば読むのは今しかないんじゃないか、と手に取った次第だ。
 きっと、自分のなかで小説を通じてこの世界と、つまり変わり続ける世界情勢と繋がりたいという想いもある。

 著者のブルガーコフは生まれはウクライナ、キエフだ。若い時に小説家を志してモスクワに馳せ参じた。1930年辺り、時代はスターリン時代のソ連。そして、書いた小説はどれもがイデオロギーとして反権力的内容。当然権力側から問題視されて発禁処分、ほぼほぼ書いた小説が出版すらされなかった不遇な作家。そのあたりに注目して読むと、小説自体もブルガーコフの現実を風刺しているようで面白い。

 話は大まかに言うと、書いた小説が政治的弾圧を受け冷遇され続けたことで病み、精神病院に入れられてしまった巨匠と呼ばれる作家と、その愛人が悪魔に助けを借り復讐を企てるという話だ。その話のなかに巨匠が書いたキリストがゴルゴタで処刑される小説が挿入され、いわば小説世界内で展開される小説という入れ子構造にもなっている。その小説同士が互いに呼応し、シンクロし合いながら物語に大きな流れを作り出している。
 全編でほぼ600ページ。かなり厚い本にたじろぐが、思いのほか読みやすい。物語自体は大きく1部、2部と分かれていて、そのなかに32の章があり目次タイトルもあり話が掴みやすい。しかも1章が20ページくらいですぐに読める。また話そのものが荒唐無稽で劇画的、小難しさなど微塵もない。ひたすら悪魔のモスクワ市民に対する仕打ちが爽快で、思いのほかページが進む。ソ連の歴史背景やキリスト教的な知識がなくても愉しめる。
 ただ怖かったのは、悪魔の仕業に取り乱し、叫喚する人々を治安維持のためひたすら警察隊が、次々に精神病院へ連れ去っていくところ。今のロシアのニュースのままではないか…と戦慄さえ覚える。ロシア内の戦争デモの人々を次々拘束していく警察の映像を観たとき、ソ連からロシア、何も変わっていないのだと恐ろしく感じた。そういう意味では間違いなく政治弾圧、情報統制に屈せず、その怨念として大きな物語のなかで表現を昇華したブルガーコフの勇気とその熱意に敬意を表したい。

 それにしても、悪魔の力を借りて愛人マルガリータが魔女になり、箒を使ってモスクワの空を飛ぶところは圧巻だった。
 いっそう魔女が空を飛ぶような世界のままだったらよかったのに…。隣国へ空爆する戦闘機やミサイルの飛び交う空なんていらない。独裁者プーチンに悪魔ヴォランドを。

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