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”長い耳”を傾けて、話を聴く人。

『ミシンと金魚』永井みみ 著:集英社

 語りの文学と言うと、いろいろ思い出す。強烈なのは石牟礼道子の『苦海浄土』。水俣病で苦しむ漁師たちの豊かな方言のひとり語り。あと、沖縄の目取真俊の『面影を連れて』の島人言葉で語られるある女の一生とか、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』の伊藤野枝叔母、代キチの見事な博多弁の語り。はたまた、中上健次『千年の愉楽』のオリュウノオバとか。海外ではデュラスの『ラマン』のあの年老いたわたしの長まわしの映画フィルムのようなモノローグなんかもそうかもしれない。

 それにしてもひとり語りという作話は、ほぼ年老いた女が多いのはなぜだろう?もしかしたら女のほうが心の情感が男より深いのかもしれないし、(子供を産む性というところ、いわゆる母性もそこに含まれるのかもしれない)あるいは過去の時代において、女は抑圧の対象だったのでそれ故に哀しみも多彩だったのでは。つまり、女性性は文学として語るべきことが多かったのかもしれない。(今回の小説の主人公も、差別され抑圧されてきた女だ)それでもって年寄りは人生の終局であり、長い人生を丸ごと話しできる。若者の回想など薄っぺらくて話にならない。だから、文学が自動的に年寄り女のひとり語りになるのは当然のこと。
 語るべきことがある、これは文学として手強い。

本書の主人公、安田カケイは認知症を患った老女だ。その老女のひとり語りが全編になっている。年齢はおそらく80代半ばから、90代前半くらいだろうか。その老女の昔語りで話されるおんなの一生。その語り口が素晴らしい。手に職をつけ必死で働いたこと、子供のこと、家族のことやら貧しさ、裏切り、暴力と絶望などなど、それこそ人に歴史ありだ。ただ認知症なので話が途切れたり、脈絡がおかしくなったり記憶が誤作動したりもするのはご愛嬌。よりいっそう情感深い昔物語りへ誘われる。”花はきれいで、今日は、死ぬ日だ"と呟く老女のその言葉の詩的で瑞々しいこと!
 語り言葉のリズムがいい。落語とか、お囃子とかどつき漫才とかそんなノリ。その言葉の音。きっとこれを書いた作者はこれがデビュー作らしいが、おそらく抜群に音感がいいに違いない。介護用語に「傾聴」という言葉がある。読んで字のごとし、相手の話にしっかりと耳を傾ける、という意味である。作者は現役のケアマネージャー、要するに介護業界の最前線で働いている人だ。抜群にいい耳をしておられるのでは。ずいぶん年寄りの四方山話に耳を傾けてきたのだろう。作者の名前のとおり、長い耳をもって。
 また、それだけではなくて聴いた言葉をきちんと言語化する能力も必要だ。そういう意味でみみさんの才能を感ぜずにはいられない。素晴らしい語りの文学だと思った。
 第45回すばる文学賞受賞作。


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