精神科医に相談しに行った話
あ、無理かもしれない。
突発的にそう思った。
私は家族との問題を抱えている。
借金をして信用を無くした父と、自分が楽しいこと優先で暴力気質の弟、その二人に疲弊し性格の捻くれた母親。事勿れの末弟。
実家ぐらしの中、そんな状況に3年耐えて耐えて耐えかねて、3ヶ月ほど前から謎の頭痛や腹痛、全身のだるさ、脱毛、寝付けないなど、気分の落ち込みに加えて体調不良まで出てくるようになってしまっていた。
先日、私は大学でやっていた研究の後輩への引き継ぎを終えた。
大学での研究はあまり楽しいものではなかったが、家族に関するストレスから離れ、それ以外のことを考えられる場であったので、多少助かっていた所もあった。でも、引き継ぎが終わってそれも無くなってしまえば、私は家族との問題に24時間、正面から向わないといけなくなる。
4月から就職をするので家を離れることにはなるのだが、それまでの約一ヶ月間、私は耐えることができるのだろうか?そんな風に不安になっていた。
あ、駄目かもしれない。
不安で押しつぶされそうだ。
よし、精神科にかかろうかな。
と、決めた。
幸い、私の大学には無料で相談することができる精神科があったので、ケチな私でもこれなら行ってみようかなと思うことができた。早速、予約を入れた。
電話を受けた女性がとても柔らかく「そんなことがあったんですね」「そうだったんですね」と相槌を打ってくれるので、あぁやっぱりこういう所は電話対応の仕方も違うんだなぁとぼんやり思った。
予約は、電話をした翌日に奇跡的にとれたので(春休み期間なので、みんな帰省しているのかもしれない)、すぐに行ってみることにした。
予約の時間になって受付へ行くと、5-6枚の紙束を渡され、「これに答えてください」と言われた。めくったら設問は裏面にもびっしりあった。もう少し早く来てもよかったなぁと思いながら設問を解き始める。裏面にも設問はびっしりだった。
「物事を楽しむことができない」
「自分を無価値だと思っている」
「自分は死ぬべきだと思うことがある」
大学の健康診断では控えめな回答をしていた設問に、正直にしっかり答えていく。時々涙が出そうになって、ぐっと堪えた。
30分ほどかけてようやく答え終え、先生と対面した。優しそうな男性の精神科医だった。「どのようなことに苦しんでいますか?」と聞かれ、家族のことを話した。
弟が高専に入学してから友達とつるむことで帰りが遅くなり、家族が寝ている時間でもゲームをしたりでうるさいのでなかなか寝付けないし、途中で起きてしまうこと。
日常のあれこれをしなくなったのでそこから口論が増えたが、全く反省していないので何も変わらないこと。物を投げられたり暴力を振るわれること。
父も母も触らぬ神に祟りなしと、何もしないこと。我慢しなさいと強要されること。口を出せば、性格が悪いと罵られること。
それがずっとストレスで、最近体調まで悪くなっていること。
ぽつぽつと話していった。
先生は、私の体調不良はそれらのストレスに
対する応答として「矛盾しない」と言ってくれた。
「弟さん、二十歳なんでしょう?そのくらいの年なら自分のどの行動がどう迷惑になっているかなんて、わかりそうだけどね…。」
先生がそう呆れ顔で言ったので、あぁやっぱり私の弟はおかしいんだなと思うことができた。
また、「唐草さんのご両親の行動は、正しいとは言えない」とも言ってくれた。
やはりプロなので、「お前の家族はおかしい!間違っている!」とハッキリと言わない。そこは勿論だし、プロってすごいなと思う。でも、私の場合は問題なのは白黒はっきりさせることではなく、「精神の専門家がこう言ってくれた」ということにあった。
3年もずっとこんな状況にいると、この状況はおかしいと声を上げることを糾弾されていると、私はおかしいのかな?間違っているのかな?と思うようになってしまうのだ。このまま我慢していれば何も起きないけど、そうやって自分を殺していると、大切な何かを失ってしまうような気がする。そう思っていたから、私が感じているストレスは、どうにかしたいと思うことは間違っていないと、そう言われたことが嬉しかったし、とても心が軽くなった。
先生は、時期が時期なので(3月に卒業なので)これに対して長期的なカウンセリングは行えないが、残りの1ヶ月をなるべくストレスを少なく、体調を崩さずに過ごすようなアドバイスをすることはできる、と言われた。
家族と一緒にいる時間を、できる限り減らすこと。
その減らし方として、ここに何回か通ってもいいということ。
これも、私の行動はおかしいものではなかったんだと思うことができる言葉だった。3年間、苦しくて苦しくて、大学の帰りに寄り道をして帰る時間を遅くしたり、部屋に閉じこもったりしていた。食卓での会話も減らした。自分をまもるために。
でも、その行動も、「お前が黙っていると空気が悪くなる」だったり「なんか怒ってるんだけど笑」と言われたりしていたから、私は間違った行動をしているのか、でも逃げたい、苦しくてどうにかなりそうだ、と葛藤していたので、先生がこれを正しい対処法として提案してくれたことは、とても良かったことだなと思う。
「でも、」と私は先生に言った。そう、私の場合はそれで済む状況ではなかった。
「末の弟が、私が家にいない時間が長いと、寂しがるんです。」
ぽた、ぽた、と、ここで初めて涙が溢れ出してきた。
「末弟は今、受験生で…。父の借金で一番家が荒れていたとき、髪の毛を抜いていたこともあって…。私が家を空けることでストレスがたまって受験に悪い影響があったらいけないって、私、我慢して、なるべく、家にいなきゃって…。」
先生は「あぁ…。」と顔を曇らせながら、ティッシュを差し出してくれた。
私が落ち着いた後、先生は「それでも、唐草さんの心を守ることが一番大切です。難しくても、なるべく心掛けて。弟さんの受験はもうすぐ終わるのですよね?それからは、自分のことだけを考えてください」と言った。私が、自分でもそう思ってて、友達と遊ぶ約束をたくさん入れていたり、楽しみを作るようにしていると言うと、「それは素晴らしいです。ストレスの源である家族から離れて、是非楽しんでください」と微笑みながら言った。
短い診察ではあったが、私の心はだいぶ軽くなった。久しぶりに独りではなく、人の前で泣くことができて、だいぶ頭の中のもやが晴れた気がした。次回の診察はまたダメになったら予約しようと思い、「また来たくなったら、連絡します」と先生に言った。先生は快く返事をしてくれた。
「お大事にどうぞ」と受付の女性に声をかけられたあと、お手洗いに行って涙を拭った。鏡の前で自分の顔を見た。目と頬が少し赤いけど、大丈夫、うまくやっていける。よし、と小さく呟いて、歩き始めた。
寄り道でもして、帰ろう。