拡がり続ける世界観

身体感覚の世界

6月4日(日)につくばにて7時間のロング稽古を行う事になりました。
まぁ、私の活動は完全に個人で、どういう稽古をしようか、というのも私が決めるだけで済むものです。

これまで、つくばの稽古は3か月おきにしていますが、遠出の割には4時間ほどの稽古があっという間に過ぎてしまい、いつも、もっともっと伝えられたのではないか、という思いで帰宅をします。

3か月という間が空くと、そこで育つ術理があります。新鮮な術理を伝えたい、という思いもあり、そこに時間を割くとどうしても、身体という世界の全体像がぼけてきます。

細かな術理だけでも十分楽しいのですが、それは身体感覚全体の世界からすればもう、ほんのちょっとでしかないのです。
私が伝えたいのはその大きな世界を誰もが持っている、という事です。

稽古に何度も来ていただいている方は、毎回私が違う事を言っているのが分かるかと思います。その中で自然と、大切な事はない、とも感じてくれるはず。結果的に、身体感覚世界の広さを感じてもらえれるはず、と思っています。

世界観が一変する

甲野先生に出会ったのは1995年です。
まだ世の中は浮かれていたのかな?
ただ、阪神大震災にオウムの事件と、少し世の中がざわついていたように思います。そんな年に甲野先生と出会い、衝撃的な世界を見る事になったのです。

それまでの私はずっと、頭の世界にいたようです。
知識が全て。もちろん、経験だって大切ですが、今思うと、身体感覚が主役になる心底震えるような経験はほとんどありませんでした。
同じような練習を繰り返し、それを頑張っていた、と思っていました。

しかし、先生に触れて世界は一変!
まったく言葉にならない世界を見たのです。
先生は丁寧にご自身の感覚を言葉にしてくれましたが、その言葉は身体感覚から生まれているもの、同じ日本語であっても、わからないのです。

そして甲野先生は教えるというよりも、それぞれが開祖になって自らが探る道を勧めてくれる人でした。
それまでの世界が一変するのです。すでに立場や権威、権力を持っている人には大変でしょうが、私はなんの立場もなかったため、ただ、新しい世界に対してワクワク感だけで入る事が出来ました。

素晴らしい稽古法

手掛かりとなるのは、先生にどう崩されたか、という事だけでした。
とは言え、その細かな感覚を探るほど、私には感度、感受性がありませんでした。
ただ、そこに「柾目返し」という素晴らしい稽古法があったのです。

形は簡単。正座で向き合って座り、ひたすら、相手の手を抑える、というものです。
この形はどの武道にもあるようなものです。
ただこの時、大切なのは一切の忖度をしない、という事です。これは案外、組織という序列の中では難しく、それぞれが持つ探求心を抑えてしまっています。
そして、崩されたなら、次は崩されないように、抑える側も改良していく、というもの。勝ち負けだけを競い合うと、仲悪くなってしまうかもしれません(笑)。

やってみるとわかるのですが、これが大変な事。
お互いがお互いの動きが分かりだした状態で抑えるとなると、もう、ほんのちょっとの気配で抑えられるようになります。
武道に不慣れな方にはわからないかもしれませんが、だからこそ、間合いの取り合い、フェイントなどの技術が必要になるのです。

そして、そんなフェイントを使わず、「ただまっすぐ」、「普通に」、「何気なく」手を上げるだけで相手が崩れる事がある、と甲野先生に触れ、私は知ったのです。
求める先が見えている、というのは何とも心強いもの。その後、手探りの稽古が始まりますが、全く何も出来ない状況が何か月も続きますが、求めれば得られるようで、次第に自分なりの身体感覚が育っていきました。

大雑把なものになりますが、一通り、紹介しておきます。

骨の世界

最初探ったのは骨の世界。わかりやすく、手がかりになりやすいものです。
身体は基本的に「そこにある」ものです。
ただ、筋肉は伸び縮みしますし、最初のうちはなかなか「固定」が難しいもの。

骨は固く、意識の集中がしやすいものです。最初の手がかりにうってつけ。私もここから始めました。
そして気づいたのは「骨は回る」という事です。

骨は固い、と言いましたが、普段多くの人が頼っているのは筋肉です。
特にその筋肉も、肘や膝、単純な繰り返しの部分ばかりが使われています。
世の中が便利になり、身体に対して何も学ばず大人になり、誰もが、骨と筋肉の関係を忘れたのです。

手を前に出す時、骨は回る、と考えて動けば、筋肉の緊張を抑える事が出来ます。
関節の可動域はストレッチ界隈でも問題にされますが、可動域ではなく、動きそのものを見ないと、武術的には役立ちません。
開脚が出来ても、動きを知らねば役に立たないわけです。(ちなみに私はめっちゃ、身体の固い人(笑)。)

「骨は回る」という事を見つけ、「螺旋」の実感も芽生えました。これが後々、また役に立ってきます。

筋肉の世界

筋肉は今、大人気です。
飽食の時代になり、自然と贅肉を持つようになってきます。
締りの有る身体を求めて、鍛えたい、そう思う人も多いと思います。
ただ、見せるだけの身体であればいいのですが、武術として考えると、ムキムキに鍛えた筋肉だけではちょっと不安が残るものです。

なぜなら、筋肉をつけ、維持し続けるには実に、贅沢な環境が必要だからです。
トレーニングする時間はもちろん、栄養として食べる力も要ります。そして、何より、しっかりと休息する時間も必要なのです。
今、誰もが忙しく、余裕のない毎日を生きています。
トレーニング、栄養、休息。これを休みなく、ずっと続けられる人は限られます。
どれだけ気を付けても、病気になり、怪我もするのが人間ですからね。

そこで、贅肉の活用法も考えました。
いや、自分の締りのない身体を見ていたら自然と生まれてきた、わけです(笑)。
筋肉だけではなく、贅肉も役立つ。
それを知っておけば、病気や怪我、トレーニングが出来ないような環境においても、心慌てる事なく、過ごす事が出来ます。

贅肉、というと嫌われますが、このお肉はちょっと前までは望んでも得られなかったものです。
今、飽食の時代となり、自然と身体のあちこちについてしまっています。
「得てしまった」以上、それを嫌ってしまえば、自分の中で喧嘩が起こります。
私は「活かす」方法を見つけました。それが「波動」的身体です。

もともと肉体の大部分は水分だ、と言われます。
ただ、それを自覚するには筋肉の緊張が邪魔をします。
身体を縦に割る感覚が出てきた時、身体全体が揺れ、動いている感覚を得ました。
骨でもなく、筋肉でもない。また、表面にある皮膚でもない感覚。波を伝える水、それを贅肉は教えてくれたようです。

贅肉が揺れている時、疲れはあまりありません。
これぐらいテキトーの方がいいのかもしれない。今、私はそんな事を考えています。

皮膚の世界

皮膚の世界は「境界線」です。
自分と相手を分けるものです。
そして、実は皮膚は私側にあるのではなく、相手側にあるものだ、と感じています。

皮膚は形を作るもの。
内側からも影響を受けますが、外側からの力を受け止めやすいものです。
内部に力を入れれば多少皮膚は赤らみもするでしょうが、バチンと叩けば簡単に赤くなる、それが皮膚です。
また、外側の世界に心揺らすものが現れれば、簡単に身体は動揺し、皮膚に影響を出してきます。

相手を見た時、怖れをもつのは当然です。
しかし、その怖れを生む大半は骨と筋肉が作り出す姿。皮膚だけであれば、相手は風船のようなもの。
気軽に触れて、揺らし、導く。そんな向き合い方だって出来るはずです。

もしかしたら、このあたりの感覚が「この世界は映し鏡」と言われるところかもしれません。
相手は自分の鏡、それを知っていても、骨は崩れ、筋肉は緊張します。なかなか精度のいい鏡は出来上がりません。
骨の事を知り、筋肉の事を知る。そして内臓やオバケの事も知っていけば、自然と鏡感が出てくるのではないか、と思っています。

内臓の世界

骨や筋肉、皮膚はわかりやすい身体です。
ただ、私たちの身体のほとんどは内臓と言えます。
骨や筋肉は一つ二つ壊れても命にまでは届きませんが、内臓はそうは行きません。
毎日、ずっと、文句も言わず働き続けています。

身体感覚の感度が上がると、内臓にも「動き」がある事がわかります。
そして、その動きに「方向」を見つけられるようになります。

例えば心臓。
心臓からは綺麗な血が送られ、戻ってくる。
常に血液が出たり入ったりしています。
指先に送られ、戻ってくる。
そこには勢いと方向があるのです。

筋肉には屈筋と伸筋がある。
これはまぁまぁよく知られている事です。上手な人は伸筋をうまく使う、と言われていますが、それはそこに、力み感を持たなくてもいいからです。
その筋肉の動きの土台を作るもの、それが心臓から出ていく血液、そう考える事もできるはずです。

一つひらめいては試す。
するとそこに確かな結果が見つかります。
正しいのか間違っているのか、そんなこと関係ありません。
筋肉があり、骨があり、関節があって、動きがある。
そして、そこに心臓からの流れがあり、流れを止めないように動いてみる。
気持ちがいいのか、悪いのか。自分の心に問いかけていく事、これが一人稽古の始まりです。

組織になれば、どうしても親切にあれこれ教えられてしまう。これがお互いの力を閉じさせてしまっているのです。
人の可能性はとてつもない。それが私のスタートです。

他にも内臓はあり、言葉にしたいところですが、それはまた、改めて。

魂の世界

人が人になったのはいつか?
身体を探るうちにそんな事までも考えるようになりました。
骨があり、筋肉があって、皮膚がある。そして内臓もある。
人となる中で一番最初に生まれるのは内臓なのは間違いないでしょう。
一つの受精卵が無数に分かれて、肉体を作ります。

ただ、肉体だけでは人にはなりえません。
この肉体に魂と言われるような何かが入ってくるはずだ。
そんな事を考えるようになりました。
考えてみれば思いつく力があるのが人間です。
エビデンスを気にしていれば、この無限にひらめく力に蓋をしてしまいます。

何度も組織はダメ、と言っていますが、それはせっかくのひらめきがあっても、周りに遠慮をして言葉にする機会を無くしてしまうからです。
一人稽古は魂やオバケ、そんな世界にも入っていけますし、いや、むしろ、そこに入るために、自分のひらめきを信じる訓練を骨や筋肉、皮膚で行っているのではないか、と思うほどです。

ちなみに私の魂はへそから入ってきます。
入ってくるのだから、戻ってもいい(笑)。それぐらい、いい加減です。
エビデンスはもちろんありません。
しかし、先に挙げた「柾目返し」という技。力任せでぶつかった時、常識的な考えを持っていると、私が使う魂の感覚に身体を崩され、倒れてしまいます。

この時、私は秘密を持ちません。
今、へそから何かが出て、ほら、足元を通って、背中に行きましたよ、と正直に伝えます。
しかし、常識にとらわれていると、そんなものない、と決めてしまうのです。
これが心の世界のやり取りであればどうでもいいですが、身体を通しての衝突で向き合うと、何度も何度も、崩され、倒される事になります。
この時、心に矛盾が生まれるのですが、常識、観念を変える覚悟を持つかどうか、それはそれぞれに委ねられます。選択はその人のもの。自由があります。

オバケの世界

魂はあるんだろうけど、見えません。
とりあえず、見えないものもある、それを身体で確かめる事、これが大切なようです。
魂は内にある見えないものですが、内にあるのなら、外にも見えないものがあってもいいはずです。

外に見える世界は現実の世界です。
ただ、人によって微妙にその現実は違っているようです。
相手を見た時、その人のどこをみるのか。
骨を見れば姿勢が際立ち、内臓をみれば元気さが際立ちます。
筋肉を見れば努力の程がわかりますし、皮膚をみれば、間合いが決まります。
また、魂やオバケほどではありませんが、その人の持つお金や学歴、地位、立場が気になる人もいるでしょう。

実は案外、もう、この世界では見えないものというか、実体のないものも主役になっていると言えます。
ただ、その実体のないものは他者によって作られ、自力ではコントロールが難しいものになっているから注意が必要なのです。

身体感覚が細かく見えるようになれば、なんとなくの空気感が分かります。
空気は見えないものですが、間違いなく、この地球にはあるものです。
空気によって身体が変えられる、それが分かると、オバケとは何ぞや、と考えた時、手がかりを持つ事が出来ます。

どんな見えないものであっても、この身体に変化を生まないものであれば無いのと同じです。
オバケが見える人、というのは、その瞬間に身体の変化を感じ取っている人、とも言えます。
ただ、常に外から変えられるだけではいつもやられっぱなし、使われっぱなしになります。まぁ、それでもいいという人もいるでしょうが、一応、武術なので、何とかしよう、と考えます。

外にいる誰かに導かれるように動く。
その感覚もやっと、わかってきました。
空気はその手掛かりの一つ。風が吹けば身体は動かされる。そんな当たり前の感覚を増大して、望む方向へと身体を動かしてみると、段々とその気になっていくものです(笑)。

このあたりの調子の良さも人間ならでは。
ただ、はた目から見ればちょっと変。いや、とっても変です。
おおよそ、立場ある人はこんな事を言えません。
しかし、こういう世界もある、とひらめいてしまった人、そしてそれが有効だ、と知ってしまった人は選択に迫られます。

見えないものに導かれていても、動いているのは肉体を持つ私です。
オバケに導かれている、と言えば変人扱いですが、こっそりそれをする事だってできます。
ただ、自分の本心に問いかけた時、外に対して言いたい事を言えず、隠している、そんな思いを持つ事を苦しく思う人もいるかもしれません。

組織は大切です。もう、この世界であらゆる組織から自由になろうと思っても無理です。
だからこそ、一人稽古という世界を知り、いつでも、一人に戻り生きていけるオプションを用意していきたいと思っています。
この世は優しい、といいながらも、病気や怪我、いずれやってくる死にはどんな人も組織も力を貸してくれません。
イザとなったら一人なのです。その時、ちゃんと自分を味わう力を伸ばして置ければ、そこでまた新しい世界を見つけられるはずです。

とりあえず、ざっと、並べてみました。
これ、私の稽古の全体像です。言葉にするにはまだまだ足らないので、また少しずつ、書き足していこうと思います。

【不定期稽古】つくば稽古

稽古日時:2023/6/4(日)13:00-20:00(入退室自由)
今回は初のロング稽古です。稽古の中身も楽しんでもらいたいですが、それ以上に「過ごす」という事を感じてもらえたら、と思っています。
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
参加費:10000円
申込、詳細はこちらのページから


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