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とりえのない毎日を過ごしていた高校時代をふと思い出した話

こんばんは、いえもんです。

サイトウが現場で観ていたロロを私はオンラインで観た。

ロロはどうしてあんなにも青春のキラキラした一瞬一瞬を
真空パックして持ってきたかのように、表現できるのか。

そんなことを思いながらいつ高シリーズの過去作なんかを観ていたら、
自分の高校時代を久しぶりに思い出してみたくなった。
すると、すっかり忘れていた場面が少しずつ思い出された。

それは友達との他愛もない会話でもない
恋人との放課後帰宅道でもない
部活で汗を流した日々でもない
仲間とともにふざけあった日々でもない

ひとりさみしく歩いていた通学路だった。

青空、高架下の畑、夕立、駅前のスケートセンター、猛暑の田んぼ道

全部ひとりで見て、感じた景色・温度たち。

キラキラした一瞬は多くなかった高校生活だった。

中学時代、吹奏楽部に入り仲間と充実した日々を送っていた。

しかし、高校は大会に向けて厳しさが増す部活で
自分は音楽を楽しみたかっただけだったので、入部せず逃げた。

するとどうだろう、あっという間に高校生活開始が虚無に包まれた。

中学から引き続き、運動部に入った友人はすごく輝いている。
男女仲良く、今が最高!と言わんばかりのオーラがでている。

このときのコンプレックスは今思い出しても悲しいものがある。

そんな中、暇すぎて生徒会役員になったのだが、
これがある程度の充実感をもたらしてくれて、
無事高校生活を送れていた。

そんな劣等感たっぷりだった自分は、
つねにイケイケ運動部とは、「普通」の友達とは
教室以外では距離を置くように生きていた。

(クラスではお調子者の頭脳底辺というポジション)

放課後、スクールバスに乗らず、
駅まで歩いて25分くらいかかる道を一人歩いて帰っていたし、

夏期講習もスクールバスに乗らず、
田舎道を歩いて生徒会室に通っていた。

コンプレックスに耐えられなかったのかもしれない。

そんな毎日で見ていたのが先述の思い出された景色たちである。

今は社会人となり、それなりに生活しているし
大学生活はとにかく充実していた。

だからそんな高校時代の
とりえのない毎日のことなどすっかり忘れていた。

それでも紛れもなく
ふがいない気持ちを抱え続けながら
人と距離をとって歩いていた通学時間も
今の自分を形作った要素なのだろうと思う。

そんなことを考えていたら、
ちょっと悲しい部分のことをぽろぽろと思い出した。

特定の誰かと仲良くする同性のその性質が苦手で
親友と呼べる友人も人生において一度もいなかったし
そういった小さなことができなくて、「普通」でいられなかったこと。

小学生の頃も仲良しこよしができなくて
近所の同性たちが仲良く遊んでいるのを横目に
一人で散歩をしていたら、母に心配されたこと。

今、自分ではわりと「普通」に過ごせていると思っている。
(はたから見たら違うのかもしれないが)

だから、小学生時代、高校生時代、
たぶん漠然と不安の中で過ごして自分にしては
今の現状はかなり良いほうに持ってきてこれているのではないかと、
そう思った。

当時の日記がテスト期間の「テストいやだ」の記録しかないため
田舎の空を見上げながら自分が

何を感じ
何が言いたくて
何を思ったのか

それがわからないのが悔しい。

今だからこそ、知りたかった。

一人歩いていた自分よ、未来のほうがましに生きているよ。

世の中の子どもたちには、
ふがいない日々過ごしていたって、
大学から充実させても遅くないから
のんびり生きてくれと伝えたい。

以上、完全なる小さくてどうでもいい恥ずかしい話。

>サイトウ
やろう!それぜんぶやろう!
第1回のミーティングはいつですか!セッティングしよう!

>きっちゃん
休日虚無あるある、きっちゃんもやるんですね。
自分はだれかとの予定がないと往々にしてそうなります。
この土日も特に予定がないから必死で考えてます。

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