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ドラマ・映画感想文(21)『それいけ!アンパンマン ばいきんまんとえほんのルルン』

個人的評価:10点(/10点)
公開年月:2024年7月
公式サイト:https://anpan-movie.com/2024/

※ネタバレを含みますので、ご注意ください。

Yahoo!で、ライターの田幸和歌子さんの書かれた記事(脚本担当の米村正二さんのインタビュー)を見て、居ても立ってもいられず観に行った。なんと、ばいきんまんが主役であるばかりか、無頼漢キャラに似合わず、妖精のルルンを助けるためにアンパンマンと共闘するというではないか。

しかし、困った。我が子はもう小学生で、アンパンマンという年頃ではないため連れて行けない。それを言うなら私こそアンパンマンという年頃ではないが、結局、30代半ばの加齢臭おじさんが一人で観に行くことに。

周りは当然親子連れで、完全に場違い。子ども向けだからだろう、上映開始しても完全には消灯せず、うっすら明るさを保っているため、なお恥ずかしい。まぁ誰も私のことなど気に留めないだろうけど、少しでも姿が隠れるように、頭が背もたれの高さにおさまるように座った。無駄な抵抗。

それはさておき、映画は素晴らしい内容だった。いろいろな示唆に富む、充実の60分。大人でも2,000円を出して観る価値が、十分ある。

今作のメッセージは幾つかあるが、重点的に語られているのは「誰かに頼る前に、まずは自分で努力しよう」だと思う。もう少し敷衍すると、「自分の力を信じよう」ということになるのだろうが、努力による裏打ちが重要である。それが、ばいきんまんの行動を通して語られる。

物語の発端は、妖精ルルンの住む森が、「すいとるゾウ」という巨大かつ狂暴な怪獣に蹂躙されることである。そこでルルンは、ばいきんまんに助けを求める。しかし、ばいきんまんは「自分でなんとかしろ」と突き放す。アンパンマンなら脊髄反射的に助けに乗り出すが、ばいきんまんは違う。彼の信条は「自分のことは自分でなんとかする」である。

このルルンの住む世界は、実は絵本の中というパラレルワールドになっていて、ばいきんまんは絵本の中に吸い込まれてやって来ている。そこで、ばいきんまんは考え直す。「アンパンマンがいない世の中なら、すいとるゾウを駆逐すれば、世界を支配して好き放題にできる」と。そういう打算からルルン救済を決意する。

すいとるゾウと一度目の対決では、徒手空拳で歯が立たなかった。そこで、いつものように兵器の開発を決意する。材料と作業環境を求め、ばいきんまんがルルンに連れてこられたのは、巨大な樹の上にある町。エレベーターに案内されたが、壊れていて使い物にならなかった。「こういうのは、結局、自分の手で登る方が速いんだ」というようなセリフを呟きながら、ぐいぐいのぼっていくばいきんまん。示唆的な一言。

この樹の上の町も、すいとるゾウに破壊され、廃墟と化していた。しかし、ばいきんまんの目が光る。残骸の中に、金属の欠片たち。

早速、作業に取り掛かる。金属片を集め、溶解炉のようなものを拵え、製鉄っぽいことを始める。なるほど得意の兵器製造だな、と思っていたが、次のシーンに驚いた。なんと、はじめに作ったのは、斧や鋸などの道具の数々。そうか、道具なんてあって当たり前と思っている時点で、平和ボケだ。自分が恥ずかしくなった。少ないはずの金属片からいとも簡単に兵器ができあがってしまうというような子ども騙しになど手を染めないところに、制作側の気合を感じる。

ここからのシークエンスが出色だった。ここは森の世界。それなら材料は木。木材を適切な長さに切り揃え、鉋をかけ、寸法に狂いの無いパーツが組み立てられ、徐々に木製の「だだんだん」(ガンダム的な乗り込み操縦式の兵器)が形を顕わにしていく。いつもは専ら金属を溶接しているので、木材は慣れないのではないかと心配したが、杞憂だった。建築士、大工、工学者、芸術家。何足の草鞋を履いているのだろう。それ以上に、努力の鬼である。すいとるゾウに負けたくないというプライドから、努力に努力を重ね、反撃を誓って爪を研ぐ。

↓木材に鉋をかけるシーンが一瞬映る公式映像(You Tube)


劇中の本人のセリフにあるとおり、ルルンを助けるためではなく、すいとるゾウに負けたまま終わりたくない、というのが真の動機である。何の努力もしないまま諦めてしまうルルンと対照的である。

ばいきんまんの努力にルルンは触発され、手伝うようになるが、ドジってうまくいかない。そして、すぐ自己を卑下する。見かねたばいきんまんが諭す。

「おれさまなんか何回も失敗してんだ。えっへん。」

名シーンであり名セリフだが、BGMもかけずにあっさりしていたと思う。あまたのドラマや映画にありがちな、うるさいBGMで強引に感動させようとする短絡的な演出に陥っていない。つくづく感心する。これでいい。

完成した「だだんだん」に搭乗し、すいとるゾウに挑む。しかし、全く勝てない。強すぎる。

ついに、ばいきんまんが窮余の一策に出る。ルルンに「アンパンマンを連れて来い」と命じ、絵本の外の世界に送り出す。

この流れも示唆深い。2つのことが読み取れる。

一、 まずは自分で努力するべきだが、それでもだめなら助けを求めよう。
一、 相手に勝つためには、手段を選ぶな。(≒勝つためには何が必要か、あらゆる選択肢を排除せず広い視野で考えるべき)

事情を聴き、明日には絵本の中へ飛び込んでいこうという黄昏時、アンパンマンは、ルルンから訊かれる。「アンパンマンやばいきんまんが負けてしまったら、どうすればいいの?」と。これに対し、アンパンマンは「君の心の中に、友だちがいるよ」と答える。

アンパンマンの主題歌で、「愛と勇気だけが友だちさ」というフレーズが出てくる。つまり友だちとは、助けてくれる仲間のことではなく、己の中の覚悟を指す。実際、終盤の戦闘シーンで、ルルンはこの言葉を思い出し、「愛と勇気!」と奮い立つ。

人を助けて助けて助けまくるアンパンマンですら、「最後の最後は、人に頼らず自分でどうにかするしかない」という考えを持つ極めて現実的なリアリストのようだ。やはりアンパンマンとばいきんまんは、表裏一体の存在であることが浮き彫りとなった。

さて、いよいよアンパンマンが乗り込んできたが、歯が立たない。つづいて、食パンマン、カレーパンマン、そしてジャムおじさんたちまで駆けつけるが、鎧袖一触の憂き目に見舞われる。みな、すいとるゾウの魔法によって子ゾウの姿に変わり果てた。

万策尽きたと思われたが、ルルンが勇気を振り絞る。胸のペンダントから森の魔法の力がみなぎり、飛べない羽に力が宿り、すいとるゾウへ反撃を喰らわす。

さすがにこれで綺麗に大団円かと思いきや、それすらも跳ね返してしまう、すいとるゾウ。強すぎて怖い。ばいきんまんから教わった「諦めない」精神を思い出し、ルルンはさらなる反撃に出るが、もはや蟷螂の斧。

子ゾウ姿のジャムおじさんたちは、不慣れな姿でようやくアンパンマンの新しい顔をつくり、アンパンマンは元の姿に戻る。ばいきんまんは、もはや矢折れ刀尽きたかに見えた「だだんだん」から、頭部だけ分離しトランスフォームした「もぐりん」を使って加勢する。最後は、アンパンマンとルルンが力を合わせ、すいとるゾウ打倒に成功する。

ところで、すいとるゾウは、戦いの途中でゾウの化けの皮が剥がれ、内側からメカニックなロボットの躯体が現れる。そこで、ばいきんまんは、はたと気づく。「おれさまが開発したロボットだ」と。

今、私たちの世界では、人類の開発した核技術・AI・ロボット・ドローン等が、かえって人類に災厄をもたらしかねない存在になりつつある。すいとるゾウの暴走は、そのアレゴリーなのかもしれない。そうした困難を種族も思考様式も能力も三者三様に異なるアンパンマン・ばいきんまん・ルルンが共闘して克服する姿に、人類の未来が仮託されていると受け止めるのは、考えすぎだろうか。

アンパンマンとの共闘によって凱歌をあげたばいきんまん、そしてルルン。絵本の外の世界へ引き揚げていくアンパンマンたちに続いて、ばいきんまんも飛び立つが、ルルンは「ここに残ってほしい」といったような言葉をかける。これに対し、ばいきんまんが無言でルルンを見つめ返すカットが一瞬だけ入る。どんな思いが去来したのだろう。とても深いシーンだと思った。その後は、ばいきんまんらしい照れ隠しの応酬がルルンとの間で交わされるが、やはりあの一瞬の沈黙が目に焼き付いて離れない。

アンパンマンは、今回も一枚うわ手だった。ばいきんまんがいつも負けてしまうのも納得の強さ。しかし、これからも諦めず、臥薪嘗胆に命を燃やすだろう。

「アンパンマンには何度も負けたが、それでもおれさまは世界一強い」

ばいきんまんは劇中でこのように豪語するが、その自負は、きっと努力の量に基づくものだろう。努力しているからこそ自分を信じられるし、負けても「次こそ勝てるはず」と勇気が湧く。前述したとおり「愛と勇気」がアンパンマンの至上理念だが、「愛」がアンパンなら、負けても挑み続ける「勇気」はばいきんまんが体現している。100回負けても、最後に1回勝てば、勝者であることに変わりはない。「おれさまなら、いつか勝てる」と、ばいきんまんのように自分を信じられるまで努力を重ね、勝つまで諦めないならば、その人は強い。

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