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夏は受験の天王山

「おい、ケン! 今日駄菓子屋行くぞ! リョウとハヤトも誘っといてくれ」

 俺はそうラインをうち、階段を駆け下りる。

「じゃあ、塾行ってきます!」

 靴を履きながら台所にいる母に向かって叫ぶと、「ちゃんと勉強してこやーよ!」と帰ってきた。俺は元気よく返事をする。しかし、カバンの中に勉強道具は入っていない。あるのはカードゲームのデッキだけだ。

 セミの合唱を聞きながら20分間自転車で走ったところに目的地があった。駄菓子屋だ。中をのぞくと、この暑い中、小学生が団子のようにかたまっていた。一人がパックを買ったのようで、開封する様子をみんなで凝視している。その隣でだらしなく足を投げ出して座っている高校生がいた。ケンである。俺は奴の座るテーブルに向かった。

「おせぇぞショウ。小坊に神箱抜かれとったらどうするつもりやったんや」

「安心しろ、小坊に箱買いする小遣いなんてねぇよ。あれ、リョウとハヤトは?」

「あいつら塾だとよ。つうか誘うならグループラインで誘えよな」

 もっともな意見だ。だけど俺はあいつらを誘いにくい。だからケンに誘ってもらうことにしたのだ。リョウとハヤトは高校2年生まで俺たちと一緒にここで毎週カードゲームをプレイしていた。だけど、3年生になってからあいつらはだんだんここに来なくなっていった。受験だったからだ。そして今は夏休み。毎日受験勉強に励んでいる。

 ケンは違う。ケンは就職組でもう地元の工場の内地をもらっている。だからこうして俺と
カードゲームができているのである。

 では俺も就職組なのか? だからショウとこの大事な夏休みにカードゲームをプレイしているのか?

「ふうん。その様子やと塾さぼってきたんやな」

 ケンはデッキをシャッフルしながら言う。そう。俺は受験組である。ケンのストレートな言葉に罪悪感で心にダメージを負ったが、俺もデッキを取り出しシャッフルする。

「番外戦術やめろよ」

「番外戦術? 隙見せる方が悪いんやろ。これは遊びやないんやぞ。真剣勝負や。闇のゲームや」

 ケンはカードゲームをするときに雰囲気を出したがるタイプである。それで力が入ってしまうのだろう。このように漫画のセリフを吐いてしまうのだ。しかし、その姿勢は嫌いではない。むしろ俺も好きな方だ。なので俺もそのノリに乗ることにしている。

「闇のゲームだと? 面白い。負けるとどうなる」

「ショウ。お前が負けたら、この街に残れ。お前もここで働くんだ」

「おい、ちょっと待て」

 予想がいな返答に俺のスイッチが途切れる。それに対してケンは「なんだよ」と不機嫌そうだ。イヤ、現実に戻しこんだのはケンのほうだろう。

「将来のことやぞ!? そんなんたかがカードの勝敗で決めていいことやないやろ」


「でも、実際やりたくない勉強から逃げながらカードゲームしたっておもろくないやろ? それやったらさっさと就職決めて楽になった方がいいやろ。それに大学行くなら上京するんやろ? そしたら俺達カードゲームできへんやん」

 めちゃくちゃな意見もあるが一理ある。確かに別居うから逃げ続けるのは苦しい。普通なら挫折した時点で逃げてしまえばいい。でも、こっちにもいろいろある。

 くそ、受験なんてなければ。サウナのような駄菓子屋の中でいやな感情と戦っている時だった。入り口から風が吹いた。それと同時に声が聞こえてきた。

「ショウ君! 探したよ! 塾一緒に行こう!」

 俺が受験から降りられない理由がやってきてしまった。梨花だ。

 梨花は俺の隣に住んでいる。幼稚園と小学校は同じで、そのころはよく遊んだ。しかし、中学校になると梨花は私立中に行くようになり、中学時代には合わなくなってしまった。それから月日がたち、高3になり、梨花が受験のために入った塾で俺たちは再開した。お互い小学校の時から背は伸びていたし、雰囲気も結構変わっていたがが、すぐに梨花だと分かった。なぜなら俺は小さいときにしてしまった約束をずっとおぼえていたからだ。

 小学校低学年の時だったと思う。俺が梨花のお医者さんごっこに付き合っていた時だった。俺は雰囲気を出すために段ボールで診療所のような場所を作った。それがものすごく好評で、梨花は跳ねて喜んでくれた。そして、その時に約束したのだ。大人になっても同じことをしようと。つまり、梨花が医者になり俺が梨花の病院を建てる建築家になるという約束をしてしまったのだ。

「なんや梨花。こんなとこまでついてきて」

「そっちこそ。こんな時期にどうしてこんなところで遊んでるの?」

「そんなもん俺の勝手やろ」

 つい、口調が強くなってしまう。周りの小学生や駄菓子屋のおばちゃん、そしてケンがいきなり始まった言い争いにぽかんとしていたが、梨花はそれにかまわずヒートアップしてゆく。

「ショウ君の勝手じゃない。忘れたの? 昔した約束」

 昔した約束。その言葉が自分の胸に刺さる。刺さった言葉はきりきりと自分を責める。それを振り払うようにして俺は大声をだしてしまった。

「忘れるわけないやろ! やからこうして頑張っていい高校行ったんやないか! 自分で仕事と手来れるような建築家はいい大学いっとらんと赤編やろうからな! やけど、俺には無理なんや! どれだけやっても同じ高校のやつらに追いつけへん! 歯が立たん! ここが俺の限界なんや」

 そうだ。忘れようにも忘れられなかった。小学校の時ずっと言っていた約束だったから。だから頑張りたかった。だけど、俺の周りには俺が10努力して得る能力を1努力して得るような奴らばかりが集まった。それで、俺は努力しても順位はどんどん下がってゆき、結局は学校でビリの順位になってしまったのだ。それで折れてしまった。そして、約束を果たせないのが本当に申し訳なくて忘れることなんてできなかったのだ。

「だから、俺はもう無理なんや! だからもう約束は忘れてくれ。俺はもう頑張れへん。もう俺にプレッシャーを与えんでくれ」

 駄菓子屋の中は静まり返り、セミの音だけが聞こえてくる。しばらく沈黙が流れた後だった。梨花が口を開いた。

「ごめん」

 その言葉に、俺は顔を上げた。ケンが俺の代わりに「じゃあ、約束は破棄ってことか?」と尋ねる。

「苦しい思いをさせてきたのはごめん。だけど、そのごめんじゃない」

「え?」

「約束なかったことなんてできない」

「なんでや! ショウはこんなに苦しんどるんやぞ!」

「だからごめん」

 梨花は泣きそうな声で言った。

「辛い思いをさせちゃってごめん。でも、それ以上にやっぱりずっと、一緒にいたい。一緒に約束をかなえたい。だって、ショウ君が大好きだから。ごめん。だから、頑張ってほしい。でもその代わりできることなら何でもするから。勉強だって教える。ショウ君が浪人してもその分待ってる。だから絶対約束を守ってほしい。だって、ずっとずっと大好きなんだもん」
そうか。梨花も約束を果たすためだけに頑張ってくれてたんだ。それでここまで俺を追いかけてきてくれたのか。だったら、おれも怖いけどやるしかないじゃないか。

「ごめん梨花。今はつらいし逃げそうになるかもしれないけど、それでも応援してほしい」

「当たり前でしょ」

 熱いサウナのような駄菓子屋でギャラリーが見守る中、俺たちは抱き合った。

「すまん。ケン今日からちょっとカードゲームできそうにない」

「そらそうよ。俺の負けだ。約束だもんな。お前のデッキもらってくぜ」
 ケンはそういうとデッキをケースごと取り上げた。

「何すんだよ!」

「闇のゲームの報酬だ。お前が勝ったからお前はこの町で働かずに済む。つまりお前は東京の大学に行かなければならないっていうことだ。そういう約束だ」

「それとデッキ奪うの何の関係があるんだよ!」

「遊ぶ暇なんてないだろうが」

「クソ、この馬鹿が!」

「とにかく、今が勝負所なんだからショウ君のは彼に預けておきましょ。さあ、塾行くよ大学受験は夏が大事なんだから」

「くっそー。わかったよ。行くか」

 俺は梨花に手を引かれて駄菓子屋から出た。目の前の真っ青な空に大きな入道雲ができていた。

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