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小説:眠れない夜、君を思ふ
草木も眠る丑三つ時。常夜灯もつけていないのに、部屋の内装がよくわかる。それは窓から差し込む月明かりのせいか、それともこの暗闇で一時間思想にふけってしまったからだろうか。とにもかくにも眠れないのである
それにしてもこの4畳半の部屋は悲惨だ。机の上に目を移すと、夕食の汁がへばりついた皿が重なり、狭いこたつ机を我が物顔で占領している。そして、余ったスペースにちょこんと申し訳なさそうに転がっているのが酎ハイの空き缶だ。睡眠剤のつもりで飲んだのにその効果を発揮できなかった憂い目を感じているのかもしれない。こんなゴミなど見たくない。机の上から目を背けると、今度は山のように積まれた洗濯物が自然と私たちをかわいがってくれとアピールしてきた。さらには、頭上には生臭く湿った洗濯物が俺もいるぞとわめいてくる。ああ、田舎から東京に出てきて二年目でこれなのか。この狭く汚い六畳アパートに閉じ込められ、朝早くから奴隷列車に運ばれてゆく。これが俺の生きる意味なのか。つい涙がこぼれそうになる。それを許せばそのまま心が崩れ落ちてしまいそうだ。ぶら下がる洗濯物を押しのけ、ベットから這い出る。涙がこぼれぬように空を見た。
きれいな月が夜空に浮かんでいた。ああ、なんてさみしい。一人はなんてさみしいのだろう。ああ、彼女に会いたい。でも今日は会えない。どうしてこんな日に限って出勤していないのだ。サヤカちゃんは。ああ、ひと肌が恋しい。
正直に言ってしまうと、おそらく俺は眠れる。私は寝る前のルーティンがあるのだ。そう、毎日自分を慰めるのである。しかし、今日はその習慣を破った。もう一度風呂場の感触を味わいたかったからである。ひんやりと、なめらかで柔らかい肌に触れ、言ってほしいのだ。「もっと甘えて」と。それを想像しただけで、布団に入った私の虎は暴れだしてしまったのだ。興奮した虎は抑えるのは難しい。
それならばいつものように虎を慰めてやればいいではないかと思うだろう。しかし、私は完璧主義である。風呂場にはベストコンディションで挑みたい。
私は常に完璧を目指し努力する自分は嫌いではない。むしろ、その物事に対する深い情熱は自分の長所であるとすら考えている。しかし、時にこの主義は自分を追い詰めてくるのである。風呂場にもベストな状況で訪れたいが会社にもベストな状況でぶつかりたいのだ。
会社な嫌いである。今すぐにやめてやりたい。奴隷列車にドナドナされているとき、おそらく私は死神のような顔をしている。私は二枚目なのにだ。であるからして、二枚目である私をそんなにしてしまう会社という地獄に挑む際コンディションは完璧にしておかねばならんのだ。寝不足などもってのほかである。
会社か女体か。今迫られているのはこの二択だ。どちらもとても重要で捨てがたい。悩んでいるうちに目はどんどんさえてゆき、時計の針は加速してゆく。
今から眠れたとしても3時間。そんなので会社は耐えられるのだろうか。しかし、これより短くなるのはさらに危険である。今すぐ虎を満足させ屏風に戻すべきである。いいや、ここであきらめていては快感を得ることはできない。快感を得ることができない、それすなわちこの暗闇の底にいるような生活が続くということである。我慢するのだ。思い出とは困難を乗り越えた先に輝くものである。私の中で天使と悪魔がぎゃいぎゃいと喧嘩をしている。喧嘩をするなら二人とも殴り合って気絶でもしてほしい。そっちの方が眠れそうだ。
丑三つ時が終わったころ、私はついに覚悟を決めた。もうここまで来たらしょうがない。どうせ眠れないのなら好きなことをやって時間を過ごそう。パソコンを起動して、FPSを始めた。もはややけくそである。もうなるようになってくれ。
一試合目は順調だった。順位も3位と悪くない。でも、最後の動きもうちょっと仲間とフォーカス合わせられていたら。次の試合に行こう。うーん、さっきより順位が。ちょっと立ち回りきつかったな。次いこう。は? チートじゃないか! クソが。次じゃ次! 書道重ねてくんなよこのハゲ! くたばれ! 次じゃ! 味方カバー来いよ! イヤ突っ込むな! 次はこいつら皆殺しにして一位取ったるからな。
気が付けば次の試合勝たなければランクが下がってしまいそうだった。
「おい! 味方! 来いよ! おせぇ! おせぇぞ!」
無能な見方を横目に俺は叫ぶ。しかし、ここで一対一に勝てれば……。その時だった。
ドン!
隣の壁から聞こえたその音によって、ショットガンの狙いが外れた。その次の瞬間俺は敵に倒された。
今、握力測定を行ったら世界記録が出せるだろう。私はモニターを殴りつけたい衝動を何とか抑えた。しかし、次から次へと脳内にいろんなものが浮かび上がる。汚い部屋、疎遠になった友達、高校生の時この私を振ったあの子、俺を落とした大学、うるさい上司、会えないサヤカちゃん、壁を蹴る隣人、負け続ける弱い自分。いつの間にか、顔が震え、こぶしを構えていた。
これ以上やると俺はFPSが嫌いになってしまう。モニターに届くか届かないかくらいのところでこぶしを止めて、俺は玄関から飛び出した。
「くそ!!!!!!クソが!!!!!」
誰もいない道路をひたすら走った。叫びながら走った。どうしてこうなのだ。私が何か悪いことをしただろうか。こんなどうしてこんなごみのような人生を送らねばならない。学生時代、勉強も恋愛も苦労してきた。大人になったのだから報われてもいいじゃないか。なぜ、今まで苦労してきたのに楽にならないのか。なぜ、周囲の人間はつらい現実をいやしてくれる彼女がいるのだ。それなのに私だけはどうして慰めてもらうのにお金を払わなければならないのか。なぜ、唯一他人よりできると思っていたゲームでも才能がないと突き付けられなければいけないのか。
「クソ! クソ!」
私は走った。ただひたすら走った。気が付けば河川敷にやってきてしまった。とても静かで、ひんやりとした空気が気持ちよかった。見上げると広い空が広がっている。ビルに囲まれていない広い空は田舎から出てきて初めて見るかもしれない。
もし、これが実家だったら私の親は慰めてくれただろうか。それとも、騒ぐ私に気が付かず眠り続けるだろうか。
ようやく眠気が襲ってきた。副交感神経はやってくるのが遅すぎるのである。
「サヤカちゃんに慰めてもらおう」
俺は立ち上がり、元来た道を戻った。白く染まり始めた東の空はきれいだった。
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