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【短編小説】 「スマホを見ないと死んじゃう病」 恵子と慶太(7日目)

 10月9日 午後11時 
 事件発生から159時間が経った。完治まであと9時間
 
 長谷部恵子は、最後になるであろう30分ルールの時間を迎え、仮眠中の夫に合わせて少しでも睡眠を取ろうとベッドに横になった。
 しかし、身体は眠さと疲れに悲鳴を上げているのに、目を閉じても頭が冴えていく一方であった。やはり明日の完治予定時を控えて心が興奮状態にあるのだろう。
 
 恵子は、ベッドに腰掛け、この地獄の1週間を思い返した。
 対象者になったと理解した時の絶望感、多々良目駅で危うく命を落とすところだったこと、息子と離れて暮らす寂しさ、夫の必死のアシスト、今も続く眠さと疲労との絶望的な闘い、そして今や親友とも呼べる6人のスタッフとの絆。
 
 ぼんやりと考え込む恵子に、ボランティアスタッフの香菜が心配して話しかける。
 「恵子さん、大丈夫?少しでも仮眠を取った方がいいんじゃない?ちゃんと時間管理してるから。」
 「ありがとう香菜ちゃん。でも、気が高ぶって全然眠れないの。少し、散歩してみようかな。付き合ってくれる?」
 恵子は、香菜に付き添ってもらい、3階下のロビーまで散歩することにした。
 
 保護されているといっても、ホテル内は意外と自由に動ける。
 肉体的にも精神的にも限界に達して、自室に閉じこもりっぱなしの対象者がほとんどだけど、30分ルールに切り替わる22時以降になると、運動がてらロビーに出てくる人は何人かいた。
 しかし今夜のロビーは、明日をひかえて慎重になっているのか人影はなく、警備の人達だけが目立っていた。
 
 ぶらぶらとロビーを歩いていると、突然、奥の方で怒鳴り声がした。
 「いい加減にしてくれ!俺に構うな!一人にしてくれ!」
 驚いてそちらに目を向けると、チャラそうな男がソファーに座っていて、そばに立つ実直そうな男性に怒鳴り散らしていた。
 怒鳴られたボランティアスタッフらしき男性は困惑して立ちすくんでいる。
 何ごとかと警備の人達がそちらに駆け出したが、そのスタッフはジェスチャーで大きく大丈夫のサインを出したあと、悲し気な表情で少し離れたソファーに腰掛けた。
 
 「あの人、突撃Boysの慶太ですよ。昨日の夜、強制的に保護されたみたいです。」
 香菜が恵子にそっと耳打ちした。
 恵子もその男の顔を知っていた。マスコミによく出ている顔だ。
 「スマホを見ないと死んじゃう病」が発生して以来、彼らがいろいろやらかしてきたことは知っていた。
 でも、キューチューブそのものは見たことがなかった。
 自分が必死になって生き残ろうとしているのを、嘲笑されているような気分になるからだ。
 昨日の突撃Boysの騒動については、今朝のテレビで知った。
 ゲームじみたことをやってメンバーがまた一人亡くなったことやメンバーが交通事故死したことなどがかなり批判的な論調で報道されていた。
 「結局、あの人ひとりだけが残ったみたいですね。」
 そう言うと、香菜はあらためて慶太に憐みの目を向けた。
 
 香菜が、「恵子さん、そろそろ戻りましょうか。」と声をかけると、恵子は返事もせずに慶太のいる方向に向かって真っすぐスタスタと歩き始めた。 香菜が慌てて恵子のあとを追った。
 
 恵子は慶太の前に仁王立ちになると、語気も荒くいきなり問いただした。
 「あなたはいったい何をしたい人なの?」
 
 「突然なに?あんた、誰?ひょっとして俺のファン?」
 慶太はニヤケ顔で、恵子を小馬鹿にしたように言った。
 
 「私は長谷部恵子。あなたと同じ対象者。突撃Boysのことはもちろん知っている。どんなことをやってきたかも大体知ってる。でも全然ファンじゃないし、逆に大嫌い。私はこの1週間、生き残ることだけを考えて必死にあがいてきた。でもあなた達のやっていることって、命の大安売りだよね。今まではあんまり気にしないようにしてきたけど、実際にその顔を見たら物凄く腹が立ってきた。だから答えて。」
 
 香菜と慶太のスタッフがオロオロしている。
 警備員たちがこちらの方をチラッチラッと見ている。
 
 「答える義理なんてなんもないけど、答えてあげるよ。俺たち突撃Boysは、対象者の立場を利用してでも全員でキューチューバーのテッペンまで駆け上がりたかったんだ。それでBoysみんなでこの1週間を生き延びて、金も名誉も手に入れたいと思っていた。…どう?これでいい?」
 
 「言ってることとやってることが全然違うじゃない。嘘をつかないで。」
 
 「ははは。そうだよな。でも嘘じゃないよ。1週間前までは本気でそう思っていた。今となってみれば、キューチューブでバズることなんて本当につまらない話だって分かるけど、結局、俺たちはそれに捉われて雁字搦めになってしまった。命と数字のどっちが大事かなんて聞かれなくとも分かり切ったことなのにね。俺らは敢えて間違った答えを選んでいったんだ。」
 慶太はそこで言葉を止めた。

 かんさわるニヤケ顔から表情が消えた。
 「でも本当は、Boysのみんなとつるんで、いつまでも楽しく遊びたいだけだったのかもしれないな。突撃Boysを有名にしたかったのも、俺らの遊び場をもっと広くしたかっただけだ。せっかく突撃Boysの名前が売れたのに、肝心の仲間が一人もいなくなるなんて本末転倒だよな。なんでこうなってしまったのかな。この1週間、どこで道を間違えたのかな。」
 最後はまるで自分に問いかけるように一気に話し終わると、ため息をついてロビーの高い天井を仰ぎ見た。
 
 「あなた一人だけしかこの場にいないという事実が全てなんじゃないの?これ以上、生きようと必死に頑張っている人たちを愚弄ぐろうしないで欲しい。もっとも、あと何時間かで病気から解放されるから、もうあなたは何もできないでしょうけど。」
 
 憎々し気に言い放った恵子を、慶太は憐れむような目で見た。
 「俺たちがしてきた事をあんたがどう思うかなんて知ったこっちゃないね。まあ、自分がクズだってことは認めるけどさ。でも、あんたも大概おめでたい人だな。本当に明日で病気が治るって信じているの?そんなの分からないじゃん?もしかしたら明日からもずっとこのままかもしれないよ。そうなっても、あんたはそんな正論を吐き続けるのかい?」
 
 敢えて考えないようにしていた大きな不安をはっきりと口にされ、恵子はグッと息を飲んだ。そして何も言い返すことができずに立ちすくんだ。
 
 慶太は再びニヤケ顔に戻ると、おもむろに立ち上がった。
 「さあて、俺は部屋に戻りますわ。山本さん、さっきは怒鳴ってごめんね。さあ、戻ろう。」
 慶太はスタッフの山本に声をかけると、立ちすくむ恵子の脇をすり抜け、エレベーターに向かって歩き出した。山本はペコペコと恵子と香菜に頭を下げながら慶太を追いかけていった。
 
 恵子が呆然とその後姿を見ていると、慶太は、エレベーターの手前で不意にくるりと振り返り、目が覚めるような大声で叫んだ。
 「長谷部恵子さん!だっけ? グッドラック!!」
 慶太は右手を高く上げ、恵子に向けて親指を立てた。
 
 
(続く)


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