見出し画像

【短編】 2040年の「妖怪大戦争」


   少年時代に通い詰めた片田舎の小さな映画館で、文太郎は人生と映画を学んだ。その映画館が突然廃業した日、文太郎は自分の人生を映画に捧げることになることをぼんやりと予感した。そして、その予感どおりに文太郎は映画の道をひた走っていった。

   地元の映画館が閉館したあとも、文太郎はバスに乗ってあちこちの映画館に通った。はじめは親や近所のお兄さんに連れて行ってもらっていたが、小学3年生になると一人で行くようになった。できるだけお金をかけないよう、安い二番館や三番館に通い詰めた。

   一人で行動できるようになってから、親が眉をひそめるような大人びた映画もこっそり観るようになった。文太郎は、ありとあらゆるジャンルの映画を浴びるように観続けた。子供ながらに、アメリカン・ニューシネマの刹那感に衝撃を受け、2001年宇宙の旅の難解さに頭をひねり、ヤクザ映画に説明できないカタルシスを覚え、寅さんと桃次郎にユーモアとペーソスが表裏一体であることを学び、エクソシストで西洋の怖さの感覚を知り、黒澤明や今村昌平の才能に畏怖し、子どもの味方に成り下がったゴジラに失望し、007シリーズの痛快さに心を躍らせた。

   中学生になった文太郎は、親戚から古びた8mmフィルムカメラを譲り受けた。初めは風景や家族を撮るだけだったが、やがて見様見真似で映画らしきものを撮り始めた。中学校で自ら映画研究会を立ち上げ、子ども離れしたシナリオと撮影技術に長けた作品で数々の映画コンテストで賞をもらった。
 高校に進学した頃には、すでに天才少年としてその名を知られるようになっていた。文太郎は、高校卒業後すぐにでも映画の道に進みたかったが、親に説得されてしぶしぶ大学に入学した。大学の映研でも相変わらず秀作を量産していたが、二十歳になった時に我慢しきれずに大学を中退して、知り合いの映画制作会社に転がり込み、雑用係とはいえ本格的に映画製作に携わり始めた。

   気が付けばそれから半世紀近くが過ぎていた。家庭も持たずに映画に打ち込んできた文太郎は、日本を代表する映画監督として揺るぎない地位を築いていた。トレードマークとなったハンチング帽をかぶり、娯楽作品から文芸作品まで幅広い作風の傑作を次々と生み出す文太郎は、「映画の神様」と呼ばれるようになっていた。その驚異的な成功ぶりは、あたかも本物の映画の神様が文太郎を導いているかのようだった。

   しかし、今、文太郎は映画監督を引退することを考えていた。齢67にして幾多の世界的な賞を総なめにしてきた。富と名声だって十分過ぎるほど手に入れた。年齢的にはまだまだ老け込む歳ではない。これからだってそれなりに良い映画を撮れる自信だってある。だが、映画への情熱は夕焼けに溶けていく夕陽のように消えかかっていた。文太郎は、惰性で映画を撮ることが、映画への冒涜であることをよく分かっていた。

   そして文太郎は、最後に自分が本当に撮りたい映画を自分のためだけに撮ることを決めた。
   自分が最も愛する、映画監督としての原点となった映画のオマージュである。

   文太郎は私財を投げ打って、密かに気心の知れたスタッフを集めてチームを作った。そして、全世界を探し回って1960年代の映画撮影機材を集めた。
   スタッフとの初めてのミーティングで文太郎は告げた。
   「僕が作るのは、1968年版妖怪大戦争の最後の百鬼夜行のシーンだ。120分の尺で妖怪達が朝靄の中を行進し、朝靄の中に消えていくだけの映画を撮る。」
   「妖怪の造形にCGは使わない。機材も当時のものを使う。あの時代の雰囲気を映画に落とし込む。」
   「これは僕が撮る最後の映画だ。餞別だと思って協力をお願いします。」
   文太郎はスタッフに深々と頭を下げた。

   4年の歳月を費やして映画は完成した。
   映画にはタイトルも音楽もなく、 ストーリーさえない。
   夜と朝の狭間の朝靄に包まれた山奥の草原。遥か遠くから、数百体の妖怪たちが、楽しげに誇らしげに踊るようにゆっくり近づいてきて、目の前を通り過ぎ、そしてまた朝靄の中に消えていくだけだ。
   だが、それがベストオブベストであり、一分の隙もない何もかもが完璧な映画であった。
   文太郎はスタッフを集めて完成試写を行った。
   映画が始まるやいなや、全員がその幻想的で気高く美しい映像に息を呑み、あまりの衝撃にスタッフロールが流れ終わってもしばらく席を立つことすらできなかった。
   文太郎は晴れやかな表情でスタッフに深く感謝の意を述べたあと、忽然と映画界から姿を消した。

   それから数年後
   秋田県の寂れた農村の町はずれに、いつの間にかひっそりと小さな映画館ができていた。
   その外見は古びていて、いかにも昭和の映画館といった雰囲気だ。
   看板も何もないが、重いガラス戸を押し開けて中に入ると狭いロビー広がっている。入ってすぐの左手の台の上には、「入場料100円」と手書きの汚い紙が貼られた料金箱が無造作に置かれている。ロビーの薄汚れた壁には、ボロボロになった1968年版の「妖怪大戦争」のポスターが1枚だけ貼ってある。
   ロビーの先のホールに進むとスクリーンが見える。それでやっとここが映画館であることを実感できるが、奇妙なことにホールの薄いカーペットの上には座席が二つしかなかった。
   一つはホールのど真ん中にポツンとあって、もう一つは普通なら前から3列目の左端に位置するだろう場所に離れて置かれている。そして、その左端の席にはいつでもハンチング帽をかぶったおじいさんが座っていて、幸せそうな表情で映画に観入っている。
   映画のプログラムはたった1つしかない。 妖怪が行進するだけのストーリーも何もない映画を毎日3回繰り返して上映している。
   観客の姿は、ハンチング帽のおじいさん以外ほとんど見ることはない。
   ごく稀に、近所の小学生が3~4人で来ることもあるが、映画を観るでもなくホールのカーペットの上に車座になって座り、ゲームに熱中している。

   その日は、昨夜から猛吹雪が続いていて、客など来ないことは分かっていたが、ハンチング帽のおじいさんは今日もまた自分のために映画を上映している。
   ハンチング帽のおじいさんはいつものように左側の席に座り、何百回目かの百鬼夜行に観入る。
   歳のせいか、このところ体調が優れなかったが、今日は妙に調子が良い。
   スクリーンの色彩もより鮮やかに目に飛び込んでくるような気がする。

   ハンチング帽のおじいさんはその時、ふと、違和感を覚えた。
   これは自分が全身全霊を込めて作り上げた映画だ。何から何まで知り尽くしている映画だ。
   でも、何かが違う。
   妖怪たちが近づいてくるにしたがって違和感はますます大きくなっていく。
   その違和感に気づいた時、ハンチング帽のおじいさんの目から涙が零れ落ちた。

   スクリーンの中の妖怪の行列に混じって、少年時代に出会ったあの映画の妖怪じいちゃんが歩いている。
   70年前に見た時と同じ着流し姿でタバコを咥えながら楽しそうにゆらりゆらりと歩いてくる。
   妖怪じいちゃんはやがて妖怪の列から離れてカメラに向かって近づいてきた。
   「よう、文太郎。」
とニヤリと笑うと、スクリーンの中から腕をニュッと伸ばしてハンチング帽の文太郎の手首を掴んで、スクリーンの中に引き込んだ。
   朝靄の煙る肌寒い山間の草原で文太郎と映画の妖怪じいちゃんは向かい合った。
   「なぜ僕の名前を知っているのですか?」
   文太郎は、たくさん聞きたいことがあるのに、最初に口をついて出たのはこの間抜けな質問だった。
   「もちろん知ってるさ。ずっと文太郎と一緒にいたからな。わしはお前だ。」
   「わしはお前?」
   「おう。わしは映画好きが高じて映画館を作ったけれど、本当にやりたいことは自分で映画を作ることだったんだ。70年前に死んだ時、そのやり残した夢にどうしても悔いが残った。そんな時にお前の姿が目に入ってな、この映画好きのボウズとならいい映画を撮れると確信したから、わしはお前の中に溶け込んだんだ。それからお前とわしは一心同体で映画の道を歩いてきた。おかげで念願だったいい映画をたくさん作ることができたよ。ありがとう。礼を言うよ。」
   「僕がこれまで撮ってきた映画はみんなあなたが作ったと言うのですか!?」
   「違う違う。言わばわしとお前の共作みたいなもんだ。わし一人ではあんなにいい映画は撮れなかったと思うよ。それから、最後の映画だけはわしは全く関わっておらんからな。」
   「それじゃあ、この映画は…」
   「うん。文太郎、本当にいい映画を撮ったな。誰一人としてこれを超える映画は撮れないだろう。」

   ああ、そうか、この言葉を聞くためにこれまで生きてきたのかと文太郎は思った。

   「文太郎、楽しい人生だったかい?もう悔いはないか?」
   そう映画の妖怪じいちゃんに問われた文太郎が後ろを振り返ると、ホールの左側の席の前で蒼白の顔をした文太郎がぐったり倒れているのが見えた。真ん中の席では、座席の上に立ち上がって満面の笑みで万歳をしている少年時代の文太郎が見えた。
   文太郎はくるりと振り返り、ニッコリと笑うと朗らかな声で言った。
   「うん。もう十分だよ。楽しかったなあ。」

   そして文太郎は妖怪たちの列に加わり、軽い足取りで朝靄の中を歩き出した。

(完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?