男のくせに
日本ではまだ、男性のメイクが受け入れられないって人も多いだろう。「あり得ない」「気持ち悪い」という声をたくさん聞いた事がある。
あと、以前記事にもしたが、バイト先の先輩ははっきりと、「男性の長髪は気持ち悪い」と言った。
そういうことを平気で口にできるのが日本で、私の生きている環境だと思うと残念な気持ちになる。
私は女として生まれたけれど、そういうことに関しては昔からかなり自由にさせてもらってきた。
髪を短くするときも、母は激怒したけれど周囲の声は明るいものばかりだった。
好きなときにスカートを履ける。ズボンを選べる。制服には確かに規則がまとわりついていたが、それは男性も同じだろう。
メイクに関しては、したくないからしていない。それで許されている。社会から制裁を加えられたわけでもなければ、メイクをしていないことでいじめられたこともない。
ふと、男性はどうだろうと思うことがある。反対側の世界で生きている彼らは、メイクをしたりしなかったり、長髪にしたりしなかったり、自由にできているのだろうか。
他人の声は他人の声として消化できたらいいのにと思うときがある。
「男だから」という声も「女だから」という声も無視して、自分の好きな見た目で生きていけたら。そんな簡単なことだけが叶うなら、どれだけ幸せなのかと思う。
「男のくせにあの人車を運転しないから」と言った女友達がいる。
そんな言葉を簡単に口にできてしまうことの怖さ。そんな言葉を他人を傷つけていると知らずに発することのできる無神経さ。
男女問わず一人一人の人間の、運転したい、したくないという気持ちはどこへ消えたのか知りたい。
この間たまたま目にした記事の中で、「運転は男に任せる」といった女性の言葉も見た。
他人に任せるならわかる。
わからないのは、そこに性別が関係している点だ。
若者が何人も死んだ車の交通事故で、運転手が女性だったことで少しネットは盛り上がっていた。「やっぱり女は」という声を見た。
得意、不得意はある。人間だから。でもそれを、性別としてひとつにまとめられるべきではないと思う。
男と女はいつも真向かいにいる。決して同じ世界に入り込めないような気がする。
だからこそ人間は、異性のことを一括りにして見てしまいがちなんだと思う。隣の村の住民、くらいの距離感と似ている気がする。
別の生き物として見ているような、そんな感覚で。一人一人として見る前に、男性か女性かで様々な判断を下してる。勝手に。
男性のメイクや長髪が受け入れられないとか、受け入れられるとか、そもそもそんなこと、言わずもがなどうだっていいのだ。
人の見た目に口出してる大勢の「他人側の人間」たちがいけない。
お前らが受け入れようが受け入れなかろうが、赤の他人の人生なんだから放っておくのが礼儀だろうと思う。
男と女はきっと、同じ生き物ではないんだろう。人間という共通点以外は考え方も捉え方も色々違っているんだろう。そう考えたほうが早いんだろう。
だけど、「他人」であることを忘れずにいたい。
同じ心を持った人間であり、女や男である前に一人の人間であることを、まずはしっかり理解するべきだ。
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