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昔の記憶 形成

昔から、私は下に見られることが多かった。
小学校は通級していたこともあるためか、特別扱いされる一方で下に見られていた。

勉強でよく父親に怒鳴られてた。
そして高校に行く時は農業高校になったが、学びたいとは思わなかった。
元々、農業や農業実習には関心もなかった。何が楽しいかわからない。
あるのは労働実習のヒエラルキーのみで働かない、役に立たないと下に見られるのみだった。実習のある学科にはいかないことにした。

父親は林業試験場で働いていたためか、行く高校には寮があるからいい経験になると言っていたが、その一方で農業や林業に大きく関心持って利用には見えなかった。その一方で農業高校を下に見ていて、横柄な態度もあった。

そして高校から20代に至るまでにやたらと「楽しむこと」が言われてた。
小学生の時に聞きたかった言葉だ。意識の暗い人間にそれを言われるのは拷問だった。

こうも思った。「楽しむ」ことを言う一方で、抽象な話や、人の暗い表情については無関心なのだろうと。

沖縄に住んでた時代、やたらと楽しむことを言う人がおおくて大変だった。
楽しいことにしか関心がない。同時に人に頼ってきても、その逆はない。ギブアンドテイクは必ずしも成立しないと言う事だった。
その一方で仲間意識を強く言うのがいて過剰に群れることを言ってきた。
弱いと猶更に言ってくる。仲間意識と楽しい事を言うくせに暗い話には無関心なのが多くて宛てになりそうもなかった。

もっと、そう言ってくる人間には「構うな」と言えばよかった。
それだけでよかった。幼少期に勉強を強制されて、怒鳴られてたためか、断る事ができなかった。断るとさらに怒鳴られることしかなかったから。

自分の言う仲間というのは、群れるだけでなく、いくらかの事について聞く耳を持ってくれて、時間的に、空間的に束縛や抑えつけられることのない人を言う。どちらにせよ論争しあわないとならないこともある。

最近、ジャニーズ問題の報道や、それに対しての意見でキャンセルカルチャーの事なども関わっていて、記憶がえぐられるのもあると思う。

沖縄時代にいた踊り団体「沖縄ほにや」を批判したこともあり。
理不尽ならば、服従するのみでもダメで、理不尽に対し理不尽をもって返すこともいる。理不尽を楽しむのはなおさらに。

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