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沖縄に住んでて思ったこと

沖縄に住んでて思ったこと

沖縄に住んでて、周囲の無理解さに苦しむ。大学卒業後の社会人サークル関係で。この団体はよさこい踊りに対する共感性しか認めてくれなかった。
それ以外は無関心。ズレながらも、哲学知識を些細なことで言うと抑えつけられて、封殺される。その理解が遅く、理解されていったときに、もうイヤになって辞めた。

あの当時はバカだったのだろう。建前ばかりに気を取られてた。
原因は女だ。気になっていた女に三下り半をつけられたのにもかかわらず、熱心にメールで話してた。それであるとき拒否された。彼女の勤務している離島に言って謝りたいと言ったときに排除された。仕方なかった。それでやめた。ここにいても、楽しくなかったこともあった。

仲間とは言われてても、よさこい踊りマンセーばかりだった。
客観的にのれん分けしてくれた団体について言う人がいなかった。

理想

彼等の理想は「踊る人も見る人も楽しく」「個性の尊重」、「困ったことあれば相談して」だった。すべて自分には役に立たなかった。
リーダーは創価の人間で自分に入るように遠回しに言ってきた。メーリングリストでの宣伝でも踊りの価値の中に創価のイデオロギーを出してた。
空気読むことが団体で求められてても、リーダーのKYさだけは許されてた。
本当は踊りでの話だったのだろう。選択肢は創価のリーダーに話すか、病院の相談所に行くかになってた。

メンバーは女性が多かった。

メンバーは女性が多かった。
どこか普通そうにしてた。人間臭さが乏しく、踊りのみに陶酔して同調して、よそよそしかった。そして共感しないとヒステリックになるのもいた。
こんなのにアピールしてたかと思うと失敗だった。

ある女は踊り団体でアイドルのような存在になり、こちらの話(哲学)には無関心なくせに、踊り団体の理想は押し付けてた。これは二枚舌に見える。話した状況は大事な話がされる時ではなかった。結局、言えば言うほど、被害者ズラされていった。
そのくせ、偉い人の声一つで態度を変える。無関心だったのが、あるようにふるまってくる。あの女はそれを自覚しているのだろうか?

感想

これらの事を含めると、「くたばれ」と言われている気がする。
あの当時、かばってくれたり、ほんの少し理解を示す人がいてくれたらなと思った。そう思っても、甘えにしか見なされないだろう。役に立つようになってからしか、手の平返さないのだから。
又は偉い人がすごいと言ったら態度を変えるのか?

甘えずに結果出せ、そしたら愛してやろう。という物だったのだろう。
沖縄は血も涙もない。よそ者には。


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