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ウクライナとロシアの歴史について 箇条書き

箇条書き

断片 

ウクライナはソ連から1990年代に独立した。
国家として独立して、約30年前後となる。

その過程でサッカーではディナモキエフがヨーロッパで躍進した。
チャンピオンズリーグで。ウクライナのアンドリー・シェフチェンコが有名。イタリアの名門、ACミランで活躍した。


「大モンゴル」(3)- 世界征服への道 - 幻の帝都カラコルム オゴデイがめざした世界戦略(NHK 1992)という番組でモンゴル帝国の歴史でのロシアウクライナの話がされてた。

その中であるウクライナ人がロシア人との違いを言っていた。その話をうる覚えで書く

「ロシア人とウクライナ人は違う。同じスラブ民族でも、ロシア人はモンゴル人と交っているからだ」と

「大モンゴル」(3)-世界征服への道 - 幻の帝都カラコルム オゴデイがめざした世界戦略より(時間帯は不明)

この後、番組で紹介されるウクライナの新聞で政治家のイラストでルーシについて書かれている。うる覚えになる。

ルーシは今もあり続けるだろう。キエフのルーシとして。

「大モンゴル」(3)-世界征服への道 - 幻の帝都カラコルム オゴデイがめざした世界戦略より(時間帯は不明)

他にはロシアの都市カザンの独立の話が特集されてた。
カザンにはタタール人という民族がいる。モンゴルのロシア侵略の過程で当時いたトルコ系の遊牧民と交りできた民族とされる。モンゴル帝国の分派があり、イワン雷帝のモスクワ公国に支配された。
ソ連崩壊後にカザンは独立を主張し、当時の大統領エリツィンは反対していたが、投票でタタール人の独立が投票結果となるが、今もロシア連邦の共和国としてなっている模様。

模倣

今のロシアはロシア帝国が元になっているが元々は、モスクワ公国だ。
この国はモンゴル帝国支配の中で、支配者がルーシ諸国で徴税の特権を得て発展した。そして権威を得るためにキエフ・ルーシのマネをした。

キエフ・ルーシは東ローマ帝国と交易を結んだ歴史がある。
マケドニア王朝のバシレイオス二世の時代に親交がつよくなり、バシレイオス二世の妹がキエフ・ルーシに嫁いだ。そしてキリスト教を受け継いだ。

モスクワ公国も、東ローマ帝国滅亡直後に皇帝の一族の王女を嫁がせ、「モスクワを第三のローマ」として宣言している。そして東ローマ帝国の専制君主制も受け継いだ。

今のロシアもウクライナ戦争で、ロシア軍の将軍は上(プーチン大統領)の命令を聞いて動き、権限がないと言う。東ローマのバシレイオス二世も軍人皇帝と言われており、当時の帝国内の内乱やブルガリア帝国との戦いに明け暮れて、自ら戦地に行き、軍を動かす事も多く、この体質を無意識に受け継いでいるのかもしれない。

ロシアのプーチン

プーチンは一般的にロシア帝国のピョートル大帝を尊敬しているらしい。しかし、実際はイワン雷帝を模範にしていると思う。

その根拠はプーチンは大統領になり一度、大統領職から降り、部下のメドベージェフを大統領にさせ、数年後にプーチンは立候補する形で現職に戻っている。このやり方はロシアの歴史にも前例ある。

イワン雷帝が、一度皇帝の座から降りて、ロシア貴族のシメオン・ベクブラトヴィチに位を譲り、数年後に譲られる形で復帰した。この歴史が模範となりプーチンは模倣されている。シメオン・ベクブラトヴィチはチンギスハンの末裔とされていて、イワン雷帝時代のモスクワ公国内モンゴル勢力を取り込むために行った行動とされている。

プーチンも権力を維持するために模倣したのだろう。
彼の場合はモスクワの勢力を扱うために、サンクトペテルブルク出身を第老量に据えて、権力操作したのかもしれない。

BS-TBSの番組でも、イワン雷帝を範とする例が出てた。https://youtu.be/uCqkJI3Y-oA?t=3225  (53:45~)

プーチンは国民を煽る過程で、イワン雷帝の死後に起きた動乱時代(1584-1613,後継者がいなく、他国から侵略された)にポーランド、リトアニアに侵略されたことが再び起こると言っているそうだ。先の例を含めて、プーチンはイワン雷帝を参考にしている。

動乱時代はイワン雷帝のいとこのロマノフ家の貴族を皇帝に立てて、解決したそうだ。

断片終わり。
ロシアはキエフルーシの模倣と東ローマ帝国の権威の後継、モンゴル帝国のカリスマを受けて今をなしている。

しかし、広大すぎる。
モンゴル帝国並みに大きく、緩やかな連合国家として分裂していかないと続かないだろう。



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