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いつまでも色褪せない名盤たち2
気がつけば今年も後半になり、どうなるかと思っていたオリンピックも開催されようとして、梅雨も明け猛暑になりました。投稿も間が空いてしまいましたが、こんな調子ではいかんいかん。今回は、、、、こんな渋いアルバム。
やはり70年代にリリースされたベンソンのワーナーからの第2弾。1枚目のブリージンは世界でヒット、ジャズギタリストとしては異例のスーパースターになりました。それ以前のベンソンはジャズギタリ
蕎麦「一葉」町田市成瀬
手打ち蕎麦の店。蕎麦激戦区の東京から離れた都下の住宅地にあるので行列店でないのがまたいい。味は長野の手打ち名店にも負けない。手打ち蕎麦屋にしては珍しいご飯ものも充実。これがまた美味い。
#おいしいお店
”いつまでも色褪せない名盤たち”
その8まで投稿してしばらくお休みしてしまいました。その9からはプロになっていくのでへ音奏者「への」ではなく、「の」になるのでここで一旦終了。読み返してみると、紹介したアルバムは実は今日のタイトルと重なっていました。今聴いてもいいな、と思えるものをチョイスしていたのです。「いとしのレイラ」「マイソング」などなど一向に古臭く感じない音作りを感じます。投稿してきたこれらの作品について、そして他にもたくさ
もっとみるへ音奏者への道その8
前回の投稿からだいぶ経ってしまいました。ちょっと間が開くとなかなかペースが作れずズルズルと今日になってしまいました。その間、ライブもあまりなく(2本くらい?)、遅れていた確定申告などをちまちまやっておりました。前置きはこれくらいで。
前回は高校後半の音楽について述べましたが、その頃から今だによく聴くアルバムがエリッククラプトンのバンド名義、デレクアンドドミノス「いとしのレイラ」。
カールレイド
へ音奏者への道その7
高校時代シリーズパート3、高校2〜3年頃にジャズ喫茶通いでジャズ系をよく聴くようになった日々でした。
ジョニミッチェルのミンガス。ジャコパストリアスを大フィーチュアした超名盤です。新譜で聴いた時は衝撃を受けました。ちなみに松角部長シリーズで私の初めての登場の時にかかっていたジャコとはこの方です。ソロアルバムはこちら。
不世出の天才ベーシストは全てのベーシストの憧れです。
クルセダーズのサザン
ヘ音奏者への道その6
せっかくなので(何が)高校生の頃の話を膨らませようと思います。私の母校は都立狛江高校、4期生と当時はまだ新しい学校でした。なぜか音楽が盛んな学校で、2年先輩に宏美さんツアーでご一緒の名ドラマー石川雅春さん(当時は知り合う機会はなし)、同級生に「世界の車窓から」で有名なチェリスト溝口肇くん、安全地帯のアレンジャーなどにもなった超天才キーボーディスト川島バナナ達と文化祭などで一緒にやりました。ナンバー
もっとみるへ音奏者への道その5
このご時世にはめずらしく2週間ほどコンサート(今年初!)やそのリハーサル、ライブなどが立て込んでしまい、前回から間が空いてしまいました。今回は1976〜7年、高校1、2年生の頃のお話。
1976年、Led Zepplinは「プレゼンス」、Jeff Beckは「ワイヤード」をリリース。かの有名なレッドブーツが1曲目のやつです。このアルバム以降、彼の方向性はワンアンドオンリーとなり、確固たる地位を築
へ音奏者への道その4
中学生になった頃すでに抱いていたロックミュージックへの憧れはその1で紹介したZeppで決定的になり、以降ビートルズ、ディープパープルなど有名アーチストを聴きあさります。しかし、両親が教師というお堅い職業で、ロック=不良がまだ根深く残っていた時代背景から、親にはフォーク好きの部分(実際好きでした)を前面に出しながら陰でこそこそロックを聴く、という日々でした。また、自分のオーディオ機器を持てるほど裕福
もっとみるへ音奏者への道その3
小学生の頃はいわゆる洋楽への興味も湧いてきた時期でもありまして、生涯初めて自分で買ったアルバムはカーペンターズの「A Song For You」。1971年くらいだった思います。なぜこれを買ったのかはよく覚えておりませんが、1枚しか持っていないLP盤をよく聴きました。なんせ当時はまだカセットデッキも無く、家具調のいわゆるステレオと呼んでいた大型コンポーネンツオーディオ、家に1台しかないので限られた
もっとみるへ音奏者への道その2
今回は日本のフォークで最初に影響を受けたバンド、赤い鳥。世界歌謡祭で優勝してデビューしたと記憶しています。ちなみにその時の準優勝がオフコース(だったと(汗))その赤い鳥の「竹田の子守唄」というアルバムを初めて聴いたのは小学生の頃。かの有名な「翼をください」も収録されたいます。そのタイトル曲にとても惹かれました。
小学生の頃から30年ほど過ぎた頃、当時何度も歌ったかぐや姫の伊勢正三さんのバンドで演