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第二話 アトリエと思い込み

 

 

それから数日後、約束通り二人はアトリエに来ていた。

 

「へ〜。ここが君の作業場なんだ。すごく開放的で気持ちのいい部屋だね」

あきは興味津々に部屋を見渡していた。

 

「うん。日差しが沢山入る部屋はこだわって探したの」

「いいね。自分だけの空間。邪魔になったらいけないと思って遠慮していたけれど来る事が出来て良かった」

 

ゆきは驚いた様子であきの方へと振り返った。

「え? 遠慮してたの?」

「だって、君の大切な場所だし、何だか神聖な気がして。君も誘ってくれなかったし。いつか誘ってくれるかなって思って待っていたけれど」

 

ゆきはキョトンとして答えた。

「だって興味あるとは知らなかったから」

「興味はすごくあるよ。君の創る作品。君にはどんな風に世界が見えているのかなって」

 

その言葉を聞いてゆきはニヤリと笑った。

そして、かしこまって胸に手を当てお辞儀した。

「じゃあ、私の世界をご紹介致します」

 

 

それから、奥の方から大きな絵を持ってきて壁に立て掛けた。

 

「これが最初の作品」

手で指し示した絵は黒い大きな渦に、カラフルな色を散りばめた作品だった。

 

「すごい大きな作品だね」

 

大胆に描かれた絵は、小柄で可愛らしいゆきの印象からは、かけ離れた様でもあった。

 

「うん。この時は、無性に何か描きたくなって夢中に描いて、すごく気持ちが良かった」

 

ゆきは子供を眺める母の様な優しい眼差しで絵を見つめた。

 

あきは前のめりになって、作品を真剣に細かく観察しながら質問した。

 

「この作品は、何ていう題名?」

そう聞かれて、ゆきは嬉しそうに答えた。

 

「宝物!」

「宝物? 結構力強い作品なのに、キラキラした題名だね。意外だった」

 

ゆきは両腕を組み、

「これはね、宝物であり、人生なの」

と誇らしげに言った。

 

「人生? 壮大だね。この黒い渦は?」

 

「感情でもあり、暗闇でもある。そういう感じだね」

と、また誇らしげに答えた。

 

あきはその様子に、クスリと笑い

「芸術家の口調だね。……それにしても大きいね。暗闇」

 と、ゆきのイメージと違う大きな黒い渦に興味を抱いた。

「ふふっ。でも、美しいでしょ?」

「うん。カラフルな色が際立ってるよ」

「際立たせているだけじゃないの。そもそも黒も美しい色だから」

 

そう言って、絵の縁を子供の頭でも撫でるように優しく撫でた。

 

あきは作品を眺めながら、うなずいた。

「……うん。そうだね。……この、カラフルな色は何を表現しているの?」

その質問に、待っていましたとばかりにゆきは答えた。

「これは宝石であり、人でもある」

 

あきは両腕を組み、

「へ〜。解説を聞いてから見るとまた違っても見えてくるね。君の作品は面白いよ。……もちろん、美しいし」

「ありがとう。後はね〜、もっと小さめの絵とかもあるよ。見る?」

「うん」

「じゃあ、持ってくるね!」

「この辺のも見ていていい?」

「もちろん。良いよ。適当にゆっくりしてて」

 

 

あきは辺りをぐるりと見回して、興味津々に見ていた。

 

 

それからゆきは持って来た沢山の絵を並べて説明した。

 

どれも抽象画ばかりだった。

 

「どれも色彩が綺麗だね」

「色の使い方は人の好みだけど、私は濁らせたくは無いから」

 

あきはその抽象画を眺めながら質問した。

「分かりやすいものとかは描かないの?」

「私は、曖昧なものを捕まえて描くのが好き」

「君らしいね」

「だって、人生や世の中は曖昧なものが多いでしょ?」

「曖昧なもの?」

「感情とか、記憶とか、宇宙とか」

まるで博士になったかの様な振る舞いで、人差し指を立てながらゆきは答えた。

 

その答えに、あきは笑いながらも興味を示した。

「宇宙とか?」

「うん。どういう風になっているか曖昧。まだ全部解明されていないでしょう? 歴史だってそう。そうやって教わっただけで、不確かで曖昧。目の前の伝言ゲームさえ正確に伝わらないのに、何百年も前の事、全て教わったことが正確だって言える?」

「君は、歴史が嫌いなの? 僕は結構歴史の授業好きだったけれど」

「嫌いとかじゃないわ」

そう言ってゆきはまた一本指を立てながら、博士の様に言った。

「人類が解明してきた事は、敬意を払うべきよ。もちろんそう。けれど、私はいつも不思議に思うの。自分が見てきていないものを、もう起こった事実だと認めるのが」

 

「不思議なことを言うね。何百年も前の事なんて、見ようと思っても見られない。生きてないんだから」

 

ゆきは両手で作業台をバンッと叩いて、

「そうなの! だからみんなの方が不思議よ。生きてない時の事なのに! なんの疑問も持たず、起こった事実なんだと飲み込んで、丸暗記するなんて。ヘンテコだと思わない?」

あきは、少しだけ頭を捻って、

「僕は、君のその感覚がよく分からない。専門家がきっちり調べ上げた事だよ。それは信頼するよ」

と返した。

ゆきは負けじと返した。

「専門家も時には間違うわ。どれだけ完璧に見える人でも」

「君は、歴史が間違っているって抗議したいわけ?」

「う〜ん。それとはちょっと違うかな。自分が見てもいない事を、情報だけでそうなんだと飲み込んじゃう事が不思議って事。見ても無いことを信じるなんて変よ」

「だって書いてある事を信じるしか無いだろう? 他に情報源が無ければ」

ゆきは大きく頷いて、

「そうなの! みんなとりあえず目の前にある情報にすがるしかないの。だからそれを真実として、知識として持っておくしかないの」

「まあ、確かにね。でもそんな事気にした事なんてなかったけれど」

「そう?」

「そうだよ。君はいつも僕の考えつかないことばかり思いついて喋ってる」

 

ゆきは少し間を置いて、

「……あきは、この世の中が何かおかしいって違和感を感じた事ない?」

「何か?」

「何だか現実味のない様な。そんな瞬間ってない? 上手く物語が紡がれ過ぎている様な」

「君は面白いことばかり言うね」

「ふふっっ。私が変な考え方しているっていうのは、確かにあるのかも。きっとみんな私のこと変人だと思っているのよ」

「みんなって?」

「この本を読んでくれている人たち」

「この本って?」

「私たちの物語よ」

「君は読者のことを言っているの? 友達とか、家族とかじゃなくて」

「そうよ。この本を読んでいる人たちの事」

「ダメだよ。そんなこと言っちゃ。せっかく物語に浸っているんだから。この人たちを現実に連れ戻したら」

「現実?」

「そうだよ。そんな事をしたらルール違反だよ」

「何で?」

「何でだって? この物語を読んでいる人たちは、この世界を眺めて違う世界に浸りたいんだよ」

「眺めているだけなんてつまらないわ。仲間に混ぜてあげないと」

「せっかく現実から離れられたのに、そんなことをしたら興醒めしちゃうよ」

「でも、この人たちも自分の物語に住んでいるだけでしょう? 私たちと一緒じゃない」

「彼らには意志がある。この本をすぐさま閉じたりとかね」

「私たちにだって意志はあるわ」

「僕らの物語は、別の人に紡がれているだけだ」

「じゃあ、この本を読んでいる人だって一緒じゃない」

「本当に君はおもしろいことばかり言うね。……僕の大好きだった叔父さんみたいだ」

「その叔父さんって?」

「この世界をヘンテコだ。って、言うのが口癖だった叔父さん」

「じゃあ、叔父さんはこの世界の秘密に近づきつつあるのね。もしくはもう知っているのかも」

「世界の秘密って?」

「世界の秘密だから私にも本当の答えはまだ分からない。けど多分……」

「たぶん何?」

「多分、この世界はある勉強をするために作られたの。たくさん勉強する為にとても複雑で、ヘンテコなの」

「何の勉強?」

「有名なアーティストや、クリエイティブな人たちが描いている事。物語も、歌も、いつも同じことが語られているの。みんな勉強しないといけない事。みんなそれに興味津々よ」

「何? クイズみたい。分からないよ」

「私はあなたに教えてもらったのに」

「僕が? 何なの?」

「ちょっと考えてみて。答えはまたいつか教えてあげる」

「気になるよ」

「すぐに答えなんてつまらないじゃ無い。それに私が思っている答えも正解かは分からないし。私が言えるのは、私の思っている答え。だから、私はあなたが何て答えを出すのか聞いてみたい。だから考えてみて」

「僕はクイズとか謎解きとかそう言った類のもの得意じゃ無いんだ」

「そう? 自分で気づいていないだけかもよ? 本当は得意なのかも」

「……まあ、考えてみるよ」

 

ゆきは楽しそうに笑い、並べた絵を片づけ始めた。

 

そして、思いついた様にあきの方へと振り返り、言った。

 

「ねえ、絵描いてみる?」

「僕が?」

「うん。まだ真っ白なキャンバスが置いてあるの」

「僕は何を描いたら良いのか分からないよ」

「何でも良いのよ。決まってないんだから。思いのままに好きな色を置くの」

「僕は良いよ」

「私もあなたの世界を覗いてみたいわ」

「僕の世界は君ほどきっと色鮮やかじゃないよ」

 

 

ゆきは、作業台に置いてある筆を手に取りあきに差し出した。

 

「別に色鮮やかに描かなくても良いわ。たった一つの色でも素敵な世界は描けるから」

 

あきは、躊躇いながらゆきに渡された筆を手に取った。

 

「まずは、どの色を選ぶか」

「何を描くかも決めてないのに?」

「考え出すと、いつまでも決まらないわ。こういうのは直感で選んじゃうの」

 

そう言われてあきは、沢山出された絵の具を眺めた。

「じゃあ、……紫」

「うん、これね。他は何色使う?」

「とりあえず一色でいいよ」

「分かった」

 

 

あきは筆をキャンバスに向けると、ゆきの方へと振り返り

「……ずっと見てるの? 緊張する」

「見てない方がいい?」

「うん。何か別の事でもしていて」

 

ゆきは恥ずかしそうにしている彼を見て微笑みながら

「じゃあ、コーヒーでも淹れてるね」

と言い、マグカップを準備し始めた。

 

あきは筆を持ってじっとキャンバスを眺めていたが、色をキャンバスに少しのせると幼い少年の様に瞳を輝かせた。

 

少しずつ色を重ねていく彼を遠目に眺めて、ゆきは満足そうにコーヒーを注いだ。

 

集中しているあきにコーヒーを出すタイミングが分からず、コーヒーを淹れたマグカップを前に遠目からあきを見守っていた。

 

 

あきは少し緩んだ表情で、振り返りゆきの顔を見ながら聞いた。

「ねえ、君はいつから絵が描きたいって思ってたの?」

 

あきの瞳は、部屋に入ってすぐの頃とは違っていて、キラキラと輝いていた。

 

ゆきはその瞳に心を奪われて一瞬言葉が出てこなかったが、ハッとして淹れたコーヒーをあきに手渡しながら答えた。

 

「……え〜と、ちゃんと道具を揃えて描きたいって思ったのは、大人になってからかな。ふと、ものすごく描きたくなったの」

「昔からじゃないんだ。意外だね」

「……どうだろう。でも、確かに幼い頃から好きだったのかも。絵をお母さんに褒められて飾ってもらったのを覚えてるから。その時に、私は絵が好きだ。とか、得意だ。とか思ったのかもね」

「何の絵だったの?」

 

ゆきは天井の方を見上げながら、考えた。

 

「う〜ん。……確かお花の絵だった。小さなお花を沢山描いていって、今考えたら特別うまいとかじゃなかったんだと思うんだけれど、あの時は周りの人にも褒めてもらって、絵が好きになった気がする」

 

その答えに、ほとんど無意識にあきは小さく頷いていた。

「……小さい頃に褒められたものって、すごく印象に残るよね」

「うん。私は上手いんだ〜!! って、思っちゃう。強い思い込みだよね」

「でも実際、君はすごく素敵な絵を描くと思うよ」

「あはは。じゃあ、私の思い込みは続いているのかもね。自分でうまいと思って突き進んでるの」

「突き進むエネルギーになるなら、自分で思い込む事も大切かもね」

 

「うん!」

 

あきの描いた絵をじっと見つめて

「……あなたも絵が得意ね。すごく綺麗」

「……僕にそう思い込ませようとしてるんでしょ?」

「あれ? 不自然だった?」

 

ゆきは茶目っ気たっぷりに笑った後、

「……なんてね。本当に思ってるの。あなたの絵は、なんだか透明感があって好き」

「透明感?」

「うん。なんか、スッキリしていて、空気が綺麗って感じ。物静かで落ち着く」

「すごい褒めてくれるね」

「やっぱり、あなたの作り出すものは好きだなぁ。と思って」

 

あきは筆を作業台に置いて言った。

「僕は普段作品なんて作らないよ」

「ほら、お料理とかしてくれるじゃない。お料理も作品でしょ?」

「ああ、料理の事とかか。あれも君にとっては作品なんだね」

「そうよ。あなたの手から作り出されるものは全て作品よ。手以外でも」

「君がそうやって褒めてくれるから、僕はいつも仕事を頑張れるんだ」

ゆきは、ふふっと笑った。

あきはゆきにつられて笑顔になり、

「これを飲んだら、そろそろお昼ご飯にしようか。今日は何食べる?」

と聞いた。

「今日は麺気分」

「う〜ん。じゃあ、パスタとかはどう?」

「いいね! 大好き!」

 

二人はコーヒーを飲み終えると、マグカップを洗い、アトリエを出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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