色
第三話 退屈と謎解き迷路ゲーム
ゆきはソファにパジャマ姿で寝転びゴロゴロとしていた。
「……退屈」
黒猫のジャスミンは、遠目からゆきを眺めてからソファに近寄って来た。
ゆきはジャスミンが座れる様に体を起こし、手を招くようにして自分のそばへと呼んでみた。
ジャスミンはその様子を見て、ゆきと少し距離を取りながらソファに飛び乗りうずくまって目を瞑った。
「ねえ、ジャスミン。今日は何をしよっか。今日は絵を描く気分じゃないし、あきは仕事だし、何か楽しい事ないかなぁ」
ジャスミンは頭を撫でられ、少し目を開けたがまた閉じて、気持ちよさそうに丸くなってゆったりとしている。
「最近すごい高い画材道具も買って、お金を使ったばかりだしな。お買い物って気分じゃないし」
ゆきはぼんやりと、窓の外の空を眺めた。
「……お散歩でもしようかな」
ゆきはアイデアに煮詰まると、いつもぼんやりとする時間をとった。
川沿いを散歩して、ベンチでゆっくりと過ごす時間が好きだった。
「ジャスミン、お留守番お願いね」
ゆきはそう言ってジャスミンの頭を撫でると、立ち上がって準備を始めた。
お気に入りの柔らかな素材のパーカーを着て、小銭をポケットに入れて、スニーカーを履いた。
「行ってきます」
ポケットに入れた小銭で、お気に入りのドリンクを買うために、まずは近くのカフェに寄った。
ゆきのテンションを上げてくれる特別なドリンクは、テイクアウトが出来る。
可愛い顔が描いてある動物ドリンクだ。
ドリンクの上に乗ったアイスに、クッキーの耳を付け、パンダ、ライオン、くま、ネズミ、うさぎ、種類によってドリンクの味が変わってくる。
「……今日はウサ耳ドリンクにしよう。」
いちごの種のプチプチとした食感がゆきのお気に入りだ。
ドリンクを片手に、いつものお散歩コースの川沿いを目指した。
道幅が広く、木々が立ち並び、所々に休憩できるように木製のベンチが設置されている。
春には季節の花々が至る所に咲いていた。
犬の散歩やランニングをする人もいる気持ちの良いこの場所で、ゆきはいつも決まったベンチに座る。
学生時代から通っていたその川沿いには、ゆきにとっての特等席がある。
「良かった! 空いてた!」
駆け寄ったゆきは勢いよくベンチに座ったかと思うと、声を上げて立ち上がった!
「つめたっ! うわ〜、何これおしりが濡れちゃった!」
ベンチは少し水で濡れていた。
ゆきはもう濡れてしまった事に諦め、そのままベンチに腰をかけた。
ゆっくり流れる細長い雲を見つめながら、
「蛇グモだ」
と小さく独り言を言った。
それから、
「きっとあきは、何それ? とかって言うんだろうな」
と独り言を言って、ドリンクを飲んだ。
しばらくじっと空を眺めて、ぼんやりとしていた。
柔らかな風に吹かれながら、ただただ空を眺めた。
ドリンクを全部飲み終えて、ゆきは立ち上がった。
「……そうだ。そうしよう」
何かを決めたゆきの目は生き生きとしていた。
家に帰るなり、ゆきは計画表を書き始めた。
黒猫のジャスミンは、ソファにもう居らず、どこかしらに移動していた。
計画表を書き終えて、満足してソファへとゴロリと寝転がった。
そうしているうちにあきが仕事から帰って来た。
「ただいま」
仕事から帰ってきたあきに、待っていましたとばかりに物凄い勢いで出迎えたゆきは、
「おかえり! あのね、聞いて、あき。私、個展を開こうと思うの! どう思う?」
ざっくりとした計画表を、誇らしげにあきに見せた。
「個展?」
「うん。やった事無いけれど、ふと思ったの! すごくやってみたいって!」
あきは、脱いだ靴をキッチリ揃えて、
「また、唐突だね。……でも作品だって今までのもあるし、良いんじゃない?」
と優しく答えた。
ゆきは興奮気味に、
「私、色々挑戦したいんだ。前々からやってみたいなとは思っていたんだけれど誰も来てくれなかったら……って思うと心配で。でも、ああやるなら今だ。って、今日思ったの!」
「君がそう思うなら、きっと今がその時なんだろうね」
「応援してくれる?」
「もちろん。いつだって応援してるよ」
「じゃあ、頑張るね!」
ゆきは、計画表を手に少女のように楽しそうに笑った。
そして、いつもの様にまた全然違う話を突然始める。
「ねえ、人生は謎解き迷路ゲームの様だと思わない?」
ソファに座り、水を飲みながらあきは答えた。
「何? 突然。……前は、人生はマラソンだって君は例えていたけれど、今度は謎解きの迷路ゲーム?」
ゆきはちょっとびっくりした顔をして、
「よく覚えてるのね。そう、考えが変わったの。人生誰かと競うものじゃないって思ったから」
「考え方が変わったんだ」
「だって、結局『アキレスと亀』みたいなものだから」
「何? 『うさぎと亀』の競争の話じゃなくて?」
「ある哲学者が提示したパラドックスの一つだよ。俊足のアキレスが鈍足の亀を追いかける時、アキレスが初めに亀のいたところに追いついた時には、亀はわずかに前進している。アキレスは亀に追いつけないの」
「追いつけないの? アキレスは俊足なんでしょ?……その話も変だけど、つながりがよく理解できないんだけれど」
「まあ、目の前に見える誰かを追いかけて抜かしてやろうと思っても意味が無いのかなって。自分の人生に集中しようかなと思ったの」
「……? それで、人生は迷路みたいなんだ」
「うん。迷路みたい」
「迷い込むの?」
冷蔵庫を開けて、夕飯の支度を始めながらゆきは答えた。
「だって、人生って迷う事多いじゃない? どっちに進もうか、何食べようか、何着ようかとか」
「じゃあ、謎解きはどういう事?」
「だって、世の中不思議な事も多いじゃない」
「それで謎解き迷路」
「謎解き迷路ゲーム」
「ゲームはどういう意味?」
冷蔵庫から取り出した玉ねぎの皮を剥きながら、
「面白いって事。謎解きも、迷路も面白いでしょ。楽しみながら進むの! あと、ルールもあるしね。この世界で生きて行くには」
ゆきは手際良く玉ねぎとピーマン、ウインナーを刻んだ。
あきは少し考えてから返した。
「……そう言われてみれば、なんかそんな気もしてきたよ。そのゲームはどうすれば良いの?」
ナポリタンを作りながらゆきは真剣な眼差しで答えた。
「とにかくゴールを探して進み続けるの」
「そっか。迷路だったね。その迷路は君にはどんな道に見えるの?」
「森の迷路みたい。周りはいつも同じような景色で、自分がどこを走っているのか分からなくなるの。それで、多分こうだ。って、道を進んでいってたら、また同じ道に出ちゃう。何が間違っていたのか、どこで間違えたのか分からないとぐるぐる彷徨って出てこられない」
そう言ってフライパンを揺すった。
「わかりやすい道はないの?」
「わかりやすい、遠回りな道はある。その道はすごくすごく遠回り。でも、間違うのが怖くて大抵の人は安全で遠回りな道をゆっくり進むの」
「早くて安全な道は?」
そう聞かれて、ゆきは嬉しそうに答えた。
「それも、実はあると思うの!」
「どんな道?」
「道じゃなくて、扉」
「扉?」
「そう。ずっと進み続けると不思議な扉を見つけて、微かなヒントを頼りに、進むの。正しい扉だと、敵は潜んでいない。すごく意外な道に繋がる。でも、安全で近道なの。だから、分からない道を歩き続けるより、扉を探す方がいいの!」
「君は扉を見つけたの?」
「一度、これだ! って扉を見つけて飛び付いたの! それは、すごく堂々と大きくあって、分かりやすかった!」
「扉は、わかりやすい所にあるんだ!」
「……そうだと思っていたの」
「思っていた?」
「多分、間違ってるの。まだ自分の中でもはっきりしていないんだけれど、扉は似たようなものがいくつも存在するの」
「どう言うこと?」
「惑わすものが紛れ込んでるの」
「惑わすって?」
「その、ようやく見つけた扉の前には、チョコレートや飴が置いてあるの」
「わかりやすい罠だね。」
「後から考えたらね。でも、似た様な扉だし、敵も見えない気もするし、美味しい物が目の前で待ってるの。それは普通行ってみたくなるでしょ」
「普通、そんな怪しい扉開けようと思わないよ」
「客観的に聞いたらそう思うけれど、みんな我を忘れちゃうのよ」
「みんな?」
「そう。人間は煩悩を持っているからね」
「……悟りでも開いたの?」
「あははっ。悟りをひらくにはまだまだね。だって、私も煩悩の塊だから。でも、その怪しい扉には本当のヒントも一緒に現れるの。だから、無視して進むんじゃ無くて、チョコレートや飴には手をつけずに、扉の中を覗き込んでヒントだけもらうの。それが本当のその扉の使い方」
「開けてみると、怖い敵がいるとか?」
「逆よ。美しい楽園に見えるの。うっかりすると一歩足を踏み入れちゃう」
「入ったらどうなるの?」
「楽園の中で眠るだけよ。そうしたい人はそうすれば良いわ」
「自由なんだ」
「選べるの。でも、本当に通った方が面白い道に辿り着く扉に行く方をお勧めするわ」
そう言いながらゆきは、テーブルにコップを並べ、ナポリタンのお皿にフォークを添えた。
「……その扉の場所、分かるの?」
「まだ不確かよ。でもヒントは見つけつつあると思う」
「どうやって見つけるの?」
「その近道の扉には導き手がいるの!」
「導き手?」
「うん。意外な扉で、自分ひとりでその扉に辿り着くのはきっと難しいの。でも導き手に出会えさえすれば行くことが出来る」
あきはゆきの話に程よく相槌を打ちながら食卓についた
「君の辿り着きたかった場所にだね」
「どんな場所か、まだ見えないけれど。きっとこの扉で間違っていない。私の通るべき道。私の心が確信しているの」
「じゃあ、その導き手が連れて行ってくれるのは、良い近道だね」
二人は合掌をして、ナポリタンを口に運んだ。
ゆきは、まだ話の続きをしていた。
「あと他にも、この謎解き人生ゲームの攻略方法がなんとなく分かったの!」
ナポリタンの味に頷いていたあきは、水を飲み、尋ねた。
「攻略方法があるの?」
「知りたい?」
「聞いて欲しいんでしょ」
「ふふっ。でも、本当に聞いておいた方が良いことよ。これを知っているだけで、簡単に先のステージに進めるの」
「まだ、ステージがあるんだ」
「それはあるよ。簡単に終わっちゃったらつまらないでしょ? どんどんレベルを上げていかないと」
「僕は簡単なゲームで良いけれどね。ゲームは得意じゃないし。……ナポリタン、美味しいね。」
そう言いながら、ナポリタンをクルクルとフォークに巻きつけた。
「ありがとう。でも、もうゲームは始まっちゃってるから、やめたいならクリアするかゲームオーバーになるかのどちらかよ」
あきは美味しいナポリタンを口に運びながら、機嫌よくゆきの話に乗っかりながら質問した。
「……それで、攻略方法って何なの?」
「さっきも同じ様な事を言ったけれど、この世界は全然違う毎日が過ぎていっているようで、ずっと同じ繰り返しなの」
「どういうこと? 同じ繰り返しって」
「だから、違う出来事だけれど、悩みはいつも同じなの」
「何の悩みが?」
「自分自身よ」
「自分自身?」
「そうよ。そして、あなたもずっと同じ悩みを繰り返してきているはず」
「僕の同じ悩みって?」
「それは、私には分からないわ。だってそれはあなたのゲームだから。あなたが見つける課題よ」
あきは少し考えた後、ゆきに問いかけた。
「君の課題は?」
「私の課題は、多分だけど、すぐに諦めてしまう事。今わかっているのはそれかな。もしかしたら、違うかもしれないし、課題は二つ以上あって絡まっていて複雑なのかもしれないけれど」
「二つ以上って?」
「これ以上は言えないわ。それに、あなたが知らないといけないのは、私の課題じゃないの」
「僕の課題なんて分からないよ」
「いや、絶対に分かるはずよ。いつも同じ事で不安になってしまう事とか。思い当たらない?」
あきはまた少し考え込んだ。
「……うん。あるといえばあるのかもしれない」
「その課題は、毎回登場人物を変えて自分の目の前にやってくるの。それで、クリアできなかったらまた繰り返すの」
「クリア出来たら?」
「少し難易度を上げてまた現れるの」
「また別の課題がくるの?」
「内容は同じだけどね。難易度が上がると自分の中で葛藤が生まれてクリアしにくくなるの」
「同じ内容なのに?」
「その課題を与えられた人からしたら相当なプレッシャーがかかるからね」
「相当なプレッシャーなんだ」
「そうよ。だって、その人のコンプレックスを物凄く刺激する事だからね」
「コンプレックスにも関係するんだ」
「それが、まだ課題が分かってない人の最大のヒントよ」
綺麗にナポリタンをたいらげて、あきは誉めた。
「君は、すごい導き手だね。こんなにヒントを出してくれるなんて」
「私は誰も導かないわ。一緒に冒険したいなら話は別だけれど」
「得意げにならないんだ。謙虚なんだね」
「だって、私も単なるプレイヤーだからね。でも、もっと私と違う世界観でヒントを見つけた人と仲間にはなりたいわ」
「仲間を増やしたいんだ」
「だって、多分一人だけじゃこのゲームはクリア出来ない様になってると思うの」
「何で?」
「だって、課題をクリアしていっても、次々と課題が出てくるだけで辿り着けない。多分、もっと何かが必要」
「何かって?」
「私にも分からない」
「じゃあ、全部クリアするまではかなり時間がかかるね」
「でも、救いはあるわ」
「救いって?」
「この人生には、スムーズに進めるためのアイテムが潜んでいるの」
「アイテム?」
「そう、よく見かけるもの」
「そのアイテムはどうやって見つければいいの?」
「それは、よく歌われる歌や、映画、有名なもの。そういうものによく描かれるの」
「それは何?」
「考えてみて。一つは、私たちの出会いの中でも出てきたものよ」
「ものなの?」
「もの扱いは可哀想ね」
「……なぞなぞみたいだね。答えは?」
ゆきも食べきり、お皿を下げながら返事した。
「もう、教えないわ。答えを言っちゃうなんてつまらないじゃない」
「まあ、考えてみるよ。」
「うん。他にもアイテムは沢山あるから、考えてみて」
「君の頭の中は、すごい空想で満ちているね」
「あら、空想だと思って聞いていたの?」
「違うの?」
「まあ、良いけれど」
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