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映画の二度見で分かることがある話

ステイホーム中に、映画「チョコレート・ドーナツ」をみました。その感想と映画から私が感じた事。

※ネタバレ避けたい方は、作品をご覧になった後に読んでいただけると幸いです。

ご覧になった方もいると思いますが、ざっくりとした粗筋はこんな感じ。

同性愛に対して差別と偏見が強く根付いていた1970年代のアメリカでの実話をもとに、育児放棄された子どもと家族のように暮らすゲイカップルの愛情を描き、トライベッカやシアトル、サンダンスほか、全米各地の映画祭で観客賞を多数受賞したドラマ。カリフォルニアで歌手になることを夢見ながら、ショウダンサーとして日銭を稼いでいるルディと、正義を信じ、世の中を変えようと弁護士になったポール、そして母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年マルコは、家族のように寄り添って暮らしていた。しかし、ルディとポールはゲイであるということで好奇の目にさらされ、マルコを奪われてしまう。

初めて見たのではなく、実は2回目でした。1回目はただただ涙、涙、、この作品が伝えたい事をゆっくり考えることができなかったのでこの機会に観ました。

私は性自認も身体的特徴も女性で、性的志向は男性に向いてます。そんないわゆる世間の"ノーマル"、"普通"をなんの疑いもなく生きてきました。誰に教わるでもなく、無意識にそれが当たり前と感じていました。

また、その当たり前の中で形成される愛や勇気など、誰しもが普遍的に感じる価値を疑う事なく暮らしてきました。

周りの友人にもトランスジェンダーがいたり、今では気軽にSNSなどで同性愛カップルの日常を読むことができます。同性愛やトランスジェンダーなどのジェンダー論は大学で少し触れる程度にしか学びませんでしたが、それなりに知識や理解はあると思っています。

しかし、この作品は、「性」という大きなテーマの中で、自分がどのような価値基準を持つべきかを再考させてくれました。

2度目の鑑賞で、1番初めにこの映画から受けた印象は、世間一般の価値観(こうあるべき)の前には、真実の愛ですら一蹴されてしまう ということです。

ルディとポールは真実の愛でマルコを受け入れ、3人が家族としてお互いを支え合い愛し合っていました。ですが、ゲイのカップルである という理由でマルコと引き離され、そしてとても悲しい結末を迎えます。

悲しみが広がる心の中で、私はふと考えました。

もしこれが、ショーパブで働く女性と、弁護士の男性の恋の話だったら?

そう思うと、ストーリーと結末は違ったと思います。

一目惚れとはいえ、経済的な余裕もあるカップル、マルコも2人を愛し、家族になるための条件もクリアしていて、第三者(学校の先生や調査員など)からの評価も申し分がない、そんな男女のカップルがマルコを引き取るお話だったら?

誰もなんの疑いもはさまぬまま、3人仲良く過ごせたでしょう。

そこにある愛という形が同じでも、世間一般ではない異質なものを排除する事が当たり前とされ、いかに大多数と同じ考えを持つ事を強制されているかを感じずにはいられませんでした。

この映画を観た後、レビューを読んだ時、「早く同性愛への理解がなされ、差別がなくなる世の中になってほしい」というものを多くみました。

もちろん私も同感ですが、少しだけ深く考えてみました。

その言葉通りになるには、性への理解が進めばよいだけなのだろうか。と。


もし同性愛が大多数を占める価値観になるような日が来たとして、その時異性愛者は差別されないのでしょうか。

私はこの問題の根幹には、知らないもの、異質なものを排除し、自分が知りうる同質なもので調和や均衡を保ちたいという人間の無意識が絡んでいると感じています。

もしも同性愛が社会の当たり前になった時、異性愛は差別を受けることになると私は思います。

そして、とても素晴らしい関係、感情がそこにあったとしても、それら本質へ目を向けようとしない人間の浅はかな部分もまた大多数による差別に拍車をかけていると思います。

映画の中の時代と今は違っても、大多数が認める価値観や、同質と判断されるものだけが残される目に見えない力はあると感じています。それは今このご時世でも姿を変えて私たちの身の回りに溶け込んでいるんだと感じずにはいれません。

そういう深さで、私に切り込みを入れてくれた作品だった気がします。

彼ら3人が共に過ごす事、マルコを引き取る事を了承しなかった、反対した側の人間にも、彼らの道理や価値観があり、それは彼らの正義に近かったかもしれないです。

今の世の中で、一括りに説明できない、言葉で形容することができないくらい細かな違いを帯びた性のあり方がたくさんあると思いますし、全てに理解を示すことは困難だと思います。自分の理解を超えたエクストリームな事もやはりあるからです。

しかし、そんな世の中で、もし自分が何かの判断を迫られることがあるとしたら。「何が物事の本質か捉えられているか」、「異質の排除に終始していないか」ということには気を付けていきたいと思います。

この映画は、「性」という正解のない世界に対しての、自分自身の判断の基準を一考させてくれる作品でした。


#ステイホーム #映画鑑賞 #チョコレートドーナツ #感想 #映画



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