徳川慶喜謹慎の間を見学してきた
寛永寺の特別拝観へ行ってきました。
内部は写真掲載NGだそうなので、
写真は載せれませんが
今回は葵の間を見学して、
勉強になったことを2つシェアします。
①徳川慶喜公謹慎の間の壁紙について
当時は白無地だったそうですが、現在はこちらの日本画を元にした壁紙になっていて
入った瞬間、「かわいい!」ってなる部屋です。
確かに、当時謹慎中に部屋がこの壁紙だったら、ちょっと緊張感は、ないよね!
②トイレのつかう向き
これは寛永寺ではなく、別の資料写真です。
当時の大名のおトイレはみんなこんな感じですが、
私は取手みたいなやつがある方が前だと思ってたんです。
てゆうか、この木の取手みたいなやつを、完全に取手だと思ってたんですけど、
これは袴をひっかけて使うらしく、
使う方向としては、取手みたいなやつを
背にして用を足すそうです!
知らなかった〜!
オマルを見慣れてるから
すっかり取手だと思ってたよね〜
上の写真と同じようなおトイレが葵の間にも
ありました。当時のものらしいけど、とてもキレイ!
匂いももちろんありません笑
葵の間は上野戦争が起こってしまった時、
これ以上戦いの火種にはなるまいと決意して
慶喜公がじっと静かに謹慎した寛永寺にあるお部屋です。
とにかく目まぐるしく変わる戦況に、柔軟に立場を変えて自分の意志を貫かなければいけなかった慶喜。
いちばん難しい時期にいちばんめんどくさい将軍になってしまった慶喜。
その心境は一庶民の歴女には推し量れませんが、慶喜はどんな気持ちだったのか、どんな風に過ごしてたのかと、考えてしまうお部屋でした。