楽しい気持ちと疲労のせめぎ合い
2022年は公私ともに旅をすることが多い1年だった。
出張で北から南まで、全国各地を巡る。そして日常の暮らしをこよなく愛する私たち家族は、非日常を求めて珍しく3度も旅に出た。
偶然重なったことなのかもしれないけれど、理由もあるように思う。
コロナ禍で外に羽を伸ばすことが許されなかったこの数年。否が応でも半径数キロメートル以内の生活が中心だった。
出張は出張で、そうは簡単に行けなかった。
子どもが幼かった数年、いつ発熱したり病気をされるのかドキドキしていた。”じゃあよろしくね!頼んだ!”とホイッと預けてどこか頻繁に飛び立てるようなシチュエーションではない。
子どもを産んだ時、”ああ、もうしばらくはどこにも行かないスタイルでの仕事になるだろうな”と、覚悟はしていた。
そうした、見えない小さな縛りから解き離れたのが、2022年だったのだ。
この頃は、子どもを夫に託しても、私のことは忘れてしまうほどには、二人で生きていける力を身につけていた。
そして、コロナウイルスは暮らしから完全拒絶ではなく、共存という毎日になって、人々は移動を伴うようになった。
旅行と出張が大好きだった。数は多くはないものの、アルバイト代を貯めては青春18切符を駆使して東京から関西を旅した大学時代。
お金がなくて夜行バスの常連だったのもこの頃だ。
社会人になって、まとまったお金を得ることを覚えると、年に1度の贅沢な海外旅行をしたり、”お金で時間を買う”という、週末弾丸旅行を何度も楽しんだ。
出張も多かった。北は北海道から南は福岡まで。毎月1度はどこかへ足を伸ばしていたように思う。
仕事とは言えども、今まで行ったことのない土地へと浸り、仕事をして、そして街のことを知って帰ってくる。街の景色や店、人々の様子や空気感は、私のワクワク要素だった。
日常をこよなく愛する私にとって、コロナ禍の毎日は足元の暮らしを楽しむうえでまたとない好機だった。
でもそれはちょっと思っていたのと違った。
そう気づいたのはコロナ禍も2年目に差しかかった頃だった。
どこにも行けないって、ちょっと息苦しい。
日常を楽しむことができるのは、時々非日常があるからなのか。
半径数キロメートル圏内の暮らしにゆるい束縛ができたことで、そう気づくことができたのかもしれない。
反動で、2022年は水を得た魚のように、あちこちへ出かけた。
ところが、だ。
出かける気持ちはもうこの上なく溢れていて、いつでもどこでもいつまでも出かけたいのに、体が全く追いつかなくなってしまっている自分がいた。
旅行や出張に行くまでと、出かける過程は楽しいのだけど、旅先に着くとドッと疲れが積もる。
その日の夕刻まで味わい尽くすほど私の体と気持ちのワクワク成分は残っていないのだ。
ああ、このチグハグな自分の体と心に戸惑ってしまう。
これはパンデミックのせいなのか。それとも自分が40歳と、年を重ねてしまったからなのか。想像もしていなかった、こんなことになるとは!
いずれにしても、楽しい気持ちに反比例するぐったりとした体との攻防は、旅をするたびにこれからも続いていく。
だからと言って諦めたいという訳では全くない。
楽しい気持ちを心地よく味わうためには、どうしたらよいのだろうか。
気持ち一辺倒だけは行動できなくなったし、私のチューニングのし直しが必要だ。
2023年、そんな時がやってきたのかもしれない。
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