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ペンキ塗りと親父

 2022年5月16日、今年で75歳、現役バリバリの漁師をしている父の手伝いをするために実家に帰りました。教師をしていたときは多忙と疲労で手伝う余裕もなく親孝行が全くできなかったのですが、教師を辞めて心と時間に余裕が生まれたので父の手助けができるようになりました。教師を辞めたことと親孝行の時間をつくれたこと、本当の親孝行って…と複雑な心境になりながら家路につきました。

父の漁船のペンキ塗

 手伝いの内容は昭和55年に我が家にやってきた漁船のペンキ塗りでした。作業工程はざっくりわけて3段階です。
1.高圧洗浄機で船底などにこびりついている海藻や貝を除去する 
2.1で取り切れなかった船底、スクリュー、いけすなどにこびりついている
  貝などを手作業で清掃、除去する
3.ペンキを塗る
です。しかし、なんと工程1は、もう前日に父が完了させていました。仕事が速い、まだまだ精力的だなとを驚きつつ、工程2から合流することになりました。工程1が丁寧だっだのか残っている貝類も少なく順調に工程2を終え、今回のメインである工程3のペンキ塗りの作業に入りました。

失敗の連続

 ペンキ塗りも順調に進むかと思いきや、私にとってはかなりの重労働となりました。何十年も塗り続けている船底はペンキが積み重なっているところとペンキが剥げているところの差でかなりの凹凸があり、思ったようにペンキが伸びません。うすめ液を加えてペンキの粘りを抑えるとペンキが伸びて少しは塗りやすくなったのですが、今度はペンキが飛び散って眼鏡や髪の毛、顔に付着してしまいました。さらに、船底の狭い空間で体を縮めて、常に見上げながら作業するため1時間も作業を続けていると腕が上がらなくなり、首、肩がガチガチになってきました。そして、腕の疲労で刷毛のコントロールがうまくいかず、ペンキを何度かはみ出してしまい、手伝いにきたのか邪魔をしにきたのかわからない状態でした。

学習の基本はトライ&エラー

 そんな失敗続きで自分の不甲斐なさに落ち込んだのですが、元教師の思考の癖なのか「ペンキ塗りをいかに学習するか」ということを考えながら作業に取り組むようになりました。
 凹凸の部分を効率よく塗るためには、刷毛の角度や刷毛につけるペンキ量、どの方向から塗るかなどを、頭や眼鏡にペンキが飛散しないためには、うすめ液とペンキの量の割合、刷毛の使い方、塗る方向、体の位置などを試行錯誤しました。私の脳のシナプスで情報伝達がどのように調整されていくのだろうと変な想像もしながら作業し、学習において知識や技能を自分のものにするためには、トライ&エラーが必要だと改めて実感しました。ただし、もちろん、そんな短時間でかつ素人考えでは技術の向上はしませんでしたが…

偉大な親父

 そんな邪念で作業していますから、当然仕事は遅く、父のペースの半分にも追いつきませんでした。しかも、父は船の一番底の部分や一番高い部分など最も労力が必要なところを塗り、体力のない今年で47歳の私には高さ的に無難な場所を指示するという今年で75歳の大人の余裕を見せました(それを甘受する情けない私…)。最後には、4か所あったいけすのペンキ塗りにおいて狭い空間での作業のため気分が悪くなってしまった私に文句も言わず、残りの3か所全部あっという間に塗ってしまいました。
 久しぶりに見た父の背中はやはり大きく、何歳になっても親父は親父で、いつまでたっても偉大な存在だと思えた私は幸せな1日を過ごすことができました。父にとってはお荷物だったかもしれませんが…
 本当の意味での親孝行はまだまだこれからだと思いつつ、まずは上がらない右腕を癒したいと思います。




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