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頼み事したら絶望するんです!| パートナーシップの話



こんばんは。
フダカオルです。


先日、クライアントさんから
こんなお話がありました。

パートナーにイライラします!!
あるものを買ってきてほしいとパートナーに頼みました。
商品名も画像もLINEで送ってたのに、違うものを買ってきました!!
こういうの、いつもなんです。唖然とします。呆れます。絶望します!!!
どうしたらいいですか??


うん、ありますよね。そういうこと。ちーん🫠ってなりますよね。



頼んだけれど
思った結果ではないから
感情が動く。
(イラつくがっかりする怒りが湧くとかとか。



そして
もっと詳しく伝えたらよかったのかな、とか自分でやった方が早い!とかね、考えちゃいますよねー。



そしてそして。チッ使えないやつだな…となりますよね。うん、なる。なってました。
私は、あーもういいやー!こいつには頼まん!!!って諦めてました。




こういったご相談の中では、相手を改善する方法教えてください!
と言われたりするのです。 




えっとね。ないんですよ。

相手を改善する方法って残念ながらないんです。



改善する方法
= 相手の行動をコントロールする方法



なので、それはないんです。
洗脳とかすればあるのかもだけれど。


こういう時は、何故感情が動いたのか
自分をちょっとみてみましょう。



たとえば
ほしいものを買ってきてくれなかったことに苛立ちがあったとして



その苛立ちが内側に起こる奥には、
『わかってもらえない、伝わらない』
というものが
この出来事が起こる前から潜んでいることがあって、


さらに奥には
『伝わらないということは、愛されていない、哀しい』
なんてことが潜んでいることが多いです。



『頼んだ行動で自分の思い通りの結果を得られないのは、相手から愛されていないからだ』
『理想通りに”してもらう”こと=愛』
っていう設定のようなものが内側にあります。


わたしはまさにその設定を持っていて、だからこそ、使えない奴と相手を悪者にしたり、がっかりしたくないからもう頼まないだとか、そんな態度になっていました。


してもらうことに愛を置いているとしんどいんですよね。だって相手の行動で自分の愛されいる度合いが上がり下がりするのだから。


さらに、それは母親・父親からの愛(してもらうこと)を理想通りもらえないからという記憶からの設定が多いです。だから自分の行動にも厳しかったりします。自分の行動から愛される度合いやしてもらえることが決まるのだから。




じゃあどうしたらいいのかというと
愛を自分や相手の行動に置くのではなく
存在に愛を置いていているか、確認してみてみましょ。


自分にも相手にも、存在に愛を置いたとき、行動は全て愛になります。安心感を得られるし相手の行動を必要以上に監視することはなくなって、自分も相手も自由になります。


相手のせいにはならないんです。
相手が目の前にいてくれること、相手が自分の人生と時間を重ねていること自体が愛になるから。


だからと言って
頼んだことがその通りにならない時や、約束を反故にされたら色んな感情が湧いたりはします。


でも、尾を引きません。
その怒りなどの感情が湧くことを自分にゆるせるようになるからです。
そしてすぐに立ち消えます。


わたしが夫の行動から、夫の存在に愛を置いてから。
「パルムっていうアイス買ってきてー」と言ったらキャラメル味のピノを買ってきた夫。
殺意がわきました。でも、「夫がピノを買ってきた。殺意がわいた。以上。」なんです。
そして、「そしてピノを試してみる。あ、残念。今はキャラメル味じゃなかった。以上。」なのです。(結局食べるんですよ。



感じ方が変わります。諦めるでもなく信頼をしなくなるわけでもなく、事実を単なる事実として受け入れることができます。殺意を持ったこともわきおこった事として受け入れることができます。



愛、どこに置きますか?

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