見出し画像

不登校と先生と子供の関係 ~価値観の違いについて~

不登校中の中3娘が、久しぶりに学校に行った。
今日は週一回の通級のある日だ。
通級しか出ないと言っていた娘は、宣言通り1時間で帰宅した。でもなんだか様子がおかしい。「しんどかった。」と一言いうと泣き始めた。

おぉ、また誰かに何か言われたのか。

不登校当初はこんなことがある度に、娘の感情に引っ張られては一緒に泣いていた。自分の気持ちを瞬発的に相手に話し返すのが苦手な娘。1、2か月に一回程度、こんな風に感情を爆発させることが度々ある。さすがに今は対応に慣れ、客観的に詳しく話を聞く余裕も出てきた。

娘が四つん這いになった状態でずっとさめざめ泣くので、絨毯が涙で濡れていく。どうしたもんかと思いながら、そんな娘の様子をティッシュ片手に観察していた私。思わず「人間って絶望したら、ほんまにがっくりその体勢になるねんな…。」とつぶやいたら、娘に「人が泣いてへこんでるのに、冷静に人間観察しないでよ。」と怒られた。ごめん。

娘から話を聞く。詳細は以下。

帰り際に副担任の先生につかまり、

①体育祭にはどうしても出て欲しいとゴリ押しされた。(娘は体育が死ぬほど嫌で、入学してからほぼ授業に出ていない。体育祭も今の時点では出る気ゼロ。)

②進路希望を聞かれ、「通信制高校を希望している」というと、通信制高校は本当に体調がしんどかったり、色々あった全日制高校に行けない子たちが行くところなので、最初から通信制でなく全日制にしたほうがいいのではないか。ずっと甘えたままの状態でいると、今後社会に出た時に苦労するし、しんどくなる。

というようなことを言われたらしい。

娘は元々この先生(体育教師)が苦手だった。なのでいつも遭遇を出来るだけ避けていたが、今日は先生から近寄ってきた。
いかにも体育会系の先生で、「頑張ってやれば出来るよ!」といつも熱量が多め。ただ、頑張っても褒めてはくれず、すぐに「次も頑張ろう!」と次の目標を示されて追われ続けるので、娘は先生と話すといつもしんどくなるとぼやいていた。
根本的に相性の問題もあるかも知れない。

1、2年生の担任と現担任、通級の先生と娘はかなり今まで話し込んできて、信頼関係が出来ている。娘の性格が分かっている先生方は、まず娘の頑張りを認め、褒める。その上で「こんな方法もあるけどどうかな?」と控えめにアドバイスをくれる。そうやって、1年生の時から少しずつ少しづつ、自分にもできると自信をつけてきた。

娘はそうやって、夏休みの間も色んな通信制高校オープンスクールに出向き、話を聞き、「私も高校に行って、楽しむことが出来るかも知れない」と小さい自信と希望をこつこつ積み上げてきた。それを、今日副担任の先生の言葉で木っ端みじんにされたと感じ、傷ついて悔しくて泣いたのだ。

娘はとても真面目な性格なので、いつも他人の意見を真っ向から受け取ってしまい、無視できない。そうして毎回爆発する。

今回の事も、先生の言い方がどうとか誰が悪いとかの話ではなく、価値観の違う2人が話した時に、どう対処するのかが問題なんだと思う。

先生は、今までの経験から良かれと思ってアドバイスをしただけなんだと思う。ただ話を聞いた限りでは、先生の通信制高校に対するイメージはあまりいいとは言えなさそう。通信制高校は全日制高校に行けない子たちの最後の受け皿、みたいなイメージなのかもしれない。
でも、それも仕方がないことだと思う。先生は多分、今の通信制高校の情報を知らないだけなんだろう。その上で先生の中では全日制高校に行ったほうがいいという価値観で娘に話をしたのだろう。
また、前向きに考えるなら、先生は娘に全日制高校に通える力があるのに、早々に通信制高校に絞ってしまうのはもったいないと思って言った、という可能性もある。

対して、娘は朝から夕方まで拘束される全日制高校の授業体系は自分の体力的に無理だと考えている。連続で授業を受ける集中力もない。
また、夏休みにたくさん通信制高校の情報を得て、実際に通っている現役生の話も聞いた。通信制高校に悪いイメージはない。むしろ好印象だったゆえ、「通信制高校の人達まで馬鹿にされたように感じた」娘の悲しみと怒りは大きい。

ただこれも、一方的に「娘側から聞いた話」なので、当の先生が実際にどんな言葉やニュアンスで娘と話していたのかはわからないため、あくまで私の想像の範囲での話。鵜呑みにするのは危険だと思う。

ただ気になるのは先生の話し方だ。
先生は学校で何年も「人権問題」を扱っている立場。もし私の想像が当たっていた場合、先生は全日制高校と通信制高校に対し、優劣をつけていることになる。その場合、先生は通信制高校に通っている当事者や親に同じ話が出来るのだろうか。

本当の多様性とは何なのか。
いつも考えさせられる。

今の時点で、全く価値観の違うこの2人が話し合ったところで話がかみ合わないのは当然だと思う。大事なのはその後だ。

対処法としては①逃げる②無視する③受け流す④自分の気持ちを伝える、のどれかかなと思うが、娘の性格からして①と②は無理そう。③も少し難易度が高いが、出来るようになれば今後有効。
④が出来ればベストだと思うが、娘が相手と向き合えるかどうか。私はあなたのそういう言い方が嫌だった、傷ついたとはっきり相手に表明しない限り、今後またいくらでも同じことが繰り返されるだろう。それは良かれと思ってアドバイスしている相手にとっても、とても不幸なことだ。

その上で、⑤お互いに相手の意見を聞いた上で尊重する、という選択肢が選べる事が出来れば最高かなと考えている。

今後娘が大人になって社会に出れば、いくらでも価値観が違う人と出会うだろうし、さらには価値観を押し付けてくる人にも遭遇するだろう。そんな時、自分の価値観も意見も持った上でどう相手に対峙するのか。
出来る子は簡単に出来ているが、娘には苦手な分野。今の内から練習して損はないだろうと思う。

ひとしきり泣いて話したらすっきりしたのか、娘はその後好きな昼食のメニューを選び、大好きなアニメを見始めた。娘のその姿を見て、私は「成長したやん!」と伝えた。「そうかな?」と娘。

今までなら、ずっと落ち込んだ気持ちを夜になっても引きずっていた。でも今は、我慢せずに家でちゃんと話をして、落ち込んでもちゃんと自分で自分の機嫌がとれるようになっている。

何より、今までは感情を押し殺してきたのに、今回は自分のために怒り、悔し涙まで流したのだ。私から見れば大進歩。

大丈夫。君はちゃんと成長しているよ。

「逃げるは恥だが役に立つ」事もあるだろうが、本当に相手に自分の事を理解してもらいたければ、相手に歩み寄るしかない。
待っていても、誰も察してなどしてはくれない。
今後も娘が色んな人と、いろんな価値観を交換できればいいなと思う。


今までは親である自分が子供達を守り、導き、幸せにしなければと頑なに信じてきた。そしてそれが出来ない自分を恥じ、責めてきた。

でも最近はその考えがとても傲慢な事のように思えてきた。人は誰しも自分で自分を幸せにする力を持っている。

私がいないとあの子が、あの人が幸せになれないとか、あの子が、あの人がいなければ私は幸せになれないとか。

そんなものはもしかしたら、全て幻ではないのだろうか。

きっと相手の「自分で幸せになる力」を見くびっている。そして同時に、自分自身の「自分で幸せになる力」をも見くびっている。

「誰かの力で幸せになる」のでも「誰かに幸せにしてもらう」のではない。
本当の幸せは、自分の持つ幸せと相手の持つ幸せを持ち寄り、掛け合わせ、倍増させていくものなのではないだろうか。

今も充分私は幸せだけど、あなたといれば私はもっともっと幸せ。一緒に幸せを増やしていこう!
と言える人に私はなりたい。

今後先生との関係をどうしていくかは娘次第。親の私が出来ることは、せいぜい娘の話を聞いて応援することくらいしかない。

娘はどう転んでも、幸せになる力を持っている。
結局そう信じることが、巡り巡って、私の幸せに繋がるのかもしれないな。そう思った。


この記事が参加している募集

多様性を考える

この経験に学べ

サポートいただけたら、嬉しいです。 子供達の学費に当てさせていただきます🍀