どうしても好きになれない人がいる自分を、どうしても認めたくなかった今までの自分。
1人だけ、どうしても好きになれない人がいる。
その人と、ほとんど関わりはない。実際に何かされたわけでもない。それなのに、気になって仕方がない。その人のことを考えるだけで、いつも心がざわざわする。
私にはない才能。私がやりたいと思っていることを、いとも簡単にやってのける。
明るくて、優しい人。
その人が呼びかければ、人は集まってくる。
嫉妬と妬み。
私の中の真っ黒なその感情が、心をざわつかせていることは、とうにわかっている。
その人は、直接接点のない私がそんなことを考えているなんて、つゆほども想像していないだろう。
だって、その人に落ち度は全くないのだから。
その人から離れよう。
そう思い、距離をとったのに。
行く先々で、その人が現れる。
どうして。
見たくないのに。
イライラする。
真黒い感情が、次々と立上がる。
私の前に現われないでよ。
目障りだよ。
私の前から消えてよ。
せっかく手に入れた、私の世界に入って来ないで。
私は何も持ってない。
あなたは何もかも持ってるじゃない。
これ以上私から何もかもを奪わないでよ。
私の中の憎しみを、これ以上増やさないで。
ねぇ、お願いだから早く消えてよ!!!
憎しみの余り、
また私が私を殺してしまう前に…!
…また…?
そう思った時。
あるビジョンが浮かんだ。
これは、妄想…?
*******
古代ローマ帝国時代のような、石造りの神殿。
そこに男が1人。
長い布を巻き付けたような服。
茶色の短髪。顔はわからない。
私はこの男の目線で、この世界を見ている。
賑やかな人々の声がする。
目を向けると、長身の男を5、6人の男達が取り囲んでいる。
明るい金の短髪。
海のように澄んだ青い瞳。
凛々しい顔立ち。
太陽のようなオーラを放っている。
『〇〇じゃないか!』
取り巻きを置き去りに、こちらに駆け寄ってくる。
『ああ、△△…。』
『旅を終えて、無事に帰ってきていたのか。』
(どうして△△様が、あんな身分の奴に…。)
突き刺さる、無遠慮な目線の数々。
相変わらず居心地が悪い。
こっそりため息をつきかけた時。
『△△さま!』
少し離れた所から、澄んだ女性の声がした。
『✕✕様だ…。今日もお美しい。』
うっとりとした、取り巻き達の声。
透き通るような白い肌。
大きな瞳。明るいグリーンに輝くそれは、まるでエメラルドのよう。
小さくて形の良い赤い唇。
腰までまっすぐに伸びる、絹糸のような金の髪。
『ああ、✕✕。来ていたのか。』
駆け寄る✕✕に、△△が話しかける。
似合いの2人。
『では…私はこれで失礼いたします。』
そう△△に告げ、〇〇は足早にその場を去る。
少し離れて様子を見ていた取り巻き達が、わらわらと△△の周りに再び集まってくる。
俺は、邪魔者だからな…。
母親が、たまたま△△の乳母だったから。
そうでなければ、本来地位の低い自分が△△と話せるはずもない。
△△は、俺にないもの全てを持っている。
地位。名誉。容姿。人望。
△△に人が集まるのは当然だ。
そして、ひそかに愛する人さえも…。
美しい✕✕。
そう、彼女は△△にこそ、ふさわしい。
俺には、何もない。
清々しいほどに、何も。
だから、旅に出る。
俺のことを誰も知らない土地へ。
そこでは何にも縛られず、俺は自由だ。
つかの間の夢。
ただ、美しい景色を眺めるその度に、生きていることを許されている気がするのだ。
でも、旅は長くは続かない。
国に帰る度、その苦しみは増していく。
△△は、思いやりのある素晴らしい人間だ。
こんな俺のことを友だと呼んでくれるほどに。
人の上に立つために、生まれてきた男。
友として、△△が好きだ。
でも同時に、△△が太陽のように輝けば輝く度、俺の中の闇が深くなっていく。
お前が憎い。
俺にないものを全て持つ、お前が憎くてしかたがないんだ。お前がいい奴だとわかっているのに。
だから、もう俺にかまうのはやめろ。俺の中の憎しみを、これ以上増やさないでくれ。
お前が俺に笑顔を向ける度。
俺の中の憎しみが真黒いヘドロのようにドロドロになって、少しずつ心を蝕んでいく。
皆に背を向け、神殿を出て、歩き続ける。
気がつくと、俺は涙を流していた。
足が止まる。
どうしてなんだ。
苦しい。
もうダメだ。
何も考えたくない。
こんな俺は、消えてしまえばいい。そうすれば、もう憎しみに飲み込まれることはない。
カチャリ。
静かに、腰に刺した短剣を抜いた。
そのまま地面にひざまづく。
短剣を両手で逆手に持ち、胸の高さまで掲げる。
太陽に照らされ、短剣がキラリと光る。
ああ、キレイだ…。
少し笑い、そのまま男は心臓に向かって、まっすぐに短剣を突き刺した。
ドサリ。
男は地面に崩れ落ちた。
もっと早く、こうすれば良かったんだ…
薄れゆく意識の中、遠くで女性の悲鳴が聞こえた。
最期に、✕✕の声が聞こえる。
笑い声なら、良かったのにな…。
あの人の笑顔が、何よりも好きだった。
醜悪な場面を見せてしまって、すまないな。
本当は君を、愛していたんだ…。
*******
数日後。
男が事切れた場所。
花を手向ける女性の姿。
美しい緑の瞳から、
とめどなく涙があふれている。
…どうして…?
こんなことになってしまうんて。
夢にも思わなかった。
夢であって欲しかった。
『人は、私の後ろにある地位と容姿にしか興味がないのです。』と言った私に。
『いいえ。あなたは、そこにいるだけで、人を幸せな気持ちに出来る人です。あなたの笑顔は、人々を幸せにしているのです。』
そう言って、微笑んでくれたあなた。
いつも木陰に座り、鳥たちと戯れながら自然を愛でるあなた。
夕焼けに照らされる、少しさみしそうな顔。
あなただけを、いつも見ていました。
いつかあなたの隣に並び、美しい景色を共に見ることを夢見ていたのに。
こんなことになるのなら、△△さまに相談なんかせず、すぐにあなたに想いを伝えれば良かった。
永遠に、叶うことのない夢。
あの日から、ずっと涙が止まらないのです。
あなたの側に行きたい。
でもそれは、許されざること。
だから心が、張裂けそうなのです。
もし来世というものがあるのなら、
またあなたとめぐり逢いたい。
その時は、必ず伝えます。
あなたを、心から愛しています、と…。
*******
なぜだ。
俺達は、友ではなかったのか。
お前の中の心の闇に、俺は気づかなかった。
どうすればよかったんだ?
お前は何も言わず、逝ってしまった。
俺の周りには、いつもたくさんの人がいた。
でも、人々は俺を見ていたんじゃない。
俺の地位や名誉に群がっていたただけだ。
心を許せるのは、お前だけだった。
お前はいつも自由だった。
いつもふらりと旅に出て、帰ってくる。
世界中の、美しい景色を語るお前が。
羨ましくて、仕方なかった。
俺の人生は、窮屈なものだ。
周りの人間が気を使い、上っ面の会話しかしない中、お前だけが。
『大変だな。人の上に立つのも、楽なことじゃないんだな。』
そう、少し困ったような、寂しそうなその笑顔に。どれだけ俺が救われてきたのか。
お前は知らないだろう。
お前は俺の、自由の象徴だった。
でももう、感謝を伝えることも出来なくなった。
友ひとり救えず、何が王だ。
俺には王の資格などないのだ。
…それでも。
俺はここからは逃げられない。
やるべきことがある。
だから。
そこから、どうか見守ってくれ。
そして時々、
『お前も大変だな』って、
あの時のように語りかけてくれよ…。
西日が差し込み、オレンジ色に染まる執務室で1人、男は静かに涙を流し続ける…。
*******
映画のような、よくある話だ。
憎しみや嫉妬や妬みの感情が、人の目を曇らせ、大切なものを見失わせる。
本当は、男は幸せだったのに。
もしかしたら、あの男は、私なのかも知れない。
自分の中にある、憎悪や嫉妬や妬みの感情を見たくないあまりに、自分を殺してしまった。
男の気持ちを、理解出来てしまった自分。
私が極端に人を怖がり避けるのは、『自分より優秀に見える人達は、私から全てを奪う』という設定になっているせいなのだろうと思う。
そして、ネガティブな感情を持つ自分を、どうしても許せなかった。
自分の中の、憎しみを受け入れていれば。
男の物語は、もっと幸せなものだっただろう。
自分の中の感情の、全てを受け入れること。
聖人になりたかった。
でも、自分は聖人にはなれない。
わかっている。
だけど、認めたくなかったんだ。
自分の中に、真っ黒い感情がある。
そうわかった上で、聖人であろうとする。
苦しすぎて自分を殺してしまうくらいなら、
もうそれでいいじゃないか。
あの人のことが、どうしても好きじゃない。
今はね。
でもいつか、気にならなくなる日が来るかもかも知れないよ。そんなの誰にもわからない。
今は、そう思える自分がいる。
少しずつ、少しずつ。
今日もまた、私が私に近づいていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?