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『たりないふたり』と飲み会が苦手な話

好きなお笑い芸人は、と聞かれれば浮かんでくるのはこの2人。オードリーの若林正恭さんと、南海キャンディーズの山里亮太さん。

山里さんの方は、嫌われ芸人全開時代から好きで、みんなそんなに嫌わなくても…とか思ってた私。彼の自虐ネタが自分に刺さっていたのかもしれない。

若林さんの方は自分でも知らない間にじわじわ好きになっていた。噛めば噛むほど味の出るスルメみたいな感じ。今はTVはほとんど見なくなったけど、気がつけばオードリーの冠番組だけは見続けている。

そんな2人がタッグを組んだ、期間限定のコンビ『たりないふたり』。今年の4月から2人の半生がドラマ化された、『だか、情熱はある』で知った方も多いのではないだろうか。かくゆう私もその1人。

ドラマに合わせてTVerでやっていた、過去に放送された『たりないふたり』を全て観た。面白かった。
※今はhuluで観られるようです。

特に刺さったのは、「飲み会が嫌いなふたりが、飲み会を回避する方法」の放送回。
ありとあらゆる方法を駆使して飲み会の誘いを断ったり、飲み会を乗り切る2人に会場のお客さんもかなり共感していた。私も爆笑。わかりみが過ぎる。

それでもまだ、「お酒を飲める人」はいい。お酒を飲んで食事を楽しんでいれば乗り切れる。
でも、「お酒を飲めない人」にはなかなか辛い。私は筋金入りの下戸だ。家族全員下戸。ゲコゲコ。

それでも若い時は、飲む練習をすれば多少は飲めるようになるという言葉を信じ、飲み会に挑んだ。ビールにチューハイやカクテル、ワインも試した。でもダメだった。お陰で「気持ち悪くて吐く」と「二日酔いの頭痛」は覚えた。それだけ。液体に「アルコール」が入ってるのがわかった瞬間、体が拒否する。無理。私は「飲む」のをあきらめた。

楽しそうにお酒を飲む人たち。いいなぁ、楽しそう。飲める人から「飲めないなんて、人生の半分損してて可哀想。」と言われるたび、あぁ、私はたりていないのか、と思う。憧れはずっと憧れのままだ。

勇気を持って、たとえ飲めなくても、ただ楽しめばいいじゃないかと参加したこともある。普段私は話すのは苦手なほうだが、割と何でも楽しめるほう。

以前働いていた会社では、飲み会は全員強制参加だった。「普段話す機会がなくても、飲み会でコミュニケーションをとれば皆仲良くなれる。」社長の信念は硬かった。

飲み会が始まる。まず初めの一杯。え、最初はビールじゃないの?と無邪気に語る人がいる。悪気は全くない。『だから、飲めないんだよ!ビールは匂いも無理なんだよ!』と心の中で叫びながら、乾杯する。宴が始まる。

最初はいい。食べ物もたくさんあるし、みんなまだいつも通りのおしゃべり。普段は聞けない話もあったりして楽しい。

でも、中盤になってくると様相が変わってくる。中には変わらず穏やかなままの人もいるが、大半は人格が変わる。陽気な人が怒り出したり、優しい人が泣き出したりする。普段大人しい人が踊りだしたりすると、もうどうしていいかわからない。怖い。

社長が「今夜は無礼講だ」と叫ぶ。場がどんどん盛り上がり、荒れていく。普段は無口なのに、ハイテンションの社長、同じ話をエンドレスリピートする会長。先輩がふらふらで、料理のお皿をひっくり返す。普段穏やかなあの人が、毒を吐いている。
挙げ句の果てに、社長が「みんなで踊ろう」と立ち上がる。(ちなみに沖縄料理のお店だった。)
もうダメだ。テンションに、ついていけない。そう思いながらも仕方なく立ち上り、踊った。

社長が言う、「コミュニケーション」って、一体なんだ。私は誰とコミュニケーションを取ればいいのだ。コミュニケーションが迷子になっている。

唯一の「飲めない仲間」のおばさまが、遠く離れた席に座っている。そっと2人で目を合わせ、ため息をつく。もう早く終わって欲しい。

無礼講って、何やねん。周りが酔えば酔うほど、私はシラフになっていく。皆は「酔っていて、飲み会の席での話だし」と翌日にはキレイに水に流しているが、私は全部キレイに覚えている。どこに何を流せばいいのか、全くもって分からない。


世間の飲めない人は、どうしているんだろう。ある日気になって、インターネットを覗いてみた。
そしたらば、こんな記事を見つけた↓

「飲めない」私の存在は、迷惑だったのか…!
私の心臓にまだ毛は生えておらず、生えていたとしてもせいぜい産毛だ。この9割という調査結果は、私の心を折るのに充分すぎた。

そうか、飲めない人は、飲める人達から「最初からよされて無かった」のか…。

これが世間全部の意見だとは思わないが、それなら最初から飲み会に誘わないで欲しかった。

無理して烏龍茶やオレンジジュースをお腹に流し込んでチャプチャプになることもなかったし、酔っぱらいに絡まれたり、よくわからない状態の皆から飲み会のお金の回収したり、ふらふらの人をトイレに連れて行くこともしなくて済んだのに。
女子は「お酌しろ」とかタイミングよく注文しろとか言わないでよ。私はプロのお店の人じゃないのよ。飲めない人が、飲みたい人のタイミングなんてわかんないのよ。

場の雰囲気を壊さないよう、一生懸命努めていた、あの時間は何だったのよ。それなら家に帰って好きな音楽でも聞きながら、あったかいお布団でゴロゴロしたかった(涙)


飲めない人も、ただ皆と楽しくご飯食べておしゃべりしたいだけ。「飲める人」と「飲めない人」をどうか分けないで欲しい(涙)。
「飲めない」私は、いつも寂しいのよ(涙)

吐き出したら、少しスッキリしました。

果して「飲める人」と「飲めない人」の間に線をひいているのは、自分なのか人なのか。

コロナ禍になり、「飲み会」が自粛された時、もう無理して行かなくて良いんだ!となって、ものすごく嬉しかった。でも、それも一時期の事。


TVから聞こえてくる、『飲まなくてもええねん』のCMソング。それすら、ウザイという人達もいる。
でも、その『ええねん』に救われる人もいる。


私はこれから一体、どうしたいのだろう。
いつまで経っても「飲み会」に慣れない私。

ただ楽しい!と思う飲み会に出会いたい、と思ってしまうのは、単に私の我儘なのだろうか。

「飲める人」への憧れは、尽きることがない。

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