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こだわりのブロック。

ずっとアートにこだわって、アートじゃなければと自分を締め付けていたけれど、最近、そのブロックが外れた。

前々から、色んな事をやっていたけどどこかでアートでなければと言う固定観念があった。その方がカッコいいとか自慢できるとか、アーティストなんだから、芸術の道を極めているんだからと、自分の理想像があってずっとひたすらアトリエにこもって作業しているアーティストが素敵だと思っていた。そんな思い込みを20年くらいしてきたのですが、最近、「向き不向き」と言うワードが引っかかって。

人には「向き不向き」があると。
そんなことは昔からよく言われていて、特に母にあんたは何をやっても続かないとかいつもネガティブな事を言い聞かされてきたけど、それは母的には母に頼って欲しいって言う裏返しだと最近思って、自分も母親になってみてそう言う自分をいつまでも頼ってほしい論があるのに気がついてついつい子供にネガティブな事を言ってしまうのも分からんでもない。本心は自立して立派な大人へと成長して欲しいけど、離れていく子供を見ていると寂しさが募るから意地悪な事を言ってしまうのも分かる。

そんなこんなで、母の(多分)意地悪に子供の頃から反骨精神があって「くそー!」って思ってがむしゃらに勉強したりしたけど、本質的な性格というものがあって、そういうのを母はわかっていてあえて言ったのかもしれないなと感じる事もある。人間は変われる。でも、結果無理する無理させている事になってしまっているのかもしれない。

自分の理想として、PC一つで仕事ができるのが本当は一番理想だと思っている。最近はNFTとかでデジタルなアートが流行っているし、アナログにこだわりたいけどそこに固執しても良くないのかなと思ってみたりと、時代のニーズに合わせるのもいいのかもしれないと少し思ってみたりもする。

今まではこだわりを持つのが理想だった。けど、そのこだわりが自分の行動を狭めたりチャレンジを無くしたりするのはどうかな?と思ってみたりと、少し色んな事を考え直すようにしてみている。

アーティストだから絶対にアートとかアート関連な事でお金を儲けなければならない。と自分を括っていたとして、それが本当にいい事なのか?と思えば違うと思う。アート以外に得意だったりやりたい事でお金を稼いだっていいじゃないかと。よく言えば「合同会社」みたいなもので、なんでもやります、なんでも出来ますと。そういうスタイルだって良いと思った。

こだわりがあって、それをとことん追求するのがアーティストで芸術家だとは思っているけど、それも疲れてしまうことがある。その括りに自分で縛られて辛くなるんだったら、もう少し自分を解放させても良い。

そんな事を考えながら2023年がスタートしました。
そうしていたら気が楽になって、絵だけを頑張りたい、絵で有名にならなきゃってブロックが解放。色んなことしたい!色んなことで有名になれば良いんじゃない?っていう今までに無い新しい熊谷香里が始まったわけです。

有名になるって、ただ有名になりたいわけではなくて、そこにちょっとした自分なりの拘りがあってもいいし、拘りすぎなくて柔軟で、軽やかであればいい。昨日の話になりますが、もともとペガサスな私は首輪をかけられてロープで縛り付けられて飛べないように自分でしていたんだなぁと。もっと遠くまで飛んできて良いよって!自分で自分を解放。「しなければならない!」「であるべき!」の呪縛から解放されて、自由にやりたいことをやろうって決めてみました。

そんなこんなで、2023年はちょっとゆるくするという事から初めてみたいと思います。今日もいい天気ですね^^


よろしかったらサポートを是非お願いいたします。アートによって人々の感性が開花し、アートって楽しいなぁと思ってもらえる様な活動に専念していきたいです。