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こどもとうみ「環境環境言いましたけど。。。」

 大人が、親が子どもの為に出来ること「環境を用意すること」の続き。環境とは、「場所」のことでもあるし、そこにある「人との繋がり」のことも含むと思う。今の私の周囲の友人家族たち、またTelacoya921の保護者たちの関係で言うと、親同士の繋がりが「同じ幼稚園だった」ということもあったりなかったりだが、それよりも「遊び」「趣味」を通して強くつながっており、その子どもたちは、親以外の同じような「遊び」「趣味」を持つ大人たちに囲まれている。取り巻く大人たちは、様々な職業を持っていて、親戚よりもより近い関係だ。こうして幼い頃からたくさんの他人の大人たちに見守られて育っている。小さい頃の「あんなこと」や「こんなこと」を知られているもんだから、たまらないだろうな、子どもたち。笑  とは言え、海に行けば必ず知ってる大人がいて声をかけてくれる。またはその情報が親の耳に入る。この上ない安心な状況。親が海に連れて行って、帰りは違う親が連れて帰る、なんてこともある。

 海に関していえば、正直言って羨ましい。

 しかし、海だけに限らず、小さめなコミュニティ(場所や空間を共有する結合の形式で、地縁による自生的な共同生活)の中にいると、良くも悪くも情報が入ってくる。

 例えば。
 仲間から「今日は旦那さん夕飯いらないと思うよ 笑」と連絡。うちの夫が駅前の某牛丼チェーンに入っていくのを仲間の娘が見たと。娘⇨母親⇨私へのリレーだ!笑 こう言うことをおもしろがれるなら良いが、昨今はコミュニティの繋がりを「鬱陶しい」と捉える人も多いのだと思う。

 大切なのは、心地よいコミニュティ。

 それは出来ているところに入る場合もあるだろうし、自分たちで作り上げる場合もあると思う。夕飯不要の連絡を他人からもらうおもしろさを共有出来る人たちと心地よいコミニュティを作れば良いだけで、おもしろがれないなら、そこにいる必要もないし、そこでそれを変えようと頑張る必要もない。

 今、再度見直されているのが、向こう三軒両隣の考え方。なぜならば、東日本大震災の際に痛いほど「地域」の在り方が見せつけられたからだ。

 「場所」としての環境と、「人の繋がりで作る」環境。後者の方は、子どものために!だけで頑張るというより、大人にとって心地よいかどうか?ということの方が実は大切かも知れない。

 そういう意味でいうと、いつも「誰かだけが」Happyで良いのかな?と考える。「自分だけ」「子どもだけ」「大人だけ」「家族だけ」のように、だけだけになると、それは内に向かって行くエネルギーの出し方になり、閉鎖的になって行く。でもまずは家族平和からでしょ!という人もいると思う。こういうことって、あっちから!とか、そっちから!とかではなく、どっちも大切なはず。あんなことがあったから、こっちも良くなって、そんなことがあったから、あっちも良くなって、、、、、と、互いに影響し合うものであるはず。どっちからだって、実はどうでも良いこと。

 そして、それは一気に世界平和を願う!みたいなことではなく、向こう三軒両隣のような近しい人たちが出来るだけ多くHappyであれば、その向こうもその向こうもその向こうも〜と繋がると信じたいから。

 小さな一歩がとても大切。子どもたちのはじめの一歩と同じだな。初めて食べたもの、初めてみたもの、初めて感じたもの、初めて触ったもの。

 大人も大抵知った気になっているけれど、まだまだまだまだ知らないことだらけのはず。
 
 はじめの一歩の気持ちを取り戻そう!
 そして、死ぬまではじめの一歩を続けよう!

 first step feeling
let's continued to take the first step



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