国際女性デーとSDGsと母と娘【日誌。3頁め】
私「明日は国際女性デーなんだってー」
母「え? 国産女性デー?」
・・・国産って 牛じゃないんだから。
私「違う違う! 国際女性デー。」
母「へぇ、初めて聞いた。」
私「世界中の女性を称える日なんだってさ」
母「ふーん、そうなんだ。
あ、そうそう、そういえばさ、みりんって国産米100%のものと
国産米とタイ米のブレンドのがあってね、、、」
と買い物袋から出てきたみりんを片手に「国産」の話になった。
、、、そっちかい!と心でツッコむ私。
いつも会話の主題はそんな感じでどんどん転がり続けていって
最後に「で、なんの話だったっけ?」と
3歩歩いて2歩下がる。結局1歩しか進んでない。
って、ここでも話が逸れました。
話を戻します。
私も国際女性デーってうっすら聞いたことあるくらいだったけれど
今何かと話題になるSDGsとも関係があるようで。
5番目の「ジェンダー格差を無くしましょう」に「国際女性デー」が当てはまるようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーキ リ ト リ 線ーーーーーーーーーーーーー改めて見ると思ってしまうのは
『今の世界の情勢の中で、SDGsの17のゴールって本当に2030年までにゴールテープ切れるのかな』
『本当にゴールへ向かうつもりあるのかな』
戦争始まってますけど。
ーーーーーーーーーーーーーーキ リ ト リ 線ーーーーーーーーーーーーー
そういえば、母は昔、働きたがってたのに、父が許してくれずに外に1人で出かけることもできない日々を過ごしていた姿を見ていたっけ。
子供心に、母が不自由そうで、だからお家のことに没頭するしかないのかな、って感じていた。
抑圧される日々に人ってずっとは耐えられない生き物で
母はその後、離婚して、バリキャリの道に進み始めた。
(バリキャリ、とか、キャリアウーマンって言葉ももしかしたらジェンダー格差の象徴だったりして、、、嫌な気持ちになる人いたらごめんなさい)
時は過ぎ、、、
私が大人になってから『働きたいのに働けない時期のこと』が
母との間で話題になった時
「今思うと、そうだったからこそあなたたちとずっと一緒にいて、
子育てを満喫できたんだから、それは感謝だよね」と話していた母。
そうなんだよね、その思いは私もおんなじ。
私も子育てを満喫できた時間があったから今の自分があるって思うもの。
子供にも夫にも感謝している。
そして、大人になって話してみて分かったこと。
母はあの時、働きたかったわけではなかった。
父の経営する会社が業績もよくなくって、家計が苦しかったんだよ。
だから働くことで少しでも家計が楽になればって思ったんだけどね。
父のプライドがそれを許さなかったのよ、と。
はたから見ると豊かな家庭のように見えるけど、実際はどうなのかは本人たちにしかわからないものだ。
昔に比べたら女性の地位は向上したと私は実感できるような環境に身を置けている。
私たち女性が会社で発言を制限されていることもないし
それを聞く耳を持ってくれる人もいる。
当たり前と思えば当たり前だけど、当たり前じゃない時代があったことも知っているから、忘れずにいよう。そして3歩歩いて4歩戻って行かない世の中でありますように。
国際女性デーには女性に愛と幸福の象徴の「ミモザの花」を贈る慣習があるらしい。
明日は帰りにミモザの花を探しに行ってみよう。
花が好きな母へ、明日はミモザの花を贈ろう。
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