他者目線の認識。

ボクが住む静岡県の事故率は高い。
2023年度の人口10万人あたりの交通事故発生件数は、ワースト1位にランクインしているくらいである。

ボクが感じている原因の一つに、ライト点灯の認識がその要因の一つなのだと思っているのです。
そしてそれは、目線の問題でもあるように思っている。

今日のようなモヤが発生しているような雨の日や夕暮れ時に、どのようなタイミングでライトを点灯させているのかは、目線の認識の違いによってそのタイミングは様々であるように思っているのです。

一人称である自分目線のタイミングなのか?
二人称または三人称の、相手がどう見えているのかという目線のタイミングであるのか?
その目線の認識の違いにより、ライト点灯のタイミングはかなり違ってくるものだと思っているのです。

一人称時のライト点灯のタイミングは、運転している自分が感じている暗くて見えづらいから点灯しようと思うタイミングだ。

二人称、または三人称のタイミングとは、対向車目線であったり、歩道を歩いている人や自転車の目線となる。
その対向車や歩道を歩く人や自転車に乗る人から見えている、自分の車はその人たちから認識できているのだろうか?という目線のライト点灯のタイミングである。

ボクは、相手がボクの車を認識していなくて事故を貰いたくは無いので、早いタイミングでライトを点灯しているのですが、かなり暗くなってもライトを点灯していない人が結構いるのがボクの住む街なのだ。
運悪く、お互いが一人称目線だった場合に事故に遭う確率は結構上がってしまうことだろうと思っている。そうならないためにも二人称または三人称目線でモノゴトを認識するようになると、事故は減るのではないかもしれないと思いながらボクは車を運転していたりする。

そして、こうした「目線」の認識は、ボクが培った感性を育むための目線の導入と考え方は同じである。
それは、感性を育むためには、自身の中には存在してはいない、他者の美しさを理解している人の目線を自身に取り入れることこそが感性を育むために必要不可欠な取り組みだと考えているためである。

それができるようになるためには、他者が見ている、感じている目線を感じられないことには、それに気づくことすら儘ならないからなのだ。
まずは、他者が見ている目線を感じることが出来ることによって、それを自身に取り入れることが可能になるからである。


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