見出し画像

時代考証と子どもの視点

※実は随分と前の話だけど、またうっかり更新をほったらかしてたので、掘り起こして記事にしてます。

うちは小さい時から祖父母が同居していた家なので、とにかくテレビで流れているのは四六時中NHKであった。
特に朝ドラと大河は見慣れているが、大学を出たあたりから、脚色と時代考証のせめぎ合いが気になるようになった。

特に最近の朝ドラは、女一代記みたいな内容ばかりだし、女性を立てる脚色があまりに多いので「そんな男いるかい!」と、特にTVドラマの時代考証についてはツッコミどころ満載である。

そもそも時代考証なんているのか?
結局、クリエイターの作りたいように、スポンサーのいいように内容は寄せていくんだから、考証も何もあったもんじゃない。
時代考証で関わる先生たちは「ええー助言した意味ないじゃん」とかなってないのかな?脚色ありきのドラマなんて、そもそも興味ないのかも。

見ててモヤモヤするので、自主的には見ないようにしているのだが、先日思わぬところで、また考えざるを得ない経験をした。

うちの3歳くんが鬼ハマりしている「仮面ライダー」である。3歳で仮面ライダーにハマる恐ろしさたるや…それはまた別のノートで。笑

もちろん彼は3歳なので、全く内容なんて気にしていないが、1つ前の「仮面ライダー ジオウ」はタイムスリップもの、しかも歴代ライダーの力を継承してくというストーリーラインで、見ているときは、とにかくそれぞれのオリジナルのライダーが気になってしょうがなかった。笑

そんなジオウの映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ forever』を友人にプレゼントされ、DVDを車で延々見ている3歳くん。
もちろん私は運転しているので、真面目に見てないのだが、もうセリフを暗記できそうなくらい流してるので(当然彼もセリフを覚え、同時に言ってドヤ顔で見てきたりする)どうしても気になる部分が出てきた。

ネタバレしないと言えないので、単刀直入に言うが、映画のメインの子役が2000年から2018年に連れて来られたという設定の8歳の男の子だった。
それを端々に匂わせる(正直子ども向けなので、匂わすどころがド直球なヒントではある)演出がされているのだが、その1つである以下のセリフ。

「何それ、ちっさいパソコン?」

はじめてスマホを目にした一言である。
めちゃくちゃ違和感。
2000年に小学1、2年だったら、せめてゲーム機じゃない?笑
ゲームボーイとか…少なくともパソコンには絶対見えない。

このセリフは「スマートフォンがパソコン的な機能を持つ電話」だと理解している人にしか言えない。
しかも地図検索をするシーンだったので、インターネットで地図検索ができ、さらにインターネットといえばパソコン、とすぐに連想する人でなくてはならない。そんな小学生がいるとは普通に考え難い。

そこで私はふと思い出す。
大学の授業で耳にして以来、ずっと忘れらない視点だ。

「あなたが火星からやって来た民俗学者、あるいは人類学者だとしよう。」

ティエリー・ド・デューヴの『芸術の名において』という著作の冒頭に出てくる文章だ。
そこの文化圏を全く知らない外国人でも構わないが、人類普遍の発想というのもなくはないので、そういうものすら真っ新にして考える、という意味で火星人にしているらしい。

時代考証においては時代の状況を的確に汲み取ってセリフを作り出すことが重要だとは思うが、自分が知り得る文化の外にあるものをはじめて見たときの視点は、きっとこの火星人に近しいものがある。

その視点を欠いている違和感もさることながら、私がより違和感を持ったのは、それを言っているのが「子ども」だということ。

日々知らないことを知り、新しいものと出会い、それを自分や生活に取り入れていく子どもたちは、この視点をずっと持っている。
大人になるといつか手放してしまうそれは、好奇心であり、探究心だ。

「片手で持ってる。機械みたい。」
「画面を触ってる。」
「ボタンみたいなのがいっぱい映ってる。」
「1つのボタンを押したら、この辺の地図が映った。」

このくらいの観察をさっとした時に、子どもはなんて言うだろう?
このシーンを見ずに、聞いた大人はなんて言うだろう?
パソコンとの共通点を探す方が難しいと思うけどな。

「スマホはちっさいパソコン」という一般的解釈を何も考えずに受け入れていると好奇心を失い、探究する力もなくなる。
そのプロセスを失わないために、物事に対して「火星人でいる」視点をなくしたくないなぁと、私は思うんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?