kaopf
女目線の勝手blog。泣くなよ?
クラシック中心、時々ごった煮。音楽
想像力。創造力。不定期。
「311の大ホールで『カワカミさんていう人のピアノが良かった』と知り合いに聞いたのですが、何を弾いたのですか?」 のような質問を何人かに受けました。 とても有難いことで、感謝で胸がいっぱいです。 ピアニストだけでも5人6人いたのではないかな、ちょっと記憶が曖昧ですみません。 ショパンやリストが多かった気がします。 お若い方が多かったのと、私はピアノの部のトリだったので、 直前まで選曲は悩みました。 人は生まれた瞬間から死に向かって生きていきます。 老齢からこの世を去って
2022年10月に、加藤綾子さんとやったデュオコンサート映像。 加藤さんの音はわたしは大好き。 息遣いも間もちゃんとピアニストに伝わる。 パンチがあるのに郷愁を誘う音。 小柄な体全てを使って出してくる表現。 全てが「日本人作曲家作品」。 五木の子守唄では緊張感ある即興。 後半には、 武満の「妖精の距離」 林光の「ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ」 という『生ではなかなか聴く機会が少ない曲』が入っています。 パッケージでのお仕事依頼お待ちしております☺
何か、わからない。 自分に違和感を感じる。 わたしはおかしくなってしまったのか? 恐怖でしかない。 最近の記憶。 重い出来事・重い記憶・重い気持ち。 不毛な会話・不毛な攻撃・不毛な何か。 月を表現する時に白い光で脳内が充たされる。 ずっとそのままで居たい。 壮大なパイプオルガンの小さなピアニッシモに包まれていたい。 優しさに触れたい。 見返りのない愛情に触れたい。
「おいおい西麻布小町〜こんなとこでなにやってんのw」 深夜二時の霞町でいつもニヤニヤしていた坂本キョージュ。 時代は浅田彰やテレビマンユニオンの活躍。深夜の生放送テレビ番組がいくつもあった。 「だーれだっ!」 後ろから手で目隠しされて肘鉄した事もあった、ごめんなさい。 「僕の曲って弾きにくいでしょ。左利きだから。」
結局ハラスメントは、 「した側の勝ち」が続く日本。 根本的な考えは、 変わったように見えるだけで、 実は何も変わってない。 変えてくれるのは今の若い人たち。 それが本当に理解できないと、 いつまでも中高年層のハラスメントは続いていく。 過去の何十年と同じようにこの先も何十年と。 黙っていれば、ハラスメント「された側」の言葉なんて、 どんどんどんどん消されていくのだよ。 それが今の現状。 表面上綺麗事ばかり口にする最先端な人たちでさえも、そう。 それを打破してくれるのは
シゲルカワイのpotentialを見た。 YAMAHAがどんどんスタインウェイに近付き、 CFXはスタインウェイを超えた、なんて言われ、 YAMAHAとスタインウェイが『ハガネ 鋼』だとすると、 ベーゼンとシゲルカワイは、 『樹』だね。 ベーゼンはYAMAHAが買ってしまったけれど。 あのままのベーゼンで続くのか、ヤマハ寄りのベーゼンになっていくのか。 シゲルカワイは、 ペダル1本につき2~3段階、 実際のアタックで数段階、 完全に音色が変わる。 そうなんだよね
たいして可愛くない女性と、 ぜんぜんかっこよくない男性、 というカップル。 発車前の、発車時刻を停車して待っている始発駅の電車で、 二人並んで座り、 同じお土産物の袋を持っている。 同じ方向に帰るのだろうな、と、なんとなく予測しながら見ている私。 電車の発車のベルが鳴り始めた。 ぜんぜんかっこよくない男性が、 席を立ち、 『またね、連絡する、気を付けて帰ってね、着いたら連絡してね』 立て続けに口から発しながら、 電車を降りていった。 …すげえカッコいい男じゃん。
「最後だとわかっていたなら」 あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしはもっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるよう祈っただろう あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしはあなたを抱きしめてキスをして またもう一度呼び寄せて抱きしめただろう あなたが喜びに満ちた声を聞くのが 最後だとわかっていたら わたしはその一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう 確かに
我思う故に我あり。 果たして本当にそうだろうか。 自分が自分を知っていたところで自分を証明することにはならないのではないか? 自分を知っててくれる人がいるからこそ、 自分の存在を証明できるのではないのか? 自分のことを全く知らない人だらけの街へ出たら、誰が自分を『自分だ』と証明してくれる? 誰かが知っていてくれるから自分はあるのだよ。
愛されるって特別なことよね。 愛されるって幸せなことよ。 話を聞いてくれる、否定されずに存在できる。 味方でいてくれる。協力してくれる。 応援してくれる。幸せを願ってくれる。 裏切らずにいてくれる。信頼してくれる。 気にしてくれる。心配してくれる。 いつも忘れないでいてくれる。 愛されるって幸せよね。
とても重要で真面目で大切な内容の話のブログなのに、 『この人ふざけてるの?』と思わせるような言葉で表現されてると、 途端に読む気が失せてしまいます。 例えば、 ・私の場合は→うちのゎ ・と言う→とゅう ・みんなゅってる(根拠のない数) ・拡散して!→それで何度デマだったことがあるか・・・ ・とりあえず携帯絵文字の連続、しかも各社共通の自動変換できる絵文字ではなく、各社依存絵文字で変換できずに=こういう記号になる ・・・本当に大切な話題ならば、 その真剣さが伝わるように
息苦しくよろめきそうなほど、 肌に密着してくる生暖かい空気。 無風。 この空気中の水分が、 塊になって落ちてくれたら… 少しは気持ちも晴れるかもしれない。 月が見え隠れする夜、 嵐の前夜? あなたはいま何を想っているのでしょう。 知らぬ間に生まれる軋轢は、 どんどんその差を増していく。 ヒト同士の折り合い点というのは、 「オトナなのに」折り合わないのが、常。 言葉に囚われ、 勝手に傷を広げていく者達。 人は、優しくなんかない。 .
趣味は音楽鑑賞です、という人はゴマンといるのに、 実際に『この人の知識スゲエー!』っていうのはホンのひとにぎりで、 でもそのひとにぎりだって、自分が知ってるジャンルだからこそ言えることで、 AKB聴いてようがアルゲリッチ聴いてようがピストルズ聴いてようが、 そこに思い入れがあって様々なジャンルを聴いていれば全て『趣味は音楽鑑賞です』になるわけで…。 しかも、 センスの良いものをわかるセンス、と、 耳の良し悪しと、 全く別物で…。 経費さえ払えばナンボでもCDなんか作れ
エマヌエル作品は、バロックから古典への過渡期で、、 複雑なパパバッハと比べると単純明快になったエマヌエル作品は、 ほんのり大胆になった表現に華を添えてくれます。 実際、大バッハに比べて非常に弾き易い。 ほとんどの作品で、初見でもある程度の形になるくらい、弾き易いです。 その代わり、ほんの少しだけ、 厳格さが減って、 演奏者の計算された表現力がモノをいうような。。。 素朴であり、自由であり、あたたかい。 http://ml.naxos.jp/album/cdsar44
車で少し走ったところに、まるでトトロの森のような場所があって、 緑の田んぼと、緑のこんもりした林と、ちんじゅさま?が奉ってあって、 その祠のところに立つと、180度見える限り田んぼで、 緑で、 狭いけど広大に思えて、 視野が狭くなってる自分とか、 何かに怒っている自分とか、 何かに妬んでる自分とか、 そんなものの原因が、実はどーでもよいようなことなのだな、なんて気持ちに少しだけでもなることができて、 その風景を見ていると、 なんて自分はちっぽけなのだ?と、いつもい
FBでは宗教と政治の話は御法度だと聞いたことがある。フリーメーソンもそうだね(笑) でも実際にはFBをその活動拠点にしてるひともたくさんいる。 まあ自分の国のことだし、表現の自由はあるし、思想だって自由だし、自分のページで何を書こうが本来は自由なはずである。 宗教は私はFBプロフにもある通り無宗教。 だからといって全てを拒絶している訳でもない。 クラシカル音楽にはキリスト教は付き物だし。 実家は神道なはずだけど厳密に何かを守っている訳でもない。 小学生の頃にはオルガンを弾