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ハラスメントに気付かず「する人」

結局ハラスメントは、
「した側の勝ち」が続く日本。
根本的な考えは、
変わったように見えるだけで、
実は何も変わってない。

変えてくれるのは今の若い人たち。
それが本当に理解できないと、
いつまでも中高年層のハラスメントは続いていく。
過去の何十年と同じようにこの先も何十年と。

黙っていれば、ハラスメント「された側」の言葉なんて、
どんどんどんどん消されていくのだよ。
それが今の現状。

表面上綺麗事ばかり口にする最先端な人たちでさえも、そう。

それを打破してくれるのは、
Z世代だとわたしは信じている。
負けてはいけない、私は若者を信じ心から応援する。

ハラスメント「する側」個人そのものがインシデントであっても、
「された側」の言葉は消されるのよ。
まだまだ多様性に対して何一つ受け入れられない中高年層はたくさんいる。

『対話』なんてのはまだまだ夢のまた夢。
ハラスメント「する側」が平気で口にする「対話」などマヤカシでしかない事に本人が気付いてない。
それが今の日本の最先端を気取るようなバショ。

あなたは何を怖がっているの?
何にコンプレックスを持っているの?

『消させてしまえば完了!』なんて思っているうちは、
何一つ変わらないんですよ。変わらないの。
何度もでも繰り返されて『消させてしまえ』で終わり。

何故そこに誰も気付かないのか不思議でたまらない。

セラピストでも無いドシロートの私でさえわかる、見きった。
・会話や文章でうまく責任逃れする癖
・何かに怯えている
・特に女性にたいして何かがある
・下らない権威主義に毒されている
・何かのコンプレックスを抱えている
・他人の良案は自分のモノ
・とにかく自分を大きく見せたくて仕方ない
・自己顕示欲と承認欲求の塊
・嫌がらせもへーきでできちゃう

ドシロートにさえわかる事をなぜか知らんぷりする周囲もおかしい。

普通の生活のなかで「知ろう」としないと結局知ることは出来ないし、
所謂普通の生活が歪んだままだと、
「知ること」そのものが置き去りにされてしまう。

地位と名誉と権威を1度忘れて捨てて普通の生活をして見ればいい。

知ることができる機会・学習できる機会を沢山持っていながらも「知ろうとしない」、
これはもう学習放棄と言ってもいい。
この学習機会の放棄をする中高年層学者が余りにも多すぎるのが、
今の日本の問題の根幹。
ここが治療されない限りアカハラもパワハラもセクハラも止まらないだろう。
こんな状態の人間が日本の学生にいったい何を教えるのか。

尻拭いのために影でどれだけの人が動いてくれているのか、
どれだけの人が我慢を強いられているのか、
それを表に出す(表現)を地道に続けていかなければならないという使命感はわたしは持っている。

ハラスメントする側は、
そんなこと「知ったこっちゃない」のだから。
知ったところで変わりもしないのだから、結局『人の交代』しかないのですよ。
だってその人そのものがインシデントなのだから。
もしかしたら、本人が気付かないだけでこれまたやはり何かのために「使われてる」だけなのかもしれない。本人気付かず。哀れ。

「ハラスメントなんて知ったこっちゃない」「した側が勝ち」などと心の底から思っている人たちがまだまだアカデミアには存在する。
そしてそれがまかり通っている。

日本の行先のあらゆる分野においてこれは『大問題』なんですよ。

殆どの人はちゃんと考えてちゃんと行動してくれている。
ただ、たったひと握りの人のせいでアカデミア全体がそう思われてしまうのは非常に損だし勿体ないし、
中には悔しいとさえ思う人も居るでしょう。

そういう想像力が働かせられない人が少数でも居ることによって、
変わらない・変われない。
他の人の立場さえ脅かす。

良くない。

何十年もアカデミア界が変われて来なかった訳、
女性博士が少ない訳、
女性だけでなく男性だって院進しない訳、
あるでしょ、色々。

人対人の話なんですよ。
人しかいない。
人をどれだけ大切にできるか。
いて欲しい、
やめて欲しくない、
続けて欲しい、
そう心から思わないと何も続かない。

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